植野 真知子(うえの まちこ)
バロック・オーボエ奏者
’’レザール・フロリッサン’’ メンバー
『ソレイユ・ルヴァン 』主宰
音楽道場『寺子屋・太陽塾』主宰
photo : mika inoue
*オフィシャル・プロフィールはページ下部にございます。
お手数をおかけいたしますが、画面をスクロールしてご覧ください。
〔こんな月日を経てきました〕
大阪府茨木市に生まれ育つ。
物心ついた頃には、声楽家の母の影響でか、放っておくとすぐピアノを触りにいく子だったらしい。
間もなくピアノを本格的に始めるが、中学生になった頃、「どうしても ’’木に穴のあいた楽器’’ を吹きたい!」という強い思いに駆られ、悶々とした日々を過ごす。
いくつかの楽器に触れてみるも、リコーダーを手にしては「んー... ちょっと違うなぁ...」、ブラスバンドでフルートを担当してはみたが「...なんかドンピシャというかんじがしない...」・・・
そんな時、テレビの『N響アワー』で、なんともしなやかで美しい管楽器のソロが聞こえてきた。
画面にはオーケストラのド真ん中で素晴らしいソロを吹かれる小島葉子さん。オーボエという楽器を具体的に意識したのはその時だった記憶がある。
その音色、そしてオーケストラの中で担う役割。
一瞬にして魅了された。
そして、「女でも吹いていいのか!」とその勇姿に感化されオーボエを手にすることとなる。(当時のN響は彼女以外は全員「男性」。昭和四十年代とはそういう時代だった)
何故か「私が吹くのはこの楽器だ!」という強い確信があり、迷うことなく本格的にこの道を進むことを決意。中学2年の三学期だった。
母のツテをたどり、元大阪フィルハーモニー首席奏者の岡田良機先生に基礎の基礎からみっちり仕込んでいただく。
京都市立堀川高校音楽科に進み、駒ヶ嶺重成先生に師事。その後 桐朋学園大学では鈴木清三先生に師事。
夢の東京生活。大好きなアンサンブル三昧、そして趣味の演劇に明け暮れる日々の中、在学中に開催された「日本音楽コンクール」管楽器部門で入賞。
そうこうするうちに、大学内での、当時は ’’異端’’ としか思えなかった授業でそれまで知らなかった世界を知る。
不思議な魔力(’’魅力’’ ではなく ’’魔力’’)に引っ張られるようにして扉の隙間から覗き見るものの、一歩踏み出したらもう二度と後へは戻れないのでは... という危険な香りに怖気づき、その世界に踏み込んでみる勇気はなかなか出なかった。
卒業後、ヨーロッパへの留学前の置き土産に、というつもりで、ずっと頭のどこかにひっかかっていた ’’バロック・オーボエ’’ という楽器を「ちょっとだけ触ってみとくか」と軽い気持ちで手にした瞬間、その想像を絶する扱いの難しさに、元来の「負けず嫌い」のギアがいきなりトップに入る。
「オーボエのご先祖様を満足に吹けずして ’’オーボエ奏者’’ などと名乗れぬ!」
こう思ってしまったからにはじっとなどしていられない。
留学先の先生はもちろん、下宿先まで決まっていたモダン楽器でのパリ留学を、あちこちに頭を下げまくって即行でキャンセル。
アルバイト的に引き受けていた演奏の仕事もこれまた即行でひとつ残らず同輩や後輩に代わってもらい、長年熱を入れていた趣味の演劇までも彼方に飛び去り、取り憑かれたようにこの楽器にのめり込む。
それは次第に、「この楽器を吹きこなせるようになりたい!」という思いから、「こういう楽器で演奏してこそバロック音楽が魅力的なものになるのか!」という大きな開眼につながってゆく。
扉の隙間から覗き見ていた世界は、私のアンテナが薄々(しかし心のどこかで確信をもって)キャッチしていたとおり、目眩(めくるめ)く世界なのであった。
そして、’’異端’’ どころか、実は ’’世界最先端’’ の世界だと気づくのにそう時間はかからなかった。
帰る橋を焼く覚悟で、いったん卒業した桐朋学園大学の、今度は古楽器科の研究科にバロック・オーボエ専攻生として入学。
ここで2年間、本間正史先生、有田正広先生、有田千代子先生のもと、古楽の世界について学ぶ。
修了した春、山梨で第1回古楽コンクールが開催され、声楽&旋律楽器部門で3位をいただく。
関東圏で古楽器による演奏の機会を次々と経験させていただくに従い、「もっと広い世界を見たい!」という欲求が湧いてくることを押しとどめられず、またしても悶々とした日々を過ごす。
思い切って渡欧してあちこちの国を巡ってみるも、「この人に教えを請いたい!」と心底思える奏者に巡り逢えず、なかなか「ピン!」とくる国や街もなく、中には身体が拒否反応を起こす街すらあった。
そんな折り、前年の「東京の夏音楽祭」でのラモーのオペラ上演(指揮はこのために来日した J.-C. マルゴワール氏)で共演したフランスのバロック・ダンス・カンパニー ’’リ・ゼ・ダンスリ’’ のメンバーから、「今ヨーロッパにいるんなら是非観においでよ!」と誘われた公演。
ウィリアム・クリスティ指揮 レザール・フロリッサンによる J.-B. リュリ作曲の『アティス』上演であった。
幕があがり、序曲が鳴り響いたとたん・・・!
「おおっ!!! 私が探していたものはコレだ!!!」
全身にものすごい電気が走ったかのようなその瞬間、なに迷うことなく私は留学地を「パリ」と決めた。
30余年経った今でも、身体中の細胞が、魂が、音を立てて一気に目覚めたような感覚はもちろん、その時の、経年変化を経たオペラ・コミック劇場の客席の、ビロードの手触りまでをも鮮明に憶えている。
遅かれ早かれ「パリ」という街に行くことになっていたんだなぁ、と妙に納得。
その『アティス』公演で演奏しておられたお目当ての奏者を楽屋口で待ち、つたない言葉で入門を申し込む。
その後ご自宅にレッスンにも伺うが、「ボクじゃなくても、オランダやベルギーなどに学校もあるし、素晴らしい人たちが教えてるよ」と謙遜ぎみに仰る。
「いえ! ’’あなたに’’ 教えていただきたいんです!」
私の思いは決まっていたので、なに迷うことなくこう告げ、その時に入門を許可していただく。
ミシェル・アンリ先生。
私の世代のフランスで活躍するバロック・オーボエ奏者は皆、なんらかの形で彼の影響を受けている。
なんといっても音色の素晴らしさ、「音」そのもののクォリティの高さは、いくら名手は多かれど他に類を見ない。
私の入門を許可して下さった時にはパリから遠い田舎町の小さな学校でしか教えておられなかったのだが、日本に戻って改めて渡仏の準備をしている時、「パリの学校でバロック・オーボエ科を受け持つことになったからそこを受験してみてはどうか?」との嬉しいご連絡をいただく。
おぉ、なんというタイミング!
このクラスの開講を長年待っていた多くの受験者との競争になんとか打ち勝って合格し、パリでの勉強が始まった。
と同時に、フランスの老舗バロック・オーケストラ『ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ』にて、設立者である元パリ管コールアングレ奏者 ジャン=クロード・マルゴワールの指揮のもと、数々の本番の機会を与えていただく有り難い日々が始まる。前年に東京でご一緒させていただいた時に「是非ともヨーロッパにおいで! そして、来たら必ず連絡しておいで!」と嬉しいお言葉をかけていただいていたのだった。
その後、エルヴェ・ニケやマルク・ミンコフスキーなどからもお声がかかるようになり、彼らの主宰するオーケストラで多くの経験を積ませていただく。
学校卒業のタイミングで憧れのウィリアム・クリスティに見出され、1992年より『レザール・フロリッサン』に所属。現在に至る。
パリの現場で私が触れている ’’この、言葉にし難い素晴らしいもの’’ をなんとか日本の方々にも! という思いが高じ、ならば自分がそのエキスを直輸入するしかない! という発想で、自らのアンサンブルを設立することに。
1996年、常葉一雄のプロデュースにより、古楽器によるグループ『アンサンブル・デュ・ソレイユ』を旗揚げする。
その後『ソレイユ・ルヴァン 〜植野真知子と仲間たち〜』と名称を変え、音楽監督として各地で演奏会を繰り広げている。
また、近年は若手育成にも情熱を注いでおり、欧州での経験を生かして指導できる場所を、と、音楽道場『寺子屋・太陽塾』を立ち上げる。
これは、クリスティのもとで30年にわたって厳しい現場に身をおき、彼の育成術をずっと傍で見てきたことが大きな原動力となっている。
ことに彼の声楽家の育成はフランスの音楽界に大きな業績を残していることからも明らかなように、その「才能の発掘」から始まり「育成」、そして実際にレザール・フロリッサンのプロジェクトに「起用」しながら更に大きく育てていく姿に、たくさんのことを学ばせていただいている。
実際、『ソレイユ・ルヴァン』でも、本番を積むことで血や肉にしていってほしい、という願いをこめて『寺子屋・太陽塾』の若手たちを起用している。
何故なら... 私もクリスティ(のみならず沢山の指揮者たち)に、こうやって育てていただいたからに他ならない。
人生は順送り。
ご恩送り。
若い頃には自分が「教える」などカケラも想像もできなかったことだが、様々な経験を重ね年齢を重ねてゆくなかで自然と芽生えた思いを行動に移すべく、演奏活動と並行させてエネルギーを注いでいる。
更に、それらの活動を通して、欲張りな私はまだまだ多様に成長をしてゆきたく、様々な素晴らしいご縁に導かれながら日々修行中!
大阪府茨木市出身。
京都市立堀川高校音楽科(現 京都市立堀川音楽高校)を経て桐朋学園大学音楽学部首席卒業。
在学中に第51回日本音楽コンクール管楽器部門第3位入賞。
桐朋学園オーケストラとR.シュトラウスの協奏曲を共演するなど、在学中よりソリストとしての演奏活動を行うと同時に、同世代の作曲家とも広く交わり、多くの新曲の初演を依頼されるなど、多方面で活躍。
また、中学時代より興味を深めた演劇の分野でも、高校、大学時代にミュージカル、ストレートプレイなどの舞台経験を積むなどし、音楽の分野にとどまらない「舞台芸術」への造詣を深める。
同大学研究科をバロック・オーボエ専攻で修了(本間正史氏に師事)。同時にチェンバロも履修(有田千代子女史に師事)。
その年、第1回山梨古楽コンクール 声楽&旋律楽器部門第3位入賞。
1989年の渡仏直後より、フランスの主要なバロック・オーケストラ『ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ』( J-C.マルゴワール指揮) 、『レ・ミュージシャン・デュ・ルーヴル』( M.ミンコフスキー指揮) 、『ル・コンセール・スピリチュエル』( H.ニケ指揮) で演奏活動を開始。
パリ高等音楽院にてM.アンリ氏に師事し、ソリスト・ディプロマを得て卒業。
1992年より『レザール・フロリッサン」( W.クリスティ指揮) のオーボエ奏者としてフランスを拠点に演奏活動を行っている。
パリ・オペラ座、オペラコミック座、シャトレ劇場、シャンゼリゼ劇場、ヴェルサイユ王立歌劇場をはじめとするフランス各地の歌劇場、またエクサンプロヴァンス、ウィーン、ザルツブルグ、エジンバラなど各地の音楽祭に定期的に出演。欧州内のみならず、ニューヨーク公演にも毎年のように参加している。三度にわたる来日公演にもメンバーとして参加。
ラモー作曲のオペラ『優雅なインドの国々』『イポリートとアリシ』『レ・パラダン(遍歴騎士)』『プラテ』他、リュリ作曲『アルミード』『アルセスト』『アティス』他、ヘンデル作曲『アルチーナ』『オルランド』『ヘラクレス』『アリオダンテ』...などなど、数多くのオペラ上演で演奏。
カンプラ、ドゥラランドなどの作品をヴェルサイユ王宮礼拝堂などで演奏する機会も多く経験。
世界的歌手 ( C.バルトリ、N.デュセイ、A-S.v.オッター、Ph.ジャルスキーら) との共演も多い。
また、英仏共同制作であるパーセル作曲の『妖精の女王』や、フランス国立コメディー・フランセーズ座との共同制作で行われたモリエール劇『恋は医者』『シシリー人』にも楽師役で出演するなど、バロック時代の舞台芸術作品の上演に数多くたずさわっており、CD や DVD への参加も多数。
1996年に自らが音楽監督として『アンサンブル・デュ・ソレイユ(現「ソレイユ・ルヴァン 〜 植野真知子と仲間たち 〜」) 』を旗揚げし、全国各地で独創的なプロジェクトを展開中。
近年は若手育成にも力を注いでいる。
日本におけるフランス・バロック音楽演奏の第一人者。
パリ在住。
欧州でオーボエ奏者として参加した主なプロジェクト
1989年〜2022年現在
【演出つきオペラ上演】
◉ラモー作曲:『優雅なインドの国々』『イポリートとアリシ』『レ・ボレアード』『ゼフィール』『レ・パラダン(遍歴騎士)』『プラテー』『ダフニスとエグレ』『オリシスの誕生』
◉リュリ作曲:『アルセスト』『ファエトン』『アルミード』『アティス』
◉シャルパンティエ作曲:『メデー』『ダヴィデとヨナタス』
◉カンプラ作曲:『ヴェネツィアの饗宴』
◉モンドンヴィユ作曲:『ティトンとオーロール』
◉パーセル作曲:『妖精の女王』『ダイドーとエネアス』
◉ヘンデル作曲:『セメレ』『アルチーナ』『ヘラクレス』『テオドーラ』『イェフタ』『アリオダンテ』
◉チマローザ作曲:『秘密の結婚』
【演奏会形式でのオペラ / オラトリオ全曲演奏】
◉ラモー作曲:『カストールとポリュックス』『ゾロアストル』『ピグマリオン』『エベの祭典』『シバリス』
◉ヘンデル作曲:『ジュリオ・チェーザレ』『オルランド』『テセオ』『メサイア』『エジプトのイスラエル人』『復活』『エイシスとガラテア』『スザンナ』『ベルシャザール』
◉モンテクレール作曲:『ジェフテ』
◉デマレ作曲:『ディドン』
◉モーツァルト作曲:『羊飼いの王』
【その他の作品】
◉リュリ作曲:グラン・モテ、『町人貴族』『恋は医者』『シシリー人』(以上、モリエール劇)
◉ラモー作曲:グラン・モテ
◉シャルパンティエ作曲:テ・デウム
◉ドゥラランド作曲:グラン・モテ
◉モンドンヴィユ作曲:グラン・モテ
◉ヘンデル作曲:『王宮の花火の音楽』、『水上の音楽』、コンチェルト・グロッソ
◉バッハ作曲:ロ短調ミサ、クリスマス・オラトリオ、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲
etc...