2024年(7月〜12月)
いつの世も、あらゆるものは変化しながら流れてゆく。
驚くほどの変化を遂げながら、時代の価値観も変わってゆく。
そのことで、未知のものとも出遭え、触発され、驚きや発見が人生に彩を与えてくれる。
但し!
’’変化’’ は単なる ’’変化’’ であって、’’発展’’ でもなければ ’’進化’’ でもない。
実は、価値観が丸々ゴロッと変わってしまうわけでもない。
そんなことは、この星の、長い長い歴史を俯瞰してみればわかることだ。
ものごとは、その時々の表面だけを見ていてもわからない。
核心をこそ、見ようと努めた方がいい。
一見して目まぐるしく変化しているようであっても、実際そうであったとしても、振り回されずにいられる場所が必ずある。
自分を取り巻く環境がどうであれ、何かに縛られることなどないし、外からの圧力に屈することもない。
「何者かにならなければ」と思う必要もない。
きみがきみであること・・・ それがどれほど素敵なことなのかを、ずっと忘れずにいてほしい。
どこまでも信じていってほしい、きみ自身の魂を。
le 1 Juillet 2024
生物学的に、男の子だけでなく女の子にも声変わりは起こる。
とはいえ私とて、大多数の女性と同じく、変声期など全く自覚のないまま大人になった。
けれど男の子には、明らかな変化としてそれがやってくる。
思春期の、一番心の不安定な時に、とても分かりやすい現象で。
だからこそ、思惑とは別のところで変化していく肉体と共に、彼らは必要以上に自分を追い込んでしまうのかもしれない。
「強い男になって、か弱き女性を守れるようにならなければ」、「男たるもの弱音を吐いてはいけないのだ」などと、見えない何かに圧(お)され、掠(かす)れながら低くなってゆく声に戸惑いつつ、心細げに成長期を過ごすのではないだろうか。
私には永遠に分かりようもないが、成長期に重圧を受けやすいのは、女の子よりも男の子なのかもしれないと思う。
何かと多様性の叫ばれる今の時代、究極的には何においても個々人それぞれ、という考え方が日増しに定着しつつあるけれど、そんな時代の変遷などとは関係なく、そもそも、男であろうがなかろうが、強くある必要などないし、堂々と人を頼っていい。
泣きたい時には泣いていいし、出来ないことが山ほどあってもいいのだし、ましてや誰かを守らなければなどと思わなくていい。
少年の頃のまま、沢山のものをずっと持っていていいのだよ。
かつて少女だった者たちが、本能的にそうしているように。
le 4 Juillet 2024
時空を超えたその場所で、何の不思議も矛盾もなく、当たり前のように過ごせている時間。
そこで会う懐かしい人と、遠い昔に共有したもの、... そうなのだ、文字通り、よく知った ’’日常’’ としての物語が鮮やかに繰り広げられる。
その穏やかな、なんともいえない空気が、目覚めた直後の私をまったりと包み込む。
時間とともに消え去ってしまいそうな情景を、飴玉をできるだけゆっくり溶かそうとするように、慈しみながら反芻する、布団から出るまでのある朝の幸せなひととき。
目を瞑り、ひとつひとつのシーンを瞼の裏に蘇らせる。
子供の頃に可愛がってもらった日々を昨日のことのように辿りながら、つい先刻までのあの場の温もりや聞こえてくる音、なにより、懐かしい人と触れ合えたそのことを、もう一度、もう一度と、何度もフィルムを巻き戻しては再生してみる。
睡眠と覚醒の間(はざま)、もしくはどちらでもない場所。
そこもやっぱり時空を超えたところなのだろうか。
うん、おそらくそこにも、並行世界へと通じる扉が、こっそり用意されているような気がする。
le 6 Juillet 2024
ある料理研究家さんが対談でこんなことを話されていた。
「食材と、生産者さん、これらの食材が私のところに来るまでに関わって下さった全ての方々に感謝し、具材を入れたお鍋に感謝の言葉をかけてから火にかけます」、そんな内容だったと思う。
「そうやって作るのとそうしないのとでは、出来上がった味が信じられないくらい違うんです!」と結んでおられた。
この類いの話を信じるか信じないかは別として、私たち人間も、実は全く同じではないかという気がする。
かけてもらった嬉しい言葉、優しいまなざしや思いやりに、心は温められ励まされ、生きるエネルギーさえ湧いてくる。
反対に、心ない言葉で傷つけられた経験が誰にでもあるはずだ。
言葉どころか、目つきひとつ、態度ひとつに私たちはパワーを削(そ)がれ、時には立ち上がれなくなってしまう。
数百万年もの大昔から、過酷な環境の中を脈々と命を繋いできた私たち人類は、決して柔(やわ)な生き物ではないだろう。
けれど同時に、傷つきやすい生き物であることも確かだ。
どうせなら、日常のあらゆることに感謝を表し、優しさを、愛を発していける方がいい、渡していける方がいい。
周りの人たちに、与えられている環境に、事柄に。
今日も命を燃やし続けてくれている、唯一無二の自分自身に。
le 8 Juillet 2024
『袖振り合うも多生の縁』
長年、てっきり '’他生’’ だと思っていたのだが、どうも '’多生’’ というふうにも書くらしい。
’’他生’’ はこの場合「(すぐ前の)前世」を指し、’’多生’’ の方は、何度もこの世に生まれ変わることを意味しているのだとか。
複数の過去生、複数の未来生をも含むのが ’’多生’’ のようだ。
それにしても、いったい私たちは、生きていく上でどれほどたくさんの御縁をいただくのだろうか。
「今生」だけに絞ってみても、親きょうだいをはじめとする血縁関係、配偶者、親友、友人、仲間、そして師弟など、はっきりと関係性に名前のつく御縁だけでも相当な数にのぼる。
学校や職場などでの、人生のある一時期を共に過ごす人との互いへの影響は決して小さくはないし、また例えば、聴衆として私の演奏を聴いてくださる人も、私が観客となる場合も、ある凝縮された一瞬を共有する、それもまた深い御縁ではないかと思う。
それらの人たちは勿論のこと、名前も知らぬままに挨拶を交わす顔なじみの店員さん、列車で同乗する人、今ここですれ違うこの人と、’’多生’’ ではどんな御縁だったのだろう?
様々に思いを馳せてみることで、巡り合わせの妙、偶然に見える必然を、魂がキャッチする瞬間に立ち会えるのかもしれないとしたら、己の心をどんな状態にしていたいかが自ずと見えてくる。
le 11 Juillet 2024
ルーヴル宮 Palais du Louvre は、大規模な美術館として年間を通じて世界中から訪れる人が後を絶たないパリの名所のひとつ。
広大な敷地には、ルネサンス、バロック、新古典、モダニズム、様々な時代様式による建造物が壮大な姿を連ねており、数世紀の長きに渡って増改築されてきた圧巻の空間が広がっている。
19世紀半ば増築の建造物に挟まれたナポレオン広場 Cour Napoléon に、ガラス張りのピラミッドが出現して35年。
今でこそ見慣れたとはいえ、私にとっては、正直なところ、東側に位置するクール・カレ Cour Carée の方が落ち着く。
石畳に風情を感じるだけでなく、周囲の建物が16世紀と17世紀に建てられたものであることも関係しているのかもしれない。
同じ ’’今’’ という時間を過ごしていてさえ、目に入るもの、足元に広がるものが違えば自分の心持ちも異なってくるのは不思議だ。
どちらが良い悪いではなく、歴史の中で人間が、その都度より良きものをと能力を発揮してきた結果には違いないが、ただ、「現代人が思っているほど人類は進化しているわけではない」、そう思ってしまうようなことが日常的に少なくない。
テクノロジーというものに力を入れ始めたニンゲンは、いつからか驕(おご)りを身につけてしまってはいないだろうか。
そして、何やら勘違いした方向に進み始めてはいないだろうか。
ふとした時に、そういう思いが頭をよぎる。
le 14 Juillet 2024
そもそも私たちはひとりひとり持ち合わせている ’’感覚’’ が違う。
’’資質’’ と言い換えてもいい。
自分の中の ’’価値観’’ を見ても、長年ずっと変わらぬものもあれば、年齢などと共に変わってくるものもあり、つくづく私たちは ’’なまもの’’ なのだと思い知る。
自分自身ですら変化しているにもかかわらず、どういうわけか私たちは、自分の見ているものが、他人の目にも同じように見えていると思い込んでいるふしがある。
もしかしたら、’’正解’’ はたったひとつだと叩き込まれ、それを丸暗記し、テストで良い点を取れた者が賞賛される...、はみ出る者は抑え付けられ、全体と同じ色に染められる...、そういう環境下で過ごしてきた数年間が関係しているとも考えられるが、そんなことを言い訳にしてみたところでどうなるというのだろう。
対象物があまりにも眩しすぎると、しっかり目を開けていられずに細かいところを見るのが難しい。
陰が濃すぎたり、真っ暗闇だと、それもまた見ることは難しい。
けれど、光の中にも、陰の中にも、存在している確かなものがあるとわかっていれば、自分の感覚を働かせて ’’それ'' を見ようとすることができるはずだ。
ひとりひとりがそうあれることで、責めあうより、讃えあえる日常を創造してゆける、そんな希望を持ち得るかもしれない。
le 18 Juillet 2024
1896年に第1回アテネ大会が開催されてから、今年で33回目を数えるオリンピック。
パリでの開催は第2回(1900年)、続く第8回(1924年)から数えて、今年の大会はちょうど100年ぶりということになる。
思えば前回の東京大会は、一年延期、そのうえ無観客での開催という、この行事にとっては痛手の大きすぎる異例の大会だった。
あの数年間の複雑な世界状況、そして感情を思い出してみると、そこから三年の今、再び人々が集い合え、本来の健全な距離感で物事を行えていることの有り難さを改めて思う。
まるで何十年も前のことのように錯覚してしまうが、ほんの、たった三年前なのだということに愕然とするのは私だけだろうか。
それほどに、人間は「喉元過ぎればナントヤラ」な生き物だ。
もちろんそれは、悪い側面ばかりではない。
苦しみを、哀しみを、辛さを過去に流し、その記憶を薄めていくことは、生きる為の大事な手段のひとつでもあるからだ。
けれど同時に、人間がしでかしてきた負の遺産、その代表格の戦争などは単純に忘れてしまっていいものでもない。
前に出していく一歩をより良きものにするために。
そういうバランスをうまく持ち続けていけたらいいなぁと思う。
個々人の中でのバランスとしても言えるが、家族という単位でのバランス、集団としてのバランスという在り方もあるだろう。
私たちの社会は、個人競技でもあり団体競技でもあるのだから。
le 20 Juillet 2024
工事と名のつくものはことごとく遅れるのが当たり前なフランス、その度合いときたら日本では到底考えられないレヴェルだ。
新しい音楽ホールの杮落とし公演、その当日でさえ、楽屋周りは配管や工事道具が転がってるわ、作業員が出入りしてるわ、あちこち埃だらけだわ... 信じられない光景だった数年前を思い出す。
そんな風でもなんとかなってきているのがこの国なのだが、世界規模の一大行事開幕を目前に控え、先日の革命記念日のパリ市内聖火リレーを皮切りに、ようやくアクセル全開の様子が伺える。
今回のパリ大会での「街じゅうを競技場にしてしまえ!」というブッ飛んだ計画は、さすが自由な発想大国フランス。
全世界へと同時中継されるパリの観光名所が、いかに美しく素晴らしいのかをこの機会を使ってアピールする、そんな抜け目なさを感じなくもないが、そんなことも含め、何世紀にもわたるこの国のやり方は一貫していて、ある意味憎めず、むしろ脱帽する。
チュイルリー公園 Jardin des Tuileries も全面閉鎖で驚いた。
コンコルド広場 Place de la Concorde に聳え立つオベリスク、その向こうにエトワール凱旋門 Arc de triomphe de l’Etoile を臨むことはできるが、普段なら噴水が涼しげに水しぶきをあげ、今の季節なら子供たちがボートを浮かべて遊び、周囲では人々がのんびり寛ぐ場所に、巨大バルーンが設置されていた。
普段のパリとはあちこちずいぶん趣(おもむき)が異なるが、さてどんな演出の数々が用意されているのだろう。
お祭りならではの特別な景色、これもまた一興なり。
le 21 Juillet 2024
ただでさえ国際規模の一大催事を行うとなると、そのための施設の建設や整備はもちろんだが、交通機関の細かい案内表示の新設 etc. 、またこのご時世、多くの人が集まることへの警戒も徹底せねばならず、相当数の警察官が全国から召集されている。
ましてや今大会は、街じゅうで競技が行われるため、あちこちにいかめしいバリケードが張り巡らされ、その区域に入るには住民であれ、車両で通過するだけであれ予め面倒な手続きが要り、当然ながらそれをいちいちチェックする人手も必要になってくる。
大企業のサポートなしにはとても成り立たず、ホスト国が負担するばかりでないとしても、大会の表舞台は言うまでもなく、全ての舞台裏に一体どれほどの経費がかけられているのだろうか。
改めて考えるまでもなく、これだけ大規模なことを行うには莫大な費用がかかるわけだが、それは何も今に始まったことではなく、有史以来ずっと繰り返されてきたことを思えば、なるほどこの星は、よく言われるように「行動の星」なのだと納得する。
’’行動’’ によって新しいものが生まれ、技術が向上し、発見があり、なにより、人と人とが繋がることで感動が生まれる。
そここそが、この星がこの星であることの所以なのだろう。
人間たちよ、大いに励め。
そのための環境が整えられていることを最大限に生かして。
そんな声が、どこからどもなく聞こえてくる気がする。
le 24 Juillet 2024
街の中央を流れるセーヌ川、川沿いに並ぶ歴史的建造物の数々。
それらを巧みに使い、斬新でありながらもエレガントな開会式セレモニーを演出したのは、42歳のフランス人演出家だ。
普段セーヌを上下する大小様々な舟を使っての選手団の入場。
その同じ時刻、謎の男が聖火を携えてパリの街の屋根の上を飛ぶように駆け抜け、ルーヴル美術館に侵入し、シャトレ劇場では『レ・ミゼラブル』上演に乱入という演出。
オルセー美術館、国立図書館、コンシェルジュリーやボザール(国立美術学校)も躊躇なく舞台セットとして使ってしまう。
ノートルダム寺院の大工事までも演出に取り込み、セーヌにかかる複数の橋々それ自体にも一幕ずつの時間が流れ、並行世界で聖火を運ぶという、まるでこの世の縮図のように多次元的な構成だった。
それらを縫うように、ビゼーやオッフェンバック、ラヴェル、そしてラモー... とフランスのクラシック & バロック音楽がふんだんに使われ、多分野にわたるフランス文化の底力が溢れる。
セレモニー中盤のセーヌに浮かぶ小舟での J. レノンの『Imagine』、ひとりひとりが何かを ’’想像(イマジン)’’ したであろう数分間は、祈りにも近いものだったのではないだろうか。
聖火点灯された気球が夜空に昇ってゆく同じ頃、メイン会場エリアの象徴であるエッフェル塔から日没後の空に光が舞い踊る中、難病と闘い続ける歌手 Céline Dion が名曲『Hymne à l’amour 愛の讃歌』を高々と歌い上げるという劇的なクライマックス。
新しいものを作るというより、フランスやパリ、のみならず人間の作り上げてきた数々の素晴らしい文化や遺産の上に、第33回オリンピック・パリ大会開会式という壮大な時間が流れた印象を持った。
そうなのだ、大切な物だからと手を触れず、大事に大事に仕舞い込んでおくのではなく、’’今’’ にしっかり役立てるという発想。
’’生かしていく’’ からこそ、本当の意味での更なる豊かさがもたらされるのだ。
その健全な ’’循環’’ こそが、’’愛’’ を再確認することにもつながる。
私たちにとって一番大切なものとは何か、とてもシンプルでありながら、深いメッセージ性の込められた特別な夜だった。
le 27 Juillet 2024
この季節には珍しい生憎の雨に見舞われた開会式だったが、一転して三日目からは晴天に恵まれ、各競技場の熱気とともに、観客のお祭りムードも更なる高まりをみせている。
もちろん選手にとっては ’’お祭り気分’’ とは程遠いだろう。
人生の全てをかけて、という表現が決して大げさではない厳しい鍛錬の日々、様々なものを犠牲にし、己を律して目も眩むような努力を積み重ねてきての、いざ本番のこの大舞台なのだから。
その真剣勝負ぶりはテレビ画面からもひしひしと伝わってきて、応援したい選手の試合ではこちらまで手に汗握る時間となる。
そして、勝っても負けても、結果が出た瞬間の彼らの心境がダイレクトに伝わってきて、思わずこちらまで涙してしまう。
結果そのものに対してというより、結果が出た瞬間の、フラッシュバックのように立ち上がってくる選手自身のここに至るまでの思い、そこに共鳴してしまうからだ。
彼らの日常がどんなものか、もちろん100分の1もわからない。
けれど、無意識のうちに自分の人生を照らし合わさずにはいられず、胸の奥が痛いほど振動するのを感じる。
究極的には、’’勝っても負けても、そのことじたいは単なる結果のひとつでしかない’’。
若い頃にはなかなかそうは思えなかったなぁと思いながら、全身全霊をかけて挑んでいる人の姿に拍手を贈らずにはいられない。
le 29 Juillet 2024
近代オリンピックの前身である古代オリンピック、その初回は紀元前776年に開催されたという説が有力だそうだが、更なる専門家によると、これは112年間中断されていたものが再興されたものだという研究結果が出ているようだ。
戦争と疫病による災難に頭を悩ませた都市国家エーリスの王イフィトスが、神託を受けたことが再興のきっかけとなったらしい。
再興前の競技祭は、英雄などの葬送儀礼として行われた可能性が高く、古代オリンピックは宗教的な儀式の色が濃かったようだ。
またオリンピアは古くからギリシャの最高神ゼウスの聖地でもあり、戦争を休止し、肉体を使ったパフォーマンスの競い合いを神々に捧げる、つまり奉納行事だったことがわかっている。
だが、戦乱を乗り越え開催されてきた四年に一度のこの行事は、移りゆく時代の様々な変容を受け入れざるを得ず、393年に行われた第293回を最後に、1169年の歴史に幕を降ろすことになる。
その火が途絶えて1500年もの時が流れた1889年、パリ万博にてフランスのピエール・ドゥ・クーベルタン男爵 Pierre de Frédy, baron de Coubertin(1863-1937)が提唱したオリンピック復興構想に多くの国々が賛同、晴れて1896年、第1回近代オリンピックがオリンピックの故郷アテネで開催されることとなったのだ。
’’言い出しっぺ’’ のフランスが、自国開催100年ぶりの今、かのオリンピアの地での儀式を顧みる展覧会をルーヴルで開催中。
何事にもルーツがあり歴史がある、そのことに改めて感じ入る。
Le 31 Juillet 2024
1976年モントリオール・オリンピックで圧倒的な人気をさらった ’’白い妖精’’、ナディア・コマネチ Nadia Comăneci のことは、当時 中学生だった私の記憶にもはっきりと刻まれている。
オリンピックの舞台で「10点満点」という史上初の得点を出したこともそうだが、なんと言ってもその完成度の高さは、点数に現わされるまでもなく圧巻としか言いようのない美しさだった。
スポーツの採点は、速さ、高さ、ゴールの数などで誰の目にも勝敗が明確なものと、審査員の主観で(もちろん細かいルールに則った上での判定だとしても)点数の出されるものとがある。
我々のクラシック音楽業界もその後者にあたり、コンクールの本選ともなるとそれぞれ魅力ある演奏をする人たちばかりだ。
採点のルールは設けられていても、人間が審査するのだから、個々の審査員が何をどう感じるのかが結果に大きく関係する。
審査される側の経験も、する側になった経験もあると、つい今も両方の立場から競技の成り行きを見守らずにはいられないのだが、コマネチは、誰も文句のつけようのない、いやそれ以上に、皆の ’’心を打つ演技’’ を披露した卓越した存在だったように思う。
先日の開会式終盤、夜も更けたセーヌの上を、往年のスターアスリート カール・ルイスらと共に小さなボートに乗って聖火を運ぶ場面は素敵なシーンだった。
半世紀も前に世界の頂点に立った人だから今はもうよぼよぼのお婆さんなのだと思い込んでいたのに(失礼!)、彼女が今なお美しく、気品に溢れていたことが私にはとても嬉しい驚きだった。
le 2 Août 2024
四年ごと、大会によって取り上げられる競技は微妙に変わる。
今夏のパリ大会では32競技329種目が実施されており、前回の東京大会での野球、ソフトボール、空手はなくなり、サーフィン、スケートボード、ブレイキンなどが加えられたようだ。
参加国の競技人口や時代の流れ、一般庶民ごときが知る由もない諸事情などと併せ、大会側が検討を重ねるものなのだろう。
古代オリンピックから連綿と続く、短距離走、中距離走、長距離走、円盤投げ、やり投げ、走高跳、レスリング、ボクシングに加え、ペンタスロンという五種競技も長い歴史を持っている。
古代オリンピックでのペンタスロンは、短距離走、走幅跳、やり投げ、円盤投げ、レスリングの五種だったようだが、近代オリンピックでの五種競技は、フェンシング、水泳、馬術、射撃、ランニングという内容に変化しているものの、一人の選手が一日の間にこの五種を行い万能性を競う競技であることに変わりはない。
ひとつの競技に的を絞って長年鍛錬を積む人もいれば、複数の全くタイプの異なる競技に磨きをかける人もいて、要は、生まれ持った資質をどこまで伸ばせるか、突き詰めると、自分自身をどこまで知ることができるのか、ということになると思う。
スポーツに限らず、ひとつのことだけに卓越した人生も、複数の得意分野を生かす生き方も、どちらも同じように素晴らしい。
この星に生まれ、己と深く向き合い、磨き、高めていけること、人種が異なり境遇が違えど、互いに讃えあえること、万人がそこに喜びを見出せる世の中であれと願わずにはいられない。
le 6 Août 2024
ただでさえ夏季は普段以上に観光客が多いパリだが、今夏はオリンピック開催とあって、何ヶ月も前から多くの警官の姿を見る。
各競技場の周辺以外にも文字通り至るところに彼らの姿があり、たいてい三〜五人ひと組で街の警護にあたってくださっている。
開会式の日はもちろんのこと、競技ごとあちこちの道路が封鎖されるので、我々市民は時に迂回せねばならないことも多く、あるとき女性警官に迂回路を訊ねたところ思わぬ答えが返ってきた。
「ごめんなさい、私、パリのこと全然知らなくて...」。
あ、そうか...! とその時に気がついた。
これだけの警官の数を集めているのだ、パリや近郊の警官だけでとうてい足りるはずがない。
早朝から深夜まで、あらゆる場所に彼らの姿がある。
全国からこの時期に集められた警官の数は一体何人なのだろう。
ポリスだけではない、迷彩服を着た軍隊の人たちも重装備で警備にあたってくださっており、そういう方々あってこその大きな大会が無事に行われていることを改めて思う。
競技を見ていてもそうで、表舞台が華やかであればあるほど、裏で支えておられる方々の規模やご苦労は大きいと容易に想像できるが、何せ表舞台にはその部分は殆ど見えてこないものだ。
何事にも、そして例外なく誰にとっても当てはまること。
にもかかわらず、往々にして我々はそれを忘れてしまいがちな生き物だなぁ... と思うことしきりである。
le 10 Août 2024
1903年にライト兄弟 Wright Brothers が飛行機による飛行を成功させるが、その二百年も前から人類は、熱、ガス、水素によって浮力を得る気球を作っては、数々の飛行実験を行ってきた。
そして遂に1783年11月21日、フランスのモンゴルフィエ兄弟 Les Frères Montgolfier によって、係留していない熱気球による史上初の有人飛行に成功、910mほどまで上昇し、パリ上空9kmの距離を25分間に渡って飛行したと記録されている。
そのわずか十日後の12月1日、やはりフランス人のジャック・シャルル Jacques Charles と彼のもとでエンジニアを務めていたロベール兄弟 Les Frères Robert らが、今度は水素気球による有人飛行に成功。(それにしても、’’飛行’’ への飽くなき探求がこれほどたくさんの「兄弟」によって為されていたとは興味深い)
パリ五輪の今回、モンゴルフィエ兄弟による実験が成功したまさにその場所 チュイルリー公園に、気球型の聖火台が設置された。
形をなぞっただけではない、開会式クライマックスでの、聖火の灯された気球が夜空高く昇ってゆく様はただただ美しく、その発想、センスに対して、脱帽、敬服、感服... 一体どんな言葉で表せばいいのだろう、心震える深い感動が今も続いている私だ。
開催期間中、日没後から夜半過ぎまでの数時間、毎晩この気球型の聖火台が夜空に昇る、そんな粋な計らいもフランスらしい。
人間の本能が揺さぶられるのか、夜空に浮かぶ気球を見ようと、ものすごい数の人々が夜毎パリの街に繰り出した日々。
競いつつも、様々な民族 / 人種が共鳴しあう熱い夏が終わる。
le 11 Août 2024
中学生にしては大人っぽく、大学生にしてはまだ少女の面影が残る... とすれば高校生ぐらいだろうか。
三人のマドモワゼルたちからは、自分をとりつくろう必要もない、気心知れた間柄だけに漂う信頼感が立ちのぼっている。
学校で毎日顔を合わせていてさえ、いくらでも話したいことは尽きず、その内容は、傍目(はため)には結構くだらないことだったりもするのだが、いやいや、断じて無駄なんかではない。
そんなコミュニケーションそのものが活力に変換できることも本能で知っていて、時には近づき過ぎて摩擦をひき起こしながらも、そんな経験すら糧として誰もが大人への階段を昇ってゆく。
その時にはそうとは気づけなかったことも、後々振り返ってみれば、どれだけ助けてもらえていたのかを、支えてもらえていたのかを、セピア色の写真を見るようにしみじみ思い出す時、あぁ、どの人とのご縁もかけがえのない、有り難いものだったのだなぁと今更のように胸が熱くなる。
間違いなく、今よりももっともっと未熟だった自分がどんな振る舞いをしていたのか、若気の至りとはいえ、思うに多くのことを都合よく忘却してきたはずの、自分を確立することなどままならぬティーンエイジャーの頃。
温かいものを、放つよりも、もらう方が多かったに違いないのに、それでもずっと繋がれることの有り難さは、何ものにも代え難い人生の宝のひとつだ。
le 16 Août 2024
昭和後期の小・中学生にとって、TVの『日曜洋画劇場』や『◯曜ロードショー』は、未知なる世界への扉のようなものだった。
うわぁ! なんてカッコいい俳優さんなんだろう !!!
海の向こうの異国にはこんな素敵な二枚目がいるのかと、信じられない思いで画面に釘付けになったことを鮮明に覚えている。
一瞬にして彼の虜になった『太陽がいっぱい Plein Soleil(1960年)』、その喜びに溢れたタイトルからは想像もつかないストーリーだったことも含め、当時の私に強烈な印象を残した映画だ。
フランスに住むようになって、彼の苗字の実際の発音は日本語表記とは異なることを知り(「ド」ではなく「ドゥ」)、吹き替えで親しんでいた野沢那智さんの声から受ける印象とはだいぶ違う、想像以上に低い、少しザラッとした声質の彼と出逢いなおしてからも、出演作品に魅せられ、繰り返し鑑賞し、生写真に出会うと見入ってしまうし(高くて買えないが...)、絵葉書を見ると買わずにはいられない、未だに。
どんな分野でも ‘’一世を風靡した人’’ はそう沢山はいないものだが、彼は間違いなくそういう存在、永遠の大スターだ。
心からの御冥福をお祈りせずにはいられない。
le 18 Août 2024
つま先まで隠れる長いドレスの裾を、少しでもぬかるみで汚さぬようにと気づかいながらそぞろ歩くブルジョアの婦人たち。
市井の女性たちはそんなことなどお構いなく子供の手をひき、あるいは物を売り、気ぜわしく往来を行き来していただろうか。
そんな中を馬車が往き交い、時にはここでお客を一旦おろすものの、その紳士がお菓子を買い求める束の間、他の客が目ざとく乗り込んではちょっとした口論になるなど日常茶飯事だったろう。
信号機もない時代、人も馬車も渾然一体、18世紀のざわめきが聞こえてきそうな街角。
歴史的な革命を乗り越え、やがて自動車が馬車に取って代わり、時代とともに人々の装いも変化していくと同時に、店内に並ぶ品々も少しずつ変化してきたのは言うまでもない。
創業1761年のこの店は、それら全てを見てきたのだ。
現代人にはなんとなく想像するのがやっとで、とてもじゃないが18世紀創業当時のパリの雰囲気を細かく実感するなど無理な話。
けれどここに立つと、この建物が、この場所が、はっきりと語りかけてくる。
どれだけテクノロジーが進んで、眼鏡のようにかけただけでその場を疑似体験できるようになっても、「ヴァーチャル」では絶対に得られない、おそらく一番大切な部分が ’’その場所’’ にはある。
le 23 Août 2024
留学生としてパリに来た頃、街で見かけるほとんどのカフェが店の外にも席を設けているのを見て、不思議に思ったものだ。
何故わざわざ道になど席を作るんだろう?
通行人もいて、排気ガスだって多いのに、何故わざわざ?
さらにこうも思った。
飲み食いしたお客が支払わずに帰ってしまう心配はないのか?
最近は日本でも、オープンカフェと呼んでいるのだろうか、テラス席を設けているお店も増えてきたようだが、昭和の日本にはそんな喫茶店などまずなかった。
ここに住み始めてみると、それには様々な理由や道理のあることがわかってきて、今ではもう当たり前の光景として目に映る。
古い洋画で、主人公が小銭を置いてサッと席を立つ、その所作が粋に見えたものだが、住んでみると日常の風景だとも知った。
国ごとの「文化」。
当たり前だが、日本にも独特のものがある。
それぞれの根底に、気遣い、そして美意識がある。
小さなひとつひとつが、風土や生活スタイル、ものの考え方から生まれるのだとしたら、日常にこそたくさんの「文化」が散りばめられていると言えそうだ。
le 25 Août 2024
ゆるやかな起伏のある街を歩いていると、ふと、自分の中の起伏に気づくことがある。
その起伏は、気分の善し悪しというよりも、気分そのものの彩りの違いとでも言おうか...。
あるいは、様々な記憶を保存したファイルの違いとでも言えばいいのか、なにかそんなものに近いものだ。
数年ぶりにばったり会った人から、幸せに満ち足りた素敵なオーラを感じとることができたり、ほんの数回しか会ったことのない人の、大切にしている部分を少し感じとれたりするのも、自分の中にゆるやかな起伏が存在してくれているお蔭かもしれない。
つるっと平坦なものは、一見すると平穏な雰囲気が漂っていて、リスクも少なそうに見える。
けれどその分、素敵なものを見過ごしてしまうかもしれないという意味では、それもまたリスクと言えそうだ。
上り坂があり、下り坂もあり、そこを歩く時の足の筋肉が違ってくることで、自ずと気づくものがある。
必ずしも人に言葉で伝える必要などない、自分だけが知っていればよい密やかなる気づき。
そこから芽生えてくるものがあるとしたら、なんだかその予感だけで心が、歩調が、軽くなってはこないか。
le 27 Août 2024
計画は、細かく立てることは出来ても、必ずしもその通りにいくとは限らず、むしろいかないことの方が多い。... ということが、ある程度の年月を生きていると経験としてわかってくる。
特に、’’どう生きるか’’ といった人生の道筋に関しては、あまりにも先々のことまで決めてはおけないもの。
自分の思惑とは全く別のところで、様々に準備され、用意されているものがある、そう感じずにはいられないのは、御縁という形でもたらされるものに気づく時だ。
ただ、人様との御縁や、思ってもみなかったものとの出逢いが、見事なパズルのピースとして腑に落ちるのは、後々になってからなのだが。
何はともあれ、導きのままに真摯に尽力していると、ある日突然、自分の計画とは無関係に次のステップが与えられる。
昇ってゆく階段が、「さぁ、迷うことなくここを上がっていきなさい」とでもいうように目の前に立ち現れるのだ。
但しその階段は、誰かと一緒に上れるものではなく、たった独りで、自分の意志で上がってゆくもの。もちろん何の保証もない。
様々なものとの決別を伴う場合もあろうし、一歩を踏み出すには覚悟も必要だが、確かなことがあるとすれば、「挑戦こそが生きる本質」、そんな促しがそこに込められているような気がする。
le 31 Août 2024
その日の天気、その日の体調、その日の気分 etc. 野生の動物たちはそういうものとダイレクトに向き合いながら生きている。
反して、本来は「豊かな生活」の為に作られた様々なシステムであるはずなのに、人間社会では本末転倒なことがよく起こる。
物心ついた頃から「これが常識」「これが規則」と洗脳に慣らされてきた脳みそが、複雑なシステムに守られることこそ有り難く、動物たちの生き方など下等だと捉えているふしがある。
もしくは、深層心理では羨ましがりながらも、彼らのような生き方を試してみようともせず、洗脳のままに早々と自分を規制し、暗示をかけてしまっている愚かさだろうか。
道なき道を自分のペースでゆく。
これは、実際には、自由と引き換えに大きなリスクもある。
けれど、誰かが作ったシステムの中で、言われるがままに、ひかれたレールに乗っかっていることの方が、実はもっと大きなリスクがあるのだということに気づいていない。
太古の昔には、余計なシステムなどなかっただろう。
彼らのように、’’健全な’’ 生き方をしていた時代があったはず。
その頃の豊かさ、とりわけ精神的な豊かさはどれほどのものだったのだろうか。
ふとした時に思いを馳せてみたりする。
le 1 Septembre 2024
家族とであれ親しい人とであれ、普段とは違う場所で一緒に時を過ごすと、会話の内容が普段とは違うものになる時がある。
それはなかなか素敵なことだ。
距離の近い人とだと、相手の思考もある程度知っているが故に、いつも似たような話題になってしまいがちだが、たまに全く違うことを話してみる機会が得られると、思いがけずお互いの別の面を知ることができ、また新しい世界が広がってゆく。
人間のコミュニケーションは、基本的には ’’直に会って顔を見て話すこと’’ だと思う私は、電話も手紙もメールもあくまでその代用で、ましてほんの短いひと言ふた言のやりとりに至っては、何かの連絡を取り合う、それに毛の生えた程度という感触だ。
絵文字のみの返信など論外で、親しければまぁ許せても、普段つきあいのない人からのそれはどうも違和感が拭えない。
どんどんお手軽なツールが開発されては、どういうわけかコミュニケーション内容までお手軽、お気軽に拍車がかかる昨今。
頭の回路も心の回路も(=精神の回路も思考の回路も)、それらに釣られてどんどん単純化していく気がし、なんだか ’’白痴化まっしぐら’’ というような不安に駆られるのは私だけだろうか。
機能は、使わなければ退化する。
退化した後ではそれにさえ気づけないのだ、哀しいことに。
le 2 Septembre 2024
穏やかな水辺で過ごす時、おそらく時間の流れ方も違うからだろう、心がふわっと緩(ゆる)むのがわかる。
浄化というほどの大げさなものでなくても、揺れ動く水の動きが、撫でるように心の塵を洗い流してくれるのがわかる。
風光明媚な場所である必要はなく、普段着のまま、午後のひとときを過ごす場所、そして時間。
コーヒーブレイク、ゆったりバスタイム、もっと無意識レヴェルにまで近づけるとするなら、就寝前の歯磨きのようなものとでも言えばいいだろうか、そんな、日々の生活を丁寧に支えてくれ、自分を健全に保ってくれるものと同質のものかもしれない。
気ぜわしく、慌ただしく過ごしていると、自分のことばかりになりがちだ。
それでさえギリギリの、パンパンの毎日とは一体何なのだろう。
大切な誰かにとっての、水辺のような場所でもありたいじゃないか。
その為にも、まずは自分を整えることを大切にしたい。
それは、日々の何気ないひとつひとつ、意識の持ち方、更には行動からから始まる気がする。
le 4 Septembre 2024
例えば、なんとなく交通の便が悪いというような理由だけで、足を運ぶのを躊躇している場所がある。
けれど、その面倒を押してでもそこへ行きたいと思う事が起き、いざ重い腰を上げてみると、考えていたほど厄介でも何でもなく、こんなことならもっと早く足を運んでみればよかった、そう思う場合がほとんどだ。
何を厄介だと思うか、何を面倒だと思うかは、自分の中にそれなりの理由があるのだが、それらは、意外にも大したことなかったりするものなのだ。
あれこれ考えを巡らせては二の足を踏んでいるよりも、あまり考え込まず気軽に行動に移してみることで得られるものは大きい。
悩んでいる間じゅう、なんだか重いものが溜まってくるのは、実際のところ、悩むことで重しが増しているに過ぎないのだから。
また、人の目を気にして行動に移せないまま時間ばかり過ぎていくのも、同じように勿体ない。
他人は好き勝手なことを言うものだと昔から相場が決まっていて、しかも言った先から忘れているものなのだ。
重しを外そう。
錨をあげよう。
帆を張り、軽やかに波の上を滑っていこう。
そもそも、失うものなど何もないのだから。
le 5 Septembre 2024
幼い頃、将来の夢を考える機会が学校で与えられたりする。
パイロットになりたい、サッカー選手になりたい、お花屋さんになりたい、歌手になりたい etc.
大多数の子供たちが、黄色い声で無邪気に語る。
大人たちからも言われる、「夢を持つことはいいことだ」と。
そしていつの間にか、「夢を持つこと」それ自体を、さも素晴らしいことのように勘違いしてしまうようになる。
「夢」は夢のまま後生大事に持ち続けるのが大切なのではない。
それを実現させるべく、自分が生まれる時にもらってきた能力を精一杯開花させてゆく行動をとる、とり続ける、その過程にしか「夢」への道は出現しない。
ぼんやりと、「こうなったらいいのになぁ」というのは、実のところ、本当の意味での夢と呼ぶものにさえなっていない。
「バーチャル」がさも高度なテクノロジーかのように蔓延る現代だが、永遠に「現実」には届かないことを忘れてはならない。
もちろん他人事のように、ただ漠然と夢なるものを空想し、そのバーチャルな世界に浸っているだけで満足なら、一生そうしていたって構わない、誰に迷惑をかけることでもないのだから。
けれどそうではないのなら、今やれることを全力で行動に移していくしかない、それは年齢に関係なく幾つになっても、だ。
le 7 Septembre 2024
江戸時代には、一年に五度行われていた五節供(五節句)。
その五つとは、一月七日の人日(じんじつ)、三月三日の上巳(じょうし)、馴染みのある名称では、五月五日の端午(たんご)と七月七日の七夕(たなばた)と言えるだろうか。
これに九月九日の重陽(ちょうよう)とで五節供となる。
順に、七種(ななくさ)、桃、菖蒲、笹竹、菊、というふうにそれぞれ植物と蜜に関係している。
菊という花は日本では仏花として使われることも多いので、縁起が良くない花だと早合点されてしまうが、実は、古くから不老長寿の力がある霊薬として信じられてきた縁起の良い花だ。
現代でも、お刺身に添えられた小菊の花びらを醤油に散らしてお刺身を食すが、平安時代から「菊酒(または「菊花酒」)」という、重陽の節句に長寿を祈って酌み交わされるものもある。
また、前日(八日)に菊に綿を被せたものを屋外に置いて香りと露を綿に移し、当日(九日)にその綿で顔や身体を拭いて長寿を祈願する「菊の被棉(きせわた)」という風習は、清少納言が『枕草子』に記し、紫式部は和歌に詠んでいる。
生命力と直結するパワーを宿す花。
重陽の節供の今日、改めて生かされていることに感謝すると共に、大切な人、身近な人の健康を願って菊の花を愛でたい。
le 9 Septembre 2024
江戸時代中期、徳川吉宗が江戸幕府第八代将軍の座に就いた享保元年(1716年)、『享保の改革』と呼ばれる幕政改革の一貫として、’’町火消し’’ の組織が作られた。
度重なる大規模な火事が、江戸の町を何度も何度も焼失させてきたことへの対策だったようだ。
隅田川の西側を受け持つ『いろは四十八組』、東側を受け持つ『本所深川十六組』。
その六十四組もの火消し団が、各組のシンボルとして独自の「纏(まとい)」と「半被(はっぴ)」を持っていて、いざ何処かで火の手が上がったとなれば威勢良く駆けつける、その様子は、浮世絵や時代劇などでなんとなく知っている人も多いはず。
纏は現代でも祭礼で使われ、半被はさらに馴染み深いものだが、普段の生活ではそうそう身近に感じられるものではなく、ましてやパリの街で「め組の半被」にお目にかかろうとは驚きだ。
この「吉原つなぎ」と呼ばれる腰柄といい、’’め’’ の字体、大きさ、配色といい、これ以上のバランスはない。
’’粋(いき)でいなせ’’ と言われることに深く頷いてしまうほど、江戸という時代が、いかにセンスに溢れていたのかを再確認させられると同時に、決して古びておらず、むしろ現代に於いてさえ最先端をゆく勢いに、驚きを感じずにはいられない。
庶民が育んだ数々の素晴らしい江戸の文化は、泰平の世の、精神的豊かさなくして生まれなかった、それは確実に言えそうだ。
le 12 Septembre 2024
ほつれる。
漢字では「解れる」と書く。
縫い目や糸がほどける、または結った髪がほどける状態に使い、毎日のように口にする言葉ではないが、例えば声変わり前のやんちゃ坊主が、服のどこかをしょっちゅうほつれさせては母親に縫ってもらっているとすると、意外に身近にある言葉でもある。
’’ほつれる’’ こと大前提として、古くから日本人の日常生活を支えてきた物の代表は「手拭(てぬぐ)い」だろう。
手拭いは、綿花の栽培が盛んになった江戸時代初頭から庶民に普及したものらしく、木綿の着物 / 浴衣を作る際に出た端切れをそのまま使い出したのが始まりのようだ。
そもそも端切れだから、手をかけることなく切りっぱなしで使ったようだが、むしろ端を縫製しないことで乾きが早く、雑菌の繁殖を防げる利点もあり、日常のあらゆる場面で重宝されてきた。
’’ほつれる’’ ことは、何も悪いことばかりではないようだ。
フランスでも上映中のこの映画のタイトルは、物語の展開からすると、一見そうではない方の意味合いが強いのかもしれない。
けれど、ポスターの中に写っている綿花に、手拭いからくるポジティヴなニュアンスをそっと重ねてみることで、エンドロールが流れた後の物語に優しい光をあてることができるようにも思う、それが監督の意に沿うかどうかは別として。
le 14 Septembre 2024
言わずと知れた江戸時代後期の浮世絵師 葛飾北斎(1760-1849)による『富嶽三十六景』全四十六図の中の『神奈川沖浪裏』。
欧州でも大人気なのは、ドイツの医師 / 博物学者のシーボルト(Ph.F.B. von Siebold 1796-1866)によるところが大きいようだ。
鎖国時代、長崎は出島のオランダ商館医として1823年から28年まで日本に滞在した彼は、様々な動植物の標本と共に、文学的・民族学的蒐集品5000点以上を欧州へ持ち帰ったと記されている。
近年その中に、なんと北斎の絵が含まれていたことが判明した。
2016年10月22日、オランダのライデン国立民俗学博物館が、同館所蔵のシーボルトが持ち帰った6点の洋風の肉筆画について、長年の調査の結果、葛飾北斎によるものだと発表したのだ。
『富嶽三十六景』の版行は1831年〜34年だが、シーボルトが江戸に上がった1826年、宿泊先を北斎が訪問した記録があるらしい。
あれだけの型破りな構図を次から次へと生み出した天才絵師は、晩年ですら創作意欲の減衰とは無縁だったといわれている。
あらゆるものを描き尽くさんとした彼が、西洋由来の絵画技法にも大いに興味を持ち、自らの栄養にすべく貪欲だったことは想像に難くなく、シーボルトを訪ねた宿でどんな会話がなされたのか、それに思いを馳せるだけでもワクワクしてくる。
浮世絵や工芸品など、数多くの江戸時代の日本美術が西洋人を魅了し、19世紀のヨーロッパで大流行した ’’ジャポニズム’’。
現代でも様々なシーンに息づいていることをひしひしと感じる。
le 16 Septembre 2024
19世紀前半に「写真」が初めて撮られたのがフランスなら、19世紀末に「映画」という形が生まれたのもフランス。
現代は世界中で盛んだが、フランスでの映画文化には歴史と共に誇りがあり、私がこの街で、数えきれない程の昔の日本映画を観ることができたのも、この国の底力のなせる業だと思っている。
宮﨑駿作品もとても人気が高いのは言うまでもない。
その宮﨑監督の最新作公開時に日本滞在していた私は、予告編含め事前の宣伝を一切行わないというこの映画、射すくめられるような直球のタイトルがつけられたこの映画に、普段以上の監督の強い思い入れを感じ、大きな期待と共に映画館に足を運んだ。
宮﨑監督については、多くのインタビューやドキュメンタリーから、彼の ’’産みの苦しみ’’ がとてつもないものであることを、ほんの一部にしかすぎないだろうが私たちは垣間見ることができる。
「引退宣言」後に何度も作品を生む世界に戻って来られることからみても、ご本人にもどうしようもないくらい、’’メッセンジャー’’ としての大きな使命を担って生まれてきたかたに違いない。
2023年に発表された最新作も、一度や二度観たぐらいではとうてい理解できないものすごい世界観で描かれており、何日もその世界と現実とを行き来してしまうような時間が続いた。
だが、とても残念で信じ難かったのは、平日の真昼間だったとはいえ、その上映回の観客が、なんと私ひとりだったことなのだ。
この状況を憂国と言わずして何と呼べばよいのだろう。
その映画のタイトルが更に強烈に突き刺さってきたのだった。
le 18 Septembre 2024
空はとても雄弁だ。
風が新しい季節の報せを運んでくれるように、いやもしかしたらそれ以上に、様々な語りかけをしてくれている。
一日として同じ表情の日はなく、時間帯によってもメッセージは異なり、もっと言えば、ほんの数分前、数秒前とも同じではなく、ぼんやりしていては受け取り損ねていることが多そうだ。
秋口の空は、夏を懐かしむように振り返るそぶりを見せながら、迎える季節への期待に胸を弾ませているような、そんな表情も見せてくれる。
何事にも言えるが、常日頃からいかに ’’本物’’ に多く触れているかで、人生の様々なことは驚くほど大きく変わってくる。
’’本物’’ を知ることで ’’操作された紛い物’’ を見抜くこともできる。
動物たち、植物たちは、きっとものすごいレヴェルで ’’本物の自然界’’ からのメッセージを受け取っているはずだ。
彼らにとって、今日明日の生死に直結しているのだから。
私たちニンゲンも、そうあれることが大切なのではないか。
確信を持って本当のメッセージを受け取れ、共振でき、応えられる状態でいた方がいいのではないか。
そう諭してくれる ’’本物の自然界’’、その本当の姿を深く知っていくことが、これからもっと重要になってくる気がする。
le 21 Septembre 2024
光が射し込む窓を、自分の中にしっかり持っていよう。
曇りなく、外側を、遠くまで見渡せる状態にしていよう。
そしてまた、風を通し、澱みをしっかり浄化していこう。
ただでさえ身の回りには、耳触りのよい謳い文句、見目麗しいものでいっぱいだ。
足音しのばせ、毒牙を隠しながら近づいてきているというのに、我々の生活を快適に、健康に、幸福にしてくれるものだと錯覚させられている。
便利だ便利だと呑気に浮かれ、流行に乗せられることに快感すら覚え、それらがどれだけ心身を危険に晒(さら)しているのかを知ろうともせず、平和ボケだと揶揄されることに開き直るありさまは、毒牙に毒すら不要なほどの為体(ていたらく)。
ありとあらゆる情報は、手元の小さな電子機器の、コントロールされたその窓に、引き込まれやすく作られているのだ、巧妙に。
いつの世も、玉石混淆はまず逃れられない。
その上で、何を恐れるべきなのか、何を疑うべきなのか。
何を信じ、何を選んでゆくのか。
周囲に惑わされず、自分で知っていくしかない。
自分の窓を健全に保つことが、大切なひとつのポイントだ。
le 24 Septembre 2024
パリ市内の水辺と言えば、真っ先にセーヌ川を思い浮かべる人がほとんどだろう。
街の中心部、歴史的建造物が立ち並ぶ区域を流れるセーヌは、いくつもの橋も含めて眺めが美しく、見飽きるということがない。
そんなセーヌを例えばちょっと気取った場所だとすると、サン・マルタン運河(Canal Saint-Martin)沿いは庶民的な味わいのある、これはこれで非常にパリっぽい場所だ。
下町を流れていることも関係するのだろう、陽の長い夏場だけでなく、年間を通して軽食や飲み物を持参した市民が両岸に集い、ここで陽を浴び、読書をし、語り合う、あるいは独りの時間をのんびり過ごす人も少なくはなく、誰もが自宅の延長のようにこの場所を共有している、そんな普段着の雰囲気がある。
「場の力」とは、目に見えないだけに具体的に立証しようのないもののひとつだが、周りへ与える影響が想像以上に大きい。
つまり、無意識に受ける影響が大きいと私は常々思っている。
土地ごとの異なる「氣」、それに共鳴する人々が集うことで、その場ならではの「氣」が立ち上がってくるわけだ。
そこに心地よさ、和やかさ、温かさ、柔らかさを感じとるとすれば、それは自分の「氣」と共鳴すればこそなのだろう。
出かけてゆこう、自分の「氣」の喜ぶ場所に。
優しい時間がきっと待ってくれているだろうから。
le 25 Septembre 2024
季節の変わり目には雨が降る。
春先もそう、秋口もそう。
「ひと雨ごとに季節が進む」、そんな言い方もあるほどだ。
そんな雨も、降り続くことなくいつか止む、必ず。
そのことも、何十年と生きてきて、経験からよく知っている。
なのに、傘を持たずの出先での、ポツポツと顔に受ける雨粒に、慌ててしまうのは何故だろう。
急いで身を寄せた軒下から、つい不安げに灰色の空を見上げてしまうのは何故だろう。
「いつか止む」、それを知っているのなら、一層のこと、雨宿りを楽しんでしまえばいい。
小降りになった隙を狙って急いで雨の中に出て行かなくていい。
いつ止むのだろうかと気を揉む必要もない。
そもそも、心配したところでどうなるものでもない。
雨雲の上には太陽がいて、時がくればまた陽の光を注いでくれるのだから、すべてを流れに任せ、大いなるものに委ね、どんな瞬間も心地よく、機嫌よく過ごすことに集中していればいい。
そんなふうに過ごしていたら、おや、いつの間にか天窓から、光が射し込んできたではないか。
ほらね、すべてはうまくいっている。
le 1 Octobre 2024
先々の自分の感情を、今あれこれ想像してみる必要はない。
’’その時’’ の状況が分かりようもないのに、想像すらできるはずがないのだから。
様々なパターンを想定し、その為の準備をしておく必要もない。
大抵それは、不安という土壌の上に建てた醜悪な建物である場合がほどんどなのだから。
明日の心配をするような習慣も知恵もなかった小さい頃、ただただ目の前のことに意識を向けていたのではなかっただろうか。
アレをやるにはコレが必要で... その前にはコウしなければならず... などと無闇に思考をこねくり回したりもしなかったはずだ。
本能と意識とを繋ぐケーブルの長さが必要最短で、驚くほど電流の通りのよかった頃。
全身軽やかに、何も持たず、行きたい方向へと足を運んでいた姿が、誰の過去にもあるはず。
そのさまは、幼い身体ながら堂々としていて、小さい歩幅ながらも着実に歩みを進めていくエネルギーの塊だ。
その瞬間の感情で全身を満たし、ただ前へと、何も疑わずに進み続けていたことは、記憶の底にしっかり刻まれているだろう。
誰に教わったわけでもないことが、小さい頃に出来ていたことが、今も出来ないはずがない。
ほんのちょっと、’’なにか’’ を思い出せばいいだけだ。
le 3 Octobre 2024
三輪車の次に買ってもらう幼児用自転車の、後輪につけた補助輪を外したのは何歳の時だったのか、今となっては思い出せない。
ただ、初めて補助輪なしで走った時の心細さといったらなく、この感情を薄っすら記憶している人も多いのではないだろうか。
大抵、親や年嵩のきょうだいに後ろを支えてもらい、こわごわ、そろそろと走り出すのだが、その時に必ずこう頼むのだ、「ぜったい離さないでよ!お願いだから!」。
後ろから聞こえてくる声も大抵こうだ、「わかってるって!」。
それが何度か繰り返された後、突如その約束が破られ、誰の補助もないと知った途端、裏切られた!という気持ちと共にパニックに陥り、急にヨロヨロと倒れそうになってはハンドルを思いっきり握りしめて踏ん張る、それもお決まりの流れだ。
幼児期の私たちはそんな体験を重ねながら、『自分自身をどこまで信じられるか』、その力をつけていくんだと思う。
二つの細い車輪だけで立っていることが一見不可能に見えても、バランスよく回転させることで横からの支えがなくとも立っていられ、自分だけの力で前へ進める、それを自信に変えてゆく。
そんな成功体験が、後の人生の様々なシーンに生かされていくことになるなど、あの頃はまったく想像もできなかったけれど。
le 6 Octobre 2024
夕焼けは、なんて温かなものを届けてくれるのだろう。
一日の終わりに、今日辛かったこと、悲しかったこと、苦しかったこと...、そんなあれこれを全部優しく受け止めてくれ、よく頑張ったねと寄り添ってくれている気がする。
その暖かい色合いで、強く深く包み込んでくれ、明日の幸せを確信できる気持ちにさせてくれる。
全ては大いなる宇宙の、愛に溢れた仕組みの中で、最善の在り方が取り計らわれているのだとしたら、今、目の前に、打ちひしがれる出来事が起きたとしても、その先には、花々の咲きほこる世界への道筋も必ず用意されているはずなのだ。
そう希望するというよりも、夕焼けは全力で、そのことを伝えてくれているのかもしれない。
たとえ昨日までと形は変わっても、それまでと同じように、否、それ以上に、我々の魂はどこまでも愛に生き、その繋がりはずっと続くのだということも。
le 8 Octobre 2024
パリ市内のあちこちに、巨大広告が出没するようになってもう何年も経つ。
始まった当初、セーヌ川沿いの古き美しき歴史的建造物に、現代的なデザインの、しかも特大サイズの広告が掲げられることに違和感が拭えなかったが、その光景が年々増えてくるにつれ、知らぬ間に慣らされてきていることに驚きを隠せない。
聞くところによると、歴史的建造物の修復を援助することで広告場所として提供してもらう、どうやらそういうことのようだ。
ファッション業界、テクノロジー企業などの大手の名前が目立つのは、莫大な費用を賄える企業ということを考えると、なるほどと頷ける。
洋服の流行り廃りが意図的に作られるのと同じように、今や電子機器も短いスパンで否が応でも買い換えなければならない構造になっていて、「消費社会」に増々拍車がかかる一方だ。
新し物好きな人も世の中には多いようだが、小さい頃から物持ちのよい私などからすると、丁寧に使っているのに何故買い換えなければならないのかと、正直、納得し難い心境になる上、地球規模で見た時に、土に還らぬ不燃ゴミの量を思って心が痛む。
誰に罪があるわけではないが、消費が経済を回す社会のあり方は、果たして本当の豊かさなのかと疑問に思うことしきりだ。
le 10 Octobre 2024
紀元前2800年に金属を磨いて作る「鏡」が誕生するまでは、人々は水辺や鉢に溜めた水に己の姿を映して眺めていたらしく、『水鏡(すいきょう)』、’’みずかがみ’’ とも読むそれが、歴史上、最も古い「鏡」ということになるのだそうだ。
『水鏡』には、’’水がありのままの姿を写すように、物事をよく観察してその真情を見抜き、人の模範となること、またその人’’ という意味もある、ものの本にはそうも記されている。
私たちは自分の姿を、自分の目で直接見ることはできない。
鏡や水に映ったもの、写真で撮影したもの etc.、何らかの媒体を通してしか己の姿を見ることはできない。
録音した自分の声を聞くと、まるで他人の声のようで何やらこそばゆいが、もしかした直接見る己の姿もそうなのかもしれない。
永遠に確かめようもないが、けれど目に見えるものだけがそのものの全てではないことを知っていれば、なにも ’’目で見よう’’ と躍起にならずともよい、ということにもなりはしないだろうか。
実際、どんなものでもそうだが、目に見えるものは表面的なことが多くを占めていて、勿論オーラから感じとれるものがあるとはいえ、内面、つまり本質を見ようとするとかえって見えていることが邪魔になる、そう思うことさえある。
自分を知るには、内面深く潜ってゆく、そんなイメージで己に対峙する方が、自分という存在の真髄に近づけるのかもしれない。
le 12 Octobre 2024
2019年4月15日の夕刻から翌朝まで燃え続けたノートルダム大聖堂の火災、あれからちょうど五年半が経つ。
鎮火まで15時間以上も要したこの大惨事は、尖塔が焼け落ちる凄惨な光景と共に、フランス全土を震撼させた出来事だった。
大掛かりな修復工事は今も続行中で、どの角度から見ても沢山の足場やクレーンが、作業の大変さを物語っているように見える。
バルセロナのサグラダ・ファミリアが何百年も工事中なのとは訳が違い、修復中の痛々しい姿に胸が痛むが、日に日に復活していく様子からはなんだか勇気がもらえるのも事実だ。
人生、悲惨な出来事が起きた時、目の前が真っ暗になるもの。
何から手をつけたらいいのか、手をつけることなど出来るのか、そもそも自分がその出来事を乗り越えていけるのか...、様々なことに押し潰されそうになるそんな経験が、規模の大小はあれど誰にでもあると思う。
けれどまた、後々になって、「どうやってあの時を乗り越えたのだろう?」と、その渦中のことを不思議なくらい覚えていないことも、多くの人の身に覚えがあるのではないだろうか。
「火事場の馬鹿力」という言葉があるが、無我夢中になった時、我々はとんでもない力を発揮する生き物なのかもしれない。
そんな機能が神様によって装備されているなど ’’トリセツ’’ のどこにも記されてはいないが、想像以上に我々はサバイバルな能力を宿している、それを信頼し、進んでいけばいいのだと思う。
le 15 Octobre 2024
秋を迎え、毎年この日が近づいてくると、彼の残した宝石のごとき名曲の数々が次々と頭の中に響きわたるのだが、今年は、ふとした時に聞こえてくるのが協奏曲第1番ホ短調だった。
弱冠二十歳にして、これほど情感あふれる曲を書いたということに改めて驚くが、生まれ故郷ワルシャワに別れを告げ、ウィーンへと出発する直前、彼自身の独奏によって初演されたことを思うと、そこに計り知れない想い、大きな決意や覚悟が込められていることをひしひしと感じ、何度聞いても心が震える。
人は、人生の岐路を迎えようとする時、無意識のうちに察知し、それに備える能力を発揮すべく、準備するのかもしれない。
変化の兆候を、細胞単位で感じ取っていればこその話だが。
いずれにせよ、自分を取り巻くあらゆる事柄じたいが常に変化し続けている限り、いくら「私は変わらないぞ!」と踏ん張ってみたところで、例外なく様々な影響を受けることは間違いない。
彼が、故郷には二度と戻れぬ覚悟のうえで出国し、生涯を終えることになるパリに辿り着いたのも、国同士の紛争や民族蜂起など、やむを得ぬ事情が彼をそこへ運んだとも言える。
けれど、天の導き / 計らいによる多くの人との縁、素晴らしい楽器との出会いや環境の中で、あれだけ多くの名曲を生んだ彼は、天賦の才を見事に花開かせたといえるのではないだろうか。
あまりにも短すぎる生涯だったが、彼自身にとって少しでも幸せな瞬間が多かったことを願い、墓碑の前で暫し祈りを捧げた。
le 17 Octobre 2024
何かを本格的に始めようとした時、必ず導き手がいたはずだ。
人それぞれ関わり方は違ったろうが、いずれにせよ一番最初は、文字通り ’’手取り足取り’’ 教えてもらったのではないだろうか。
私の業界ではそれを「手ほどきを受ける」という言い方をする。
右も左もわからぬ相手に、更に興味を持って進んでいけるようにと、 ’’その道’’ の良きスタートを助けるのには特別な労力が要る。
それが骨に沁みて分かるようになったのは、自分がその立場に立つようになり、何人もに「手ほどき」をしてきたからなのだが、つくづく思うに、ある程度の段階を終えている相手を導くのと、一番最初の導きを担うのとでは、様々なことが大きく違う。
だが時として導かれる側は、次の環境に進んで新しい師に出会った時、最初の師を踏みにじることがある。
私自身が導かれる身だった時には、幸いそんな流れになどならなかったものの、若い時はとかく色々な人の教えを請おうとするもので、中には疑問の気持ちのわく方がおられたのも事実だ。
けれど長い年月を振り返り、大きな視点で見た時、どなたが欠けても今の私はなかっただろうし、殊(こと)に、最初の ’’導き手’’ のお蔭での今の私だ、ということもとてもよくわかる。
「道」を極めていく上での御縁は全てがかけがえのないものだ。
le 20 Octobre 2024
誰を待つわけでもなく、特に何をするわけでもなく... そんな、一日のうちに何度か訪れる隙間時間、最近の人々は年齢層に関係なく、すぐさま手元の電子機器を触る傾向にあるように思う。
中には隙間時間など関係なく、食事中であろうが何をしていようが、四六時中その小さな画面の上に指を滑らせている人も多い。
そのくせ、肝心な返信は後回し、個人的な誘いかけや提案に対してでさえ、自分に興味がなければ完全無視、無反応のまま放置、そういう信じられないことをする人がどんどん増えてきたのは、決して私の気のせいなんかではない。
思うに、現代機器を通して行う ’’便利ぶった’’ システムばかりが増える中、生身の人間同士の直接の接触、本来のコミュニケーションが、驚くほどの勢いで減ってきているからではないのか。
「その機器の先には人間がいる」、そのことをすっかり忘れているから、そんなぞんざいな対応が平気で出来てしまうのだろう。
なんと嘆かわしいことだろうか。
いやそれ以前に、なんと愚かしいことだろう。
機械ごときに操られ、いつの間にか下僕に成り果てるとは。
今一度、’’人間’’ としての在り方に思いを巡らせたいものだ。
心の機能を失ってしまう前に。
感情の泉を、涸(か)らしてしまうことになる前に。
le 22 Octobre 2024
そこへ行きたいという望みを、どれだけ純度高く持ち続けられるかが、そこに向かう最適な道を見つけることにつながる。
けれど心のどこかに、「どうせ難しいのだろうなぁ」とか「そもそも自分なんかにゃ無理だろうし」、あるいは「失敗したら格好悪いし」などのマイナス思考をたった一滴でも放置していると、それらはいつの間にか濁った水となって思わぬところからじわじわ浸み込み、本体を浸蝕、最後には腐らせてしまう。
「やる」か「やらない」か、そもそもそんな二択を前に悩んでいる時点で、自分の答えは決まっているのだ。
自分のアンテナに引っかかってこないことなら、そんな悩みじたい出てくるはずがない。
他人の心を読むことなどとういてい無理なことだが、実は、自分の心を読むことも、意外に簡単ではなかったりする。
長年の「考えグセ」もそれにひと役買っているのだから、なかなか根が深い。
けれど、植物がいつも光を求めて伸びていこうとするように、自分にとっての光さえ見失わずにいれば、そちらへと情熱の炎を傾けていくことで、心の奥の喜びの声が聞こえてくるだろう。
その光の中にたくさんのヒントや導きが用意されている、潜在意識は、そのことにもとっくに気づいているのだから。
le 24 Octobre 2024
その時、その場所に、数えきれないほどの「それぞれの世界」が同時に存在する。
けれど普段 私たちは、そんなことなど特に意識もしない。
それどころか、公の場でさえ、ニンゲンはいつも自分中心に、むしろ己のことだけ考えて行動する人が時代と共に増えつつあるが、実際には、一見何の関係もなさそうな複数のものが、すぐ隣に、時には少し重なるようにして存在しあっている・・・
そう考えた方が色々なことの辻褄が合うような気がする。
そして、表面的には意識できないレヴェルだろうけれど、確実に何らかの影響を与え合っているような気もする。
自然界がまさにそうではないか!
なのに、そんな摂理に刃向かおうとするかように、それぞれを分断させるようなシステムばかりが加速度的に蔓延する現代。
わかりやすい例で、最近では普通に道を歩いていてさえ、対向者とスムースにすれ違うことすら難しい、私はそう感じてしまう。
顔を落とし手元の電子機器を見ながら歩行する人が格段に増えた日常は、そんな物が登場する前と同じ星とは思えないほどだ。
複数のものが共存すること、それらが絶妙なバランスでお互いを在らしめていること、これが健全な形ではないのだろうか。
そうでない方向に突き進むことが、どれだけ人類の危機に瀕することになるのか... 手遅れになる前に目を覚まさねばと思う。
le 26 Octobre 2024
「成功したい」、「お金持ちになって裕福に暮らしたい」、そんな欲求を、持ったことのない人の方が少ないだろう。
けれどそういう漠然とした欲望は、人生という航海の中での沢山の経験や、それらを通して味わう様々な感情の前では、ある意味とても平べったいものに映る。
つまり、それ自体を目標にしている時点で、たった一度きりしかない自分の人生に本気で向き合っているとは言えないのではないか、そういう問いかけにもつながるからだ。
脇目も振らず、寝食忘れて情熱を注がずにはいられない、そんな日々が熟す過程で、賞賛(成功)なり、お金という形での豊かさを受け取ることになるのであって、それ自体を目標としているうちは、未だ何も始めていないのと同じかもしれない。
ふと気づいたら、そういえばかつて望んでいた(或いは少し違っていても)成功という形が手に入っていた、しかも満足いく報酬を受け取ることももれなくついてきた、そんな流れに乗っている人は、いつも自然な輝きをまとい、自身が風のように軽やかだ。
他人の目を気にせず、己の魂の喜ぶことにただただ集中し、濃い時間を丁寧に重ねていく先で思わぬ方向から光が射してくる、そのことをよく知っているからなのだろう。
予期せぬ時に照らす光こそが、本物の姿を浮かび上がらせるのだとしたら、何に意識を向ければよいかは自ずと見えてくる。
le 29 Octobre 2024
大人になる過程で、私たちは沢山のものを身につけていく。
知識、経験、技能、それに物質的な様々なものを。
それらが人生を豊かに、自分を幸せにしてくれると疑いもなく思うがあまり、貪欲なまでにより多くのものを持とうとする。
多ければ多いほどいいのだとばかりに。
けれど本当にそうなのだろうか。
子供たちはいつも、その時々、自分の身の回りにあるものから豊かさを受けとることに長けていて、道端に転がっている石や花に群がる虫、面白い形をした雲や噴水の水しぶき、踊るように舞う枯葉、陽の光が作るボーダーな影模様 etc. 大人が見過ごしてしまうものたちに全力で興味を向け、その魅力と瞬時に繋がって戯れる様は、まさに魂ごと歓喜しているかのようだ。
「童心忘れるべからず」というが、それは ’’童(わらべ)’’ だった頃の感性で物事に接し続けることが、豊かさに、ひいては幸せに繋がってゆくのだ、ということのように思う。
大人になって身につけた多くのものは、別の見方をすれば、付き過ぎた皮下脂肪のようなものだと言えなくもない。
そもそも、’’生まれながらに全てを持っている’’ のだとしたら、より多くを持とうとするあまり、本当に大切なものを知らぬ間に失くす、という愚行を働いている可能性もあり得るのではないか?
le 31 Octobre 2024
のみの市で、隅の方に一枚だけポツンと置かれていたプレート。
直径24cmの、要するに中皿という大きさで、特別高価な品物ではないけれど私の好みにピッタリ!
手に取ると程よい質感で、是非とも連れて帰りたくなった。
日本円に換算するとものの数百円というのも有り難かった。
日々の第一食をこのお皿を使っていただく日常は、買った時に想像していた以上に私の心をウキウキさせてくれるもので、食事をしている間じゅう、そして食後にそれを洗っている間ですらなんだかニヤニヤしてしまい、幸せな気分になる。
日常で使うもの、自分の身につけるもの、居住空間に置くもの、それら全てをお気に入りで満たすことは、余程の人でない限り現実的にはなかなか難しい。
けれど、ピン! ときたものを自分の生活に取り入れることで、確実に自分のテンションが上がるのは事実だ。
無意識のうちに丁寧に扱うことで、自分の気持ちも整うような気もし、「今日もいい一日になりそう☆」と思えるのは大きい。
私は、いわゆる高級ブランドものには興味を持ったことがないので、ヴィトンやシャネルなどとのご縁も(今のところは)ないが、自分の感覚にピタッとくるものが、結局、自分にとってのかけがえのない「ブランド品」になるのだと思う。
le 4 Novembre 2024
’’ 甍(いらか)の波と雲の波〜♪’’ と童謡『こいのぼり』の歌詞にあるが、転じて ’’車の波と雲の波’’ ということになろうか、その ’’重なる波の中空(なかぞら)’’ に、国立パリオペラ座ガルニエ宮がシャネルの広告を掲げた姿で鎮座ましましている。
数年前はファサード全面がベニヤ板ですっぽり覆われ、巨大な箱として存在していた時期もあったことを思うと、高々と竪琴を掲げるアポロンの姿やクーポール(ドーム型屋根)部分によって、辛うじて歴史ある国立歌劇場としての威厳を漂わせている。
さすがに何年も続いた工事もそろそろ完工かと思っていたら、なんとつい数日前、2027年半ばから二年間の休館が発表された。
新しい方のオペラ座(オペラ・バスチーユ)も、2030年半ばから少なくとも二年間の休館が決まったそうだ。
これら両オペラ座の休館は、舞台装置の近代化などを含む内部工事の為で、外装工事期間とは異なり、公演そのものを長期で休まざるを得ないという意味では我々の業界にも直接関係してくる。
良い状態でこの先も長く使っていく為には、時には時間をかけての丁寧なメンテナンスが必要になってくることを思えば、我々にも似たようなことが言えるのかもしれない。
とはいえできる限り ’’工事’’ などしないですむよう、一生モノの身体を、日頃から健やかな状態に整えることを意識していたい。
le 6 Novembre 2024
「グッチ」は誰もが知る高級ブランドのひとつだが、改めて調べてみて創業者のフルネームが「グッチオ・グッチ Guccio Gucci」だと知り、思わずクスッと笑ってしまったことを白状しよう。
それはさておき、創業者の名前をそのままブランド名に、というのは多いが、中には商品を長く売っていく為に考え抜いてつけられたものも多く、それぞれに思い入れがあり、センスの光るもの、ウィットに富んだもの、色々だなぁと思う。
昭和六年という時代に、カッコいい洋風のネーミングで設立された「ブリヂストン」は、創業者 石橋さんのお名前「石」と「橋」をひっくり返して英語にしてあり、なかなか遊び心満載だ。
同じように「サントリー」も、やはり創業者 鳥井さんのお名前からきているのは有名な話である(「サン」はこの会社の商品「赤玉ポートワイン」の赤玉を太陽(Sun)に見立ててのこと)。
「名前」というのもは、単に識別する為だけにあるのではなく、特に私たち日本人の名前は「漢字」によって意味合いも違うと思うが故に、私は、自分の名前もそうだが、人様のお名前も日頃から大切に扱いたいと思っているもののひとつだ。
「音(おん)」が同じでも漢字によって全く別の名前になり、想像以上に性格や生き方にも影響があるような気がする。
西洋人には絶対味わえない私たちの特権で、日本人に生まれてきたことを嬉しく、そして誇らしく思えてくる。
le 8 Novembre 2024
人間は ’’言葉’’ というものを持っていて、人との関係を深めたり、気持ちを伝えあったり、教え教えられる場面でも大いに役立つ。
けれど時には、それがあるばかりに人との関係が悪くなったり、誤解を生むことを引き起こしたり、傷つけあうことにもなる。
また、当人不在の場所でその人のことをいくらでも好きなように言えてしまい、それが褒め言葉なら問題ないが、人間というものはとかくマイナス面を見つけるのが上手すぎるのだから厄介だ。
’’あの人は嫌われ者で有名らしい’’、そんな噂を聞こうものなら、「そうなのか!」とばかりにそのレッテルを貼り、まるでウィルスが蔓延するような速さで嬉々として吹聴してまわる、そんな恐ろしい一面も持っているのがニンゲンだ。
直接会ったこともないなら絶対にわかるはずがない、絶対に!
たとえ、自分以外の全ての人が異口同音に語っていたとしても、その人と自分との相性は全く別である可能性は小さくはない。
だから軽々しく語らぬ方がいい、会ったこともない人のことを。
ドス黒い噂が耳に入ってきても、鵜呑みにしない方がいい。
「演奏」もそうだが、「写真」も、’’言葉’’ が介在しないものという意味において、個々人の受け取り方だけで完結する世界だ。
でも実は、たとえ言葉の介在するものでも、’’自分の感性’’ で受け取り、感じ、判断すべきなのだ、要はすべての対象に対して!
le 11 Novembre 2024
もともと似た者同士が惹かれ合うということもあるのだろうけれど、「夫婦はだんだん似てくるもの」とも言われるように、周りのご夫婦を見ていても、確かにそう思える方々が少なくない。
ペットと飼い主にも同じようなことが言え、犬飼いであれ猫飼いであれ、そういう微笑ましい例を多く見かける。
長時間一緒にいることで互いに似通ってくるのだろうが、種を超えてさえそうなのだから人間同士なら尚さらだ。
このお二人も、被写体依頼をしたわけでもなく、当然こういうポーズを取ってくれと頼んだわけでもないが、身体つきや筋肉の使い方など、かなり近いようにお見受けする。
雰囲気というか、よく見るとお顔の表情もけっこう似ている。
同じ生活環境で寝食を共にするということが、長い時間の積み重ねの中でこういう現実を作り上げるのだとしたら、それは外見だけにとどまることではないだろう。
当然とも言えるが、仲の良いカップルほど価値観が似てくるものだし、それによって思考パターンも増々似てくるように思う。
友人との関係も同様で、もともと気が合うからこそ親しくなっていくのだが、お互いにどう影響しあっていくのか、できるだけ互いの素敵なところをこそ引き出しあえ、伸ばしあえる人と、人生の中での大切な時間を過ごしたいものだ。
le 13 Novembre 2024
何気ないことでも、自宅のリヴィングで話すのか、カフェで話すのか、散歩しながら話すのか etc... 会話というものは、シチュエーションによって想像以上に展開が変わってくるものだと思う。
私は、事務的なことならまだしも、込み入ったことを相談したり、大切なことを真剣に話し合いたい時、「電話」という手段を使うのはどうも気が進まない。
ちょっと前まで普通に使っていた家の電話機(いわゆる黒電話)と違って、最近のものは作りが全然違うのか、回線じたいも違うからだが、とにかく ’’ニュアンス’’ があまりにも聞き取りづらい。
ただでさえ、「言葉」のみでのやりとりでは伝わることに限界がある上(メールなどの媒体でも同様に感じる)、ましてや野外での通話など、私にとってはまるで機能しないも同然だ。
「顔を合わせて話す」とは、「言葉」だけでなく、いくつもの手段を同時に使って交信している、という状態だ。
場合によっては、「言葉」が補助的なものでしかない時もある。
そもそも自分と自分以外とは、どれだけ親しくても、どれだけ似たところがあっても、考え方まで全く同じという人はいない。
むしろ、’’実は想像をはるかに上回るレヴェルでかなり違うのだ’’ ということを、歳を重ねてより実感する。
だからこそ、伝え合うことの「手段」を丁寧に選び、ご縁ある人とのつながりを、大切に扱っていきたいと常々思う。
le 14 Novembre 2024
季節の変化は一直線ではなく、昨日は寒かったのに今日は暖かかったり... 不規則に行きつ戻りつしながら進んでいく。
カレンダーをめくるようにはいかないから、その境目はいつも曖昧で、気づくとすっかり季節が変わっている、という印象だ。
十一月も半ばとなると、街行く人々は真冬の装いで、日に日に灰色が増してくる空と相まって、いよいよ冬の到来を実感する。
「小さい秋みつけた!」と思った日はいつだっただろう... ふと、遠くを振り返る心境になるのもこの時期のような気がする。
同じように、人生に於いても後になって明確になることがある。
「あぁ、あの時のアレがそうだったのか!」と。
何故なら人生も、計画通りスイスイいくとは限らず、日常レヴェルで起きる想定外のことへの対応に目線を奪われがちだからだ。
でも、はっきり言えることがある。
日単位で見ていると「なんだか気候がヘンだなぁ...」と思えても、大きな視点で見れば、問題なく季節は巡っている。
人生も同じ。
だからあまり心配し過ぎなくていい。
全ては ’’予定どおり’’、’’うまく’’ 進んでいるのだから。
le 15 Novembre 2024
公園のベンチは、木陰に備え付けてあるものの他に、好きな場所に移動させられる背もたれが90度のもの、空を仰ぎ見て日光浴しやすくしてあるのか、寝そべるような角度の一人がけもあれば、仲良く二人で向き合えるようなデザインのものもある。
そういえばある映画館には、後方の数列にだけ、ひと列につきひと組のカップルシートがあるのを見たことがある。
考えてみるとこの国では、性別の組み合わせはそれぞれだが、夫婦なり恋人なりの「カップル」単位が日常的だ。
田舎はまた違うのだろうが、パリ市内では、そもそもアパルトマンの造りからして複数の世帯が一緒に住むようにはなっておらず、子供も大学生くらいになるとほとんどが親元を離れてゆく。
対して日本は「家族」というものがひとつの単位だという認識が強く、昔からの二世代(三世代)同居的な考え方が、今の時代でも根底にあるように感じる。
こちらでは、年齢層に限らず「独り暮らし」も珍しくない。
既に自分の生活スタイルが確立している中年以降に出会ったカップルなどは、普段は別々の家で暮らすことを選択している例も多く、配偶者に先立たれた後の独り暮らしのご老人も多い。
両国それぞれの良し悪しはあれど、究極のところ人間は、「自分」と向きあい、自分で考え、自分で選択して生きていくしかなく、大家族の中ではその思考回路が育ちにくいように思う。
共依存でなく、助け合っていける関係を育んでいきたいものだ。
le 17 Novembre 2024
冬時間へ移行して三週間、いよいよ本格的に寒くなりはじめ、日の出も遅くなったが日の入りも早く、夕方の街の色は、まるで夜へと急ぐようにその深みを増していく。
それまでの流れとは異なる思いがけないタイミングで、誰かから何かを差し出された時、よほど信頼できない相手なら別だが、その人の厚意を感じ取れるセンスを持っていたいと常々思う。
想定外の提案に驚いたとしても、そうしてくれた相手の胸の内を想像し、有り難く受け取れる思考の柔軟さを忘れずにいたい。
往々にして、己の単純な脳が主張する「今、必要としていること」「今、自分が欲しいもの」とは一見関係のない角度から、一番望んでいた方向へ導かれることも多く、差し出されたものを素直に受け取ってみた時、予想だにしなかった素敵な扉が立ち現れる、そんなことが人生の中ではけっこう頻繁に起こるからだ。
特に、自分が進んでいきたい道の、はるか先を歩いている人からの助言には、その扉を開ける鍵の含まれていることが多い。
必ずそうだとは言い切れずとも、「今回はパスしてもまた次の機会があるさ」などと思っていると、脳ではなく魂が本当に欲していたものを、永遠に取り逃がしてしまうことにもなりかねない。
晩秋の夕暮れは、思った以上に早くやってくる。
陽の長い夏場と同様ではないと、先をゆく人は知見を得ているからこそ、親身な提案を差し出してくれているのだと思う。
le 18 Novembre 2024
全く無関係に見えていたたくさんのピースが、信じられない速さでピタッピタッとはまってゆき、ひとつの美しいジグソーパズルが見る見る仕上がっていく、そんな光景を見せられる時、人間の力など到底及ばぬ大いなるものによって、自分は今、ここに、この状況に導かれている、そう確信させられる。
一見理不尽に思えるようなことでさえ、大切なパズルのひとつのピースとして存在してくれていたのだと理解できた時、あらゆることは全て、良きことの為に起きている、その理(ことわり)を丸ごと受け入れられ、感謝で胸がいっぱいになる。
けれどそう曇りなく実感できるのは、目の前に立ちふさがる「覚悟のほどを問われる状況」に対して真摯に対峙し、全身全霊を以って覚悟を決めた、その後だ。
真っ正面からの容赦なき問いかけも含め、あらゆるメッセージを受け取り損ねぬよう、いつもアンテナをしっかり立てていたい。
波動を乱してくる邪悪な念を巧みにかわす必要もあろうが、実はそれすらも、大いなる計らいによって守られていると気づけることで、全ては準備され、整えられ、与えられるのだと知る。
悠久の時を超えて音を紡いできた、天に一番近いところに位置する楽器、彼の発する計り知れないパワーによって全てが浄化され、波動そのものとなって眩い光と同化する時、ただただその中に溶けてゆけばいい、そう魂で納得できるだろう。
その時こそ、宇宙と繋がる数千本のパイプが立ち現れるのだ。
le 22 Novembre 2024
この世に誕生する時、肉体を脱いでこの世を去る時、その状況はひとりひとり違い、誰ひとりとして同じ人はいない。
つい私たちは、そのふたつの「瞬間」にフォーカスしがちだが、魂的な観点から見れば、それらは単なるひとつの通過点にしか過ぎないような気もする。
この星が『行動の星』であり、「行動する為に肉体を借りる場所」なのだとしたら、大切なのはその二点に挟まれた「ここに生かされている間」であり、その中身だろうからだ。
だとすれば、その時間が長いか短いかではなく、魂が望む生き方をしているかどうか、ということになるのではないだろうか。
各々が生まれてくる時に携えてきたもの、それらを存分に生かすことで己の魂が歓びに震えるからこそ、おのずと湧き上がる愛に溢れた行動は、世の中にたくさんのプラスごとを放ってゆく。
芸術家や建築家、文筆家、思想家 etc. の肉体が失くなった後も、放たれたものが在り続け、影響を与え続けている現実を思うと、彼らの「使命」が、肉体を脱いだ後も続いていることがわかる。
実は、職業関係なく、全ての人に於いて言えることなのだが。
時に奔放でもあった彼が、決して長いとはいえぬ45年の人生で、才能をフルに生かし情熱の限り放ったものは、今も尚、世界中の人々に愛と勇気を注ぎ続けている、その事実が今日も眩しい。
le 24 Novembre 2024
時計の歴史を調べてみると、機械時計の誕生を待つまでの何世紀にもわたる飽くなき探求と試行錯誤に、人類とはいつの世も ’’より便利なもの’’ を作り出したくて仕方のない生き物なのだなぁと、ある意味感心するが、ある意味で呆れもする。
16世紀後半、ガリレオが規則正しく動く振り子について研究。
その原理を利用した機械時計が17世紀半ばに発明され、「時間は常に一定の速さで流れる」という概念が定着したと言われる。
万人が、共通のものとして「時」を認識することで、様々なことがスムースに進むようにはなっただろう。
社会全体が大きく変化したことは容易に想像できる。
しかし、そもそも「時は常に一定の速さ」なのだろうか?
現に日常の中で、「あっと言う間に時間が経っていた」ことは誰もが経験済みだろうし、逆に「なかなか時間が進まない」と感じることもあり、単に気のせいと片付けるには不思議な体感だ。
太古の昔、日時計や天体観測によって「時」を認識していた時代は全てが「自然界」と蜜に繋がっていたが、そうではなくなったことでアナログからデジタルに思考の舵をきったとも言える。
遥かなる頃、人々の ’’生き方’’ はどのようなものだったのだろう。
今となっては戻れるはずもないが、もしやそこに、何か大切なものを置いてきてしまったのではないか、と時々考えたりもする。
le 26 Novembre 2024
8世紀前後、中国から律令制を取り入れた日本は、そこに内在していた「男尊女卑」の観念を、長きに渡って定着させていったようだ。
実際、私の幼少期、成長期でさえ、表立って言い立てられずとも、学校や家庭でそれが一般的な観念だったように思う。
そういう背景もあって日本女性は、欧米流の「レディーファースト」を羨ましく見ている節がある。
けれど中世ヨーロッパで生まれたこの習慣、諸説あるようだがその起源は、今の女性が憧れるようなものとは少々違い、男性中心のその時代において、男性の身を、刺客から守る為の盾、毒殺から守る為の毒味役、それが女性だった、とも言われている。
確かに調べてみると、欧州も女性の地位が低かった時代があったことに今さらのように驚いてしまう。
とはいえ欧州では、もう何世紀も前から、今の時代に一般的に思われているような意味でのこの流儀が浸透している。
パリでも日常的に、人目があろうが全く意に介することなく、ご主人が奥様を大切に扱っておられる光景をよく目にする。
このご夫妻にもそれが見て取れるが、奥様が厚かましいわけではなく、ご主人の思いやり、そして奥様からもご主人への信頼が溢れているように見え、穏やかな愛の通う様が晩秋の風の中に溶けてゆく束の間、こちらの心まで温めてもらえた気がする。
le 27 Novembre 2024
たとえどんなに氣の合う相手とであれ、残念ながら ’’100%すべてをわかり合える’’ というふうにはこの世は作られていない。
むしろ、少しでも深くわかり合える為に、自分の心持ちや思考、生きていく上での信条をいつも見直し、心を錆びつかせないように日々を送ることで自分を整え、その上で大切な相手に向き合う、そういうことを丁寧に行うべく作られているように思う。
ましてや、相手も ’’なまもの’’ である人間なのだ。
己のことすら適切に扱いきれないのが我々という生き物なのだとしたら、長い年月を一緒に重ねてきた相手にも、きっと様々な思いをさせてきたに違いない。
「お互いさま」、そう笑いあえる相性の人なればこそ、心を尽くして傍(かたわら)に寄り添える時が持てたことを、幸せのひとつの形だと呼んでいいのだと思う。
深いご縁の相手と、魂が知っている本当の意味での関係を見つけていくことが、この世で万人に課せられた、大切な課題のひとつなのだろうから。
le 28 Novembre 2024
車間距離や時速を自動制御してくれる車、床の材質を瞬時に判断し機能が切り替わってくれる掃除機、人の居場所を察知し快適な風速で室内気温を調整してくれるエアコン、数え上げればキリがないほど、『自動』『高機能』なものに囲まれている今の時代。
そんなものの登場の度、「こんな凄いものが!」とまるで人間より遥か高次なものに出会ったかのように目を輝かせる人も多く、日常のあちこちに溢れていることで、いつの間にか「人間なんて低脳なんだ」と ’’自動的に’’ 思い込まされているような気がする。
例えば「ひと目惚れ」とは、文字通りひと目見た瞬間に心を奪われ、夢中になってしまうことを言うが、それは必ずしも「視覚」だけの判断ではなく、思うにその瞬間、感覚にまつわるいくつもの回線が、とんでもない超高速で化学変化を起こすのだろう。
そんな高機能を、私たちは最初から持って生まれてきている。
理屈ではなく感性で共鳴 / 共感できるものがあり、目線ひとつ、相槌ひとつで共振が起き、魂からの快哉が聞こえてくるような相性の人と出会える確率は、実は思うほど高くはない。
もちろん、自分自身も変化する生き物なら、相手だってそうなのだから、永遠の関係性などどこにもないが、だからこそ今、目の前の相手に全力で向き合うことを恐れずにいたい。
le 30 Novembre 2024