2022(7月〜12月)
朝早い時間帯はまだ観光客の姿もなく、荘厳なる空気が立ち込める中、先ずは王様へのご挨拶から始めるのが私流だ。
それはまるで謁見(えっけん)のようなもの。
少なくとも私の気分はそうだ。
連日、王様の歌劇場で仕事をさせていただいているのだから当然であろう。
いつ見ても、太陽の出る方角に向かって堂々たる威厳を示す姿は本当に見事で、いつ訪れても、この像の前で立ち止まって見上げずにはいられない。
まさに ’’太陽王’’ の名のとおり、空には雲ひとつなく、これ以上ないほどに晴れ渡るこの時期に、この地に通わせていただけることの幸福を想う。
le 6 Juillet 2022
その日その時間、閉じられたひとつの空間に御縁あって相見え、しばし、共に異次元を旅する。
詩(うた)にメロディーが乗り、彩り豊かなハーモニーがリズムを伴って全体を包み込み、壮大なドラマへと誘(いざな)う。
神秘とも言える人間の声と多様な楽器の音の重なりは、どこまでも聴衆の琴線に訴えかけ、ダンスは視覚を刺激する。
照明が、衣装が、舞台美術が、更なる想像を掻き立ててゆく。
熱気を帯びた聴衆の感情が、波紋の広がるようにその空間を満たしてゆく。
演者と聴衆、それぞれの役目を担った者たちが集い、毎夜一回限りの共同創造を行う場所、それが『劇場』という空間だ。
どれだけ稽古を重ねてたとて、二回として同じものは生まれず、必ずしも意図したように立ち上げられるとも限らない。
その日ごとの聴衆も違えば、当然、空気感も全く異なるからだ。
それが ’’ナマモノ’’ である手強さでもあり醍醐味でもある。
劇場は、客席を満員の聴衆が埋めてこそ器としての使命を全うし、ようやく舞台上の演目に命が宿るのだ。
その時こそ、すべてが最高に息づく瞬間を迎えられる。
二年半の封印が、今、解ける奇跡よ。
le 13 Juillet 2022
異なる肌の色を持ち、異なる歴史を持つ国に生まれ、異なる言語を話す人々が、世界中から今日もここを訪れる。
何世紀もの時を経て尚ここに溢れるエネルギーを、人々は感じ取ろうとやってくる。
王がこの城を、この庭を作った時代には、とうてい想像できなかった光景だろう。
時空を超えて、という言い方が相応しいかどうかはわからない。
だが、人間の作り出すものが、いくつもの時代の様々な価値観をも飛び越えて強く訴えかけてくる・・・ それはこんな大きなお城でなくとも日常の中に溢れていたりするものだ。
自分が生まれるずっとずっと前のたった一枚のモノクロ写真に心揺さぶられ、行ったこともない遠い国で書かれた物語に涙腺が崩壊し、華麗な、もしくは躍動感に満ち溢れた振り付けを見て心のどこかのスイッチが入り、何百年も前に作られた楽器のたった一音で人生が変わる。
人間の『五感』は想像を越えた敏感なセンサーを内蔵している。
そんなかけがえのない能力を決して錆びさせないようにしよう。
この庭に身を置き、17世紀の栄華を、今こうして間近に感じとれるのも、我々がロボットではないからこそだ。
le 23 Juillet 2022
巷で「パワースポット」という言われ方をする場所がある。
確かに、流れる空気や足元から迫り上がってくるものが、言葉にできない何か特別なものを発している場所はある。
でも、万人にとってそうなのだろうか。
もしかしたら人によって異なるのではないか。
・・・ぐらいに思っていた方がよい気がする。
それほどに、人はそれぞれ異なる感覚 / 感性を持っていて、その違いこそが唯一無二の「己」である証拠だからだ。
’’宇宙の芯と繋がる場所’’ は、理屈を越えた感覚(直感ともいう)でこそ知ることができるんだと思う。
その、自分にとっても特別な場所は、いくら頭で考えても、躍起になって探しても、なかなか見つけることは難しい。
あらゆるしがらみから解き放たれ、身も心も ’’無’’ になれた時、何者かに導かれるように ’’その場所’’ へと足が向くだろう。
そしてある地点に立った時、全身を電流が駆け巡るように、宇宙と直結する自分を全身全霊で感じとれ、確信できる。
自分専用のコンセント。
そこにカチッと差し込むことでエネルギーチャージできる場所。
ひとりひとり、自分にとってのパワースポットがあることを、先ず理屈抜きに信じるところから始まる。
le 27 Juillet 2022
七月中旬から八月のパリの街は、観光客とバトンタッチするかのように住民がごっそりいなくなる。
学校は二ヶ月近い休みだし、多くのレストランは長期休暇をとるので関連して市場やお花屋さんまでが閉まる。
お医者さん、美容院、そしてお役所の業務も総じてストップ。
各劇場の公演も夏の間は一切何もなく、サラリーマンの方々も交代で数週間ずつの休暇をたっぷりとる。
もちろん、観光客相手にこの時期だからこその収益をあげるお店もあれば、我々の業界も夏のフェスティヴァルへと演奏の場が移るわけだが、こういうメリハリのきいた季節の過ごし方をすることで、まるで自分の内側の大掃除をするような感触を味わえる。
「ヴァカンス」といったって、なにも海や山で日常を離れて遊ぶことだけを指すのではない。
普段の生活ではできない ’’自分にとっての大切なこと’’ のために時間を充(あ)てるのが「夏」という時期でもある。
やりたかった事に挑戦したり、勉強や研究に集中したり、行きたかった場所に行くというのもそのひとつだ。
’’自分の人生を謳歌するために何が一番大切か’’ ということをこの国の人たちはよく知っている。
’’生きる’’ とは、お金を稼いで財産を作り地位や名誉を得ることが最大の目的なのではない、ということも知っている。
フランスの夏はそれを如実に思い出させてくれる季節でもある。
le 6 Août 2022
街のそこここにというわけではないが、近年、猛暑が西欧を襲うようになって以来 見かけるようになったミスト・シャワー。
我先にとボタンを押す少年たちの様子は微笑ましく、辺りの気温が一瞬だけ下がるなか、私も涼しさのお裾分けに与かった。
「暑くなり過ぎたら冷やす」、このシンプルな作業は、思考にも適用できるような気がする。
信頼していた人にいつの間にか裏切られていたり、真逆の意味に受け取られ心に傷を負わされてしまったり、厚意を当然だと思われ後になって逆恨みされたり... 生きていると様々な経験をする。
時が経っても、心がじくじくと嫌な熱を発し始める時がある。
そういう時、このボタンを押してみるのはどうだろう!
素っ裸になって本格的にシャワーを浴びるのと違い、いつでもどこでも、脳内で好きな時に浴びればいい。
肉体の、たとえば風邪をひいての発熱は、本来備わっている「自己治癒力」が作動してのことだからよっぽどの高熱でない限りむやみに下げない方がよい、と聞く。
だが、ドス黒い闇を抱えての心の発熱は、そのまま放っておいてもロクな展開にはならい。
さっと冷やし ’’水に流し’’ てしまおう、大切な自分自身のために。
le 9 Août 2022
「ヴィンテージ」という言葉は、「ぶどうを収穫する」という意味のラテン語からきていてもともとはワインの世界の用語だ。
今やワイン以外にも使うのは皆の知るところで、以前からこの手の店は一定数あったのだが近年更に増えてきているような気のするのが衣類のヴィンテージ・ショップ、つまり「古着屋」だ。
製造から100年以上経っているものを「アンティーク」と呼び、100年以内のものは「ヴィンテージ」と定義されているので、家具や食器にはアンティークは多くても、衣類となるとヴィンテージ、となるのが殆どなのだろう。
どこの誰が着ていたかわからない服なんて、と毛嫌いする人もいるのはわかる。
でも私のように古い時代の楽器を使っての演奏を生業としている人間からすると、古い食器や家具のみならず、時計やアクセサリー、そして洋服だって同じ感覚で接することに違和感はない。
... と説明する迄もなく、現代のもので私を魅了してくれる物が少なく、圧倒的に古いデザインに惹かれる、単にそれだけのこと。
モンマルトルの坂道を9区側に下ってきた辺りで、なにやら素敵な看板が目に止まった。
どれどれ... と外から覗いてみると・・・ なんとまぁ、品揃えの傾向の徹底ぶりに驚いた。
古着屋を見つけると素通りできない私なのだが、ここほど興味をそそられないお店は初めてかもしれない(笑)。
逆に、ここの服が全部欲しい!と切望する人だっているだろう。
人の数だけ ''趣味’’ があり ’’価値観’’ があると再認識する。
le 11 Août 2022
「夏だ!ヴァカンスだ!」、フランス人たちの夏の過ごし方に慣れ親しむにつれ、どうしても我が祖国の人たちに思いが及ぶ。
お盆を挟んだほんの数日、年末年始のほんの数日、全国民が一斉に、文字どおり束の間の休日を一瞬たりとも無駄にはしまいぞと鼻息荒く過ごす様子に、どうしても疑問が湧いてしまうのだ。
フランスのように、(夏期だけに限らず)ゆったりと休暇をとるのが ’’当たり前’’ だと、逆に休暇をとらない人など悪い意味で浮いてしまうし、心配もされてしまうだろう。
もしかして日本人は、「休む」ということにどこか後ろめたさを感じているのではないか...?
罪悪感を深く深く刷り込まれてしまっているが故に、「休む」ことにすら力が入ってしまうのではないだろうか。
季節ごとの自然に触れる機会を大切にし、旬の食材を美味しく丁寧にいただき、波長の合う人とのご縁を大切にし、自分が本来の自分でいられる環境に身を置く・・・
そういうものの中で自分らしく仕事をすることの大切さ。
植物が自らの特性を活かすための土壌を選ぶように(自然界の種は自ら土を選んで舞い降りるらしい)、我々ニンゲンも生き物として、自分が一番幸せに生きていける環境や状況を探していい。
頭に植え付けられた ’’しがらみ’’ を、自分が生きていく上で本当に必要なものなのかどうか、見直す作業は何も悪いことじゃない。
le 13 Août 2022
進む方向さえ見失わなければ、一旦立ち止まることなど何も恐れる必要はない。
むしろ、様々なものを温存させ、呼吸を整えることで、自分にとっての進むべき道への確信を更に深める時間となる。
いつの間にか膨れ上がった荷物を見直すことも重要だろう。
ひとりで背負い続ける必要があるのかどうか、自分の ’’思い込み’’ も含めて検討しなおすことを、この先のためにも行う方がいい。
イソップ童話にこんな話がある。
ある朝、ひとりの旅人が、森の中で一生懸命に木を伐っている木こりを見かけた。
夕方、同じ道を戻ってみると、朝と同じ場所で汗をかきかき木こりは働いているが、どうも作業の進み具合は芳しくなさそうだ。
見ると、斧は、刃が欠けてボロボロになっている。
そこで旅人は声をかけた。
「一旦手を止めて斧の刃を研いではどうですか?」と。
木こりの答えはこうだった。
「木を伐るのに忙しいオレに刃を研ぐ時間なんて無いんだよ」。
自分の心身の状態をチェックすること、背負っているものを見直すこと、本当に進みたい方向をもう一度確認しなおすこと etc...
がむしゃらに歩き続けているとどうしても忘れてしまいがちだ。
一旦立ち止まって自分を整え、エネルギーを補充した状態で踏み出す一歩は、もうひとまわり大きな希望に満ちているはず。
...と想像できれば、斧の刃を丁寧に研がずにはいられなくなる。
le 15 Août 2022
私が食材を買うお店は、品揃えが常に安定している訳ではない。
すっかり生気がなくなって傷んでいたりもするし、そもそもお目当ての物が並んでいなかったりもする。
昨日美味しかったからといって今日もまた買えるとは限らず、その日、行ってみるまで何が手に入るかわからない。
大型のスーパーマーケットならまた話は別だが、フランスでは買い出しにこれぐらいの覚悟が要る(ちょっと大袈裟だが...)。
でもだからこそ、産地から届いたばかりの、穫れたての大地の恵みに与(あず)かることができる。
今日は、美味しそうな梨 Poire Guyot が手に入った。
このフォルム、そして、淡い黄色にサーモンピンクが混じるなんとも言えないグラデーションも実に美しい。
冷たく冷やし、シャリッとした歯ざわりのある段階で食べるのも悪くはないのだが、私にとっての一番の頃合いは、ほんの少〜しだけ ’’とろり’’ とした味わいが加わるタイミング。
なんともこれが、18世紀後期フランス・バロック音楽のごとき艶(あで)やかな世界へと誘(いざな)ってくれるのだ。
その一瞬を逃さぬよう、それまでは、存分にその姿を味わわせていただくとしよう。
le 18 Août 2022
ふと、呼ばれたような気がして振り返る。
あっ・・・
暫し立ち止まり、雲に向き合って耳を傾けてみた。
・・・そうか、なるほど!
ものすごくシンプルな、けれども大らかなる優しさを伴った直球のメッセージが、真っすぐに届いてきた。
うん、確かにそうだ、そういうことなんだよなぁ、と身体ごと一気に軽くなる。
足取りは、振り向く前とはまるで別人のようで、スキップまでしそうな自分に笑いが込みあげてくる。
思わず何度も頷いたりもする。
捻くれず、真摯に求めながら生きていると、こういうことが思わぬタイミングでやってくる。
なんて有り難く、嬉しいことなんだろう。
le 20 Août 2022
フランスで年に数回行われる公共交通機関のストライキ。
国をあげての容赦ない内容は日本とは全く比べものにならない。
中でも2019年冬、大規模な、終息の見えない長期にわたるストライキに膨れ上がった時は、連日の稽古場通い、そしてツアーに出る為の駅や空港までの「足」をどうやって確保するか... そのことに神経をすり減らしっぱなしだった辛い記憶が残っている。
民族の大移動並みの、毎日数時間かけての ’’徒歩通勤(!!)’’ が始まったあの時期、自転車を購入する人々が急激な勢いで増えた。
スーツ姿にリュックを背負い、車やバイクに混じって危なっかしくビュンビュン飛ばしていく様に、タクシーの運転手さん達はストレスが限界まできていたようだった。
バスも地下鉄も動いていないため当然ながら車の量が半端なく、あちこちで大渋滞が起きる中を交通ルールもよく把握していない人の自転車が走っているわけだから、タクシーの後部座席に乗りながら私も何度ヒヤッとさせられたことだろう。
更に近年 存在感が増してきたトロティネット、つまり電動キックボードは、コロナ禍の影響もあってか一気に普及率が高まりつつあり、パリの道路状況はここ数年でめっきり変化してきている。
このキックボード、身軽な状態でしか乗れないものの、つい最近最高速度が20km/hまで引き上げられたこともあり、ちょっとした移動に便利に思う人は多いようだ。
若い世代の観光客なども気軽に使う光景をこの夏は目にする。
リヴォリ通りの向こうの車線で信号を待つ自転車の群れといい、排気ガスが減少することは好ましいことだが、この写真のような光景をつい目で追ってしまう男性ドライバーさん達も多いのでは...?? と余計な心配をしているのは私ぐらいだろうか(笑)。
le 23 Août 2022
ある世代以上の方々なら、冒頭の一節を聞くや否や、すぐさま懐かしい思いで口ずさまれるのではないだろうか。
私も小さい頃に耳にした ♪唄を忘れた金絲雀(カナリア)は〜♪ や、♪お菓子の好きな巴里(パリ)娘〜♪ など、他にも沢山の馴染み深い童謡を通して多くの日本人に知られている。
大正末期にパリ留学をし、ポール・ヴァレリーやジャン・コクトーら多くの文化人達と交流を持ち、帰国後、日本にフランスの風をもたらした西條八十(さいじょう やそ)。
彼の書いた『お菓子と娘』に、パリ16区に銅像のあるアルフォンス・ドゥ・ラマルティーヌの名前が出てくる。
フランスにおける近代抒情詩の祖といわれ、かのヴェルレーヌにも大きな影響を与えた人なのだそうだが、詩人としてだけでなく、小説家、歴史家、それに政治家としても活躍したという。
ロマン派を代表する詩人としてのみならず、西條八十が畏敬の念を抱いていたことは想像に難くなく、パリで見た日常の風景(’’巴里娘たちがいそいそと角の菓子屋で買い求めたエクレア’’ を頬張るさま)に焦点を当てつつも、’’人が見ようと笑おうと 小唄まじりでかじり行く’’ 彼女たちの傍の公園に建つ銅像、という描写でさりげなく登場させているのはとても粋だ。
現在の銅像は西條八十が留学した時代のものとは違うようだが、街角のこの小さな公園では、今日も変わらず地元市民たちが午後のゆるやかなひとときを思い思いに過ごしている。
le 25 Août 2022
パリは一年を通して世界中からの観光客で賑わう街。
この夏は特に、二回の夏を ’’ガマン’’ して過ごした沢山の人たちが、今年こそは! と謳歌している様子を街中で目にする。
けれど、日本からの観光客の姿をこれほどまでに見かけない日々は、三十数年前に渡仏してきて以来 初めてのこと...。
東洋人観光客は韓国や中国の人たちばかりで、ごく稀に日本人とすれ違っても欧州住まいの熟年ご夫婦だったりし、数ある名所で日本人旅行者には一度たりとも遭遇していない。
レジ前の透明アクリル板が ’’名残り’’ と言えるだろうか、基本的にはほぼ全ての事が「コロナ前」の状態で回っているフランスに比べ、聞くところによれば日本は未だにそうではないという。
この大きな違いはいったいどこからくるのだろう・・・
もちろん、物事の捉え方や考え方は以前からずいぶん違う。
私自身、日本とフランスを往復する毎に、大きな違いを意識せざるを得ない状態で数十年を過ごしてきたし、そのための「スイッチ」は今や心身の一部と化している。
そんな私でさえ、今の日本とフランスの状況は「別の星か?!?」と思ってしまうほど、あまりの違いに驚きを隠せないでいる。
私の母国の人たちに、どうか自身の目を見開いてほしいと願う。
言われるがままではなく、自分の ’’感覚’’ で真実を探し当て、檻の外の世界で、伸びやかなる日常を楽しんで欲しいと心から願う。
le 27 Août 2022
あの頃も、近年ほどではないけれど夏は暑かった。
1970年夏休みに何度か連れていってもらった大阪万博。
二人の弟のいる ’’お姉ちゃん’’ とはいえ、まだ小学校低学年の私。
親二人に子供三人だと、必然的に小さい弟たちに親がひとりずつ付く形となり、’’お姉ちゃん’’ はどうしても親のアシスタントのような立ち位置になる。
末っ子のおむつの替え(当時は使い捨てではないから使用済みの方も!)、水筒やおやつ、荷物の一部だって持たなきゃならぬ。
各国のパビリオン入館の度に並ぶのにも体力は要るし、入れば入ったで見る物でいっぱいだし、なにせどこもかしこも人でごった返す中、迷子にならぬよう気を張ることにも神経を使う。
帰る頃にはくたくたで、弟たちがそれぞれおんぶや抱っこをしてもらっているのを見て、ある時 私の何かが限界に達したようだ。
私の記憶には全く残っていないのだが、大きくなってから両親に言われた、「あの時は可哀想なことをした... 悪かったなぁ」と。
どうやら私は、疲れ果てた帰り道で泣きじゃくったらしいのだ。
そして父が、上の弟を歩かせ私をおんぶしてくれたのだという。
今日も世界中の親子連れがパリを訪問中だ。
頑張れお父さんお母さん、そしてチビッ子たち。
きっとかけがえのない貴重な経験と素敵な思い出になるから!
le 29 Août 2022
パリの真ん中に広大な敷地を占めるチュイルリー公園。
歴史は16世紀まで遡り、ルーヴル宮と並んで、今はなきチュイルリー宮が栄華を極めた時代もあった。
現代では年間を通して市民の憩いの場となっており、私も、気持ちの良い季節には、家から ’’私の庭’’ パレ・ロワイヤルを経てここまで足を伸ばすこともある。
この敷地の一角に、冬はクリスマスマーケットと共に、そして夏は夏で様々な屋台と共に、市民や観光客を楽しませる移動遊園地が設置される。
子供ばかりでなく大人たちも楽しそうに乗っていて、私も渡仏直後の冬、観覧車に乗った時の高揚を今でも憶えている。
普段と違う ’’高さ’’ に身を置き、風を切って過ごすひと時はなかなか爽快なものだ。
目に入ってくるものも新鮮だし、視野も広がるような気になる。
空中ブランコは尚更そんなかんじになるだろう。
そのまま雲に乗って彼方まで飛んでいけそうなイメージも抱ける。
いつも身軽に、心も軽く、些細なことは風に吹き飛ばし、どこまでも高く飛んでいける自分の可能性を忘れないでいられたら最高だ。
だって、世界がどうなろうとも誰だって ’’自由’’ なのだから。
それは絶対に手放さないでよいものなのだから。
le 31 Août 2022
西陽が長いデクレッシェンドを奏でながら全てを照らす中、夏が、名残り惜しげに次の季節にバトンを渡そうとしている。
新年度を迎えた九月、学生たちは新しい学年に進級する。
大人になってしまうともう「学年」という概念はなくなるから、どのタイミングを ’’区切り’’ とするかは人それぞれであっていい。
例えば自分の誕生日でもいいし、新年を迎えた時でもいい。
’’心新たにまた次なる学びに向かっていく時’’ というものは、生きている限り、何歳になっても自分の身に起こし得る。
それをちょっと意識しておくことで自分の中が整い、もしかすると、ずっと前から挑戦してみたかったことへの第一歩を踏み出す御縁を受け取ることになるかもしれない。
胸の奥のそのまた奥で、何故かずっと絶えることのない小さな炎として燃え続けてきたものは、その炎、それ自体として静かに訴え続けてきたことを、自分が一番よく知っているはずだからだ。
気づかぬふりはもうやめよう。
やらない理由を探すのはもうやめよう。
生まれてきたからには、思う存分やればいい。
抑え込むためのエネルギーを今こそ動き出すために使えばいい。
季節の巡りの中で、全てが循環していることを思い出すだろう。
終わっていくのではない、変わっていくのだ、ということを。
le 1 Septembre 2022
街中で、鳩や鴉、雀たちがこんなふうに像の頭上に止まっているのはよくある光景だが、ポーズをとっている聖人たちの威厳がまるで台無しで、思わずクスッと笑ってしまいそうになる。
一説によると、鳥が高い所に止まるのは、見晴らしのよい場所から周りの様子を確認したいからだそうで、天敵の多い小型の鳥たちがそうであろうことは容易に納得できる。
鴉が高い所に止まるのは獲物を狙ってのことかもしれないが、いずれにしても鳥類の習性であることは間違いない。
そういえば、我々にも ’’鳥瞰(ちょうかん)’’ という言葉がある。
似た言葉で ’’俯瞰(ふかん)’’ というものだってある。
低い位置にいては見えてこないものが、ほんの少しでも高さを変えるだけで全く見え方が違ってくる、それを想像してみただけで道が開けてくるような気がしてこないか ?!
このシンプルなことを忘れているのは、たいていの場合、地べたを這いずり廻り泥まみれになって苦しんでいる時だったりする。
鳥たちを見習おう。
広く見渡す眼を忘れなければ、私たちニンゲンも、好きなところへ飛んでいける翼を思う存分羽ばたかせられるのだから!
le 7 Septembre 2022
パレ・ロワイヤルの西側の回廊。
とある店舗の前を通りかかると、ムッシューが真剣な眼差しでディスプレイを行っていた。
心なしか、鎮痛な面持ちのようにも思えた。
私自身がここでは外国人なように、この国ではあらゆる業種に沢山の外国籍の人間がいる。
このムッシューはひょっとしたら英国人なのかもしれない。
片方の親御さんが英国人かもしれないし、彼はフランスで生まれたフランス国籍のフランス人でもご両親は英国人かもしれない。
ご先祖が英国から渡ってきたのかもしれず... いや、ただシンプルに ’’エリザベス II 世’’のファン’’ にすぎないのかもしれないが。
この都市にいると、よっぽど重要な書類上の必要性がある時以外、他人の国籍など皆あまり気にしていない。
そもそも各国の王室は、あっちの国からお輿入れがあればこっちの国へと嫁いでゆく... それが数百年繰り返されてきているのだ。
私のような遠いアジアの人間からすると、彼らは ’’欧州’’ という括りで捉えているようにも見える。
言語的にもラテン系(フランス、スペイン、イタリア)は互いに母国語で会話しても大まかになら成り立つほどなのだ(驚!)。
それはまるで、日本での方便の違いのようなものでしかない。
ドーヴァー海峡を挟んだ隣国が歴史の大きな区切りを迎えた。
在位70年。
私が生まれるだいぶ前から彼女は女王様だったのか、と改めてその長い年月を思う。
因みに史上最長は、フランス国王ルイ XIV 世の記録で72年。
どちらも、桁外れの芯の強さを持つ君主だったように思う。
le 9 Septembre 2022
2018年ロンドン、サザビーズのオークション会場。
バンクシー作品としての過去最高額で落札が決定した瞬間、何の前ぶれもなくいきなり額縁の仕掛けが作動し始めた。
誰もが冷静さを失い、騒然とした空気と共に会場がパニックに陥る中、絵の半分が見る見るシュレッダーにかけられズタズタに... という前代未聞の出来事は世界的ニュースにもなった。
後に「オークション中にライヴで作成された史上初のアートワーク」という声明がサザビーズによって出されたが、バンクシー自身によるこの仕掛けの、本当の意図は何だったのだろう?
2006年制作のその作品『Girl with Balloon 風船と少女』は『Love is in the Bin 愛はごみ箱の中に』というタイトルに変更され、翌年にはドイツのバーデン=バーデンの美術館で展示。
更に同作品が2021年に再びサザビーズで競売にかけられ、前回の落札額の18倍近い金額(約28億8千万円)で落札されたという。
イギリスを拠点とする ’’Banksy バンクシー’’ 名義の、一切の素性を明らかにしないアーティストが、政治や社会批判を込めて世界各国の建物の壁面などにメッセージとして描き続けている。
「落書きは犯罪だから捕まらないために身元は明かさない」らしいが、単なる落書きの域を越えているが故に様々な憶測が今も飛びかっている。
世界中がこの現象すべてに ’’大真面目に大騒ぎする’’ 様子を、本人(複数人だという説もある)はどのように見ているのだろうか。
人々の心理の裏をかき、展開それ自体がおのずと風刺になるよう仕掛けている... 幾重にも仕組まれたメッセージではなかろうか。
le 11 Septembre 2022
まだまだ夏の余韻の強く残る夕方。
噴水でこのラジコン・ボートを浮かばせたいとおねだりしたのだろう、少年がママンと一緒に喜び勇んでやってきた。
大切なものを両手でしっかりと抱えて真っすぐ前に進む姿。
全身から希望とワクワクがはちきれんばかりに溢れ出ている。
晩夏の太陽を惜しむように、噴水の周りで日光浴する人々が言葉にせずとも少年の様子を温かく見守る中、ひとしきり、というには短く感じるほんの 5, 6 分だっただろうか、おそらく周りに配慮をしたお母さんが「もう、今日はこのへんにしておきましょうね」と優しく促し、二人は立ち去って行った。
我々は、ひとりの例外もなく誰もが ’’子供’’ だった。
あの頃、こんなふうに自分の大好きなものを両手で大切に抱え、躊躇することなく前に足を踏み出していたのではなかったか。
誰に遠慮することなく、まして「失敗するかも...」なんていう不安など一切なく、ただ一心に、自分の興味の対象に向かって毎日を全力で生きていたはずだ。
大人になるにつれ知識を増やしていくのは良しとしても、それらに価値を見出すあまり、もしかしたら知らず知らずのうちに大切なものをどこかに置き忘れてしまっているかもしれない。
’’自分の人生’’ を生きてゆく上で本当に大切なことは、実は生まれながらにしてわかっているのではないかと、小さな少年の姿から大切なものを思い出させてもらった気がする。
le 12 Septembre 2022
何の予定もない午後、時計を気にせず陽の光を浴びながら水の音を聞く。
ただ、聞く。
時々、風向きが変わると水しぶきの音もちょっと変わる。
それはまるで言葉のようだ。
ベンチで目を閉じ、その言葉に静かに身を委(ゆだ)ねているうちに、どこか他の空間へ移動しているような感覚に陥る。
いや実際、こういう瞬間は、他次元へ移動しているのだというふうにも聞いたことがある。
知らず知らずのうちに垢のようにへばりついたもの、埃のように溜まったものが、水の力によって浄化されていく。
自分ではもう捨てたつもりになってはいても、ふとした時に舞い戻ってくるもう不要な価値観、力み、執着、そんなものもあんなものも、そう気づいた時に流してしまえばいい。
太陽が屈託なく笑いかけてくれることも、きっと、強い後押しなのだろう。
どんなことも一箇所にとどめておくことなどできない。
もし本当に必要なものならまたその時に与えられるのだから、’’もしもの時のために握りしめておく’’ 必要などない。
水は、自らを浄化させながら、地球をずぅっと循環している。
その在り方に大きなヒントがあるような気がする。
le 13 Septembre 2022
渡仏してきた頃、こちらの人たちは少しでも太陽が出ると、真冬の寒い時でさえ白い息を吐きコートにくるまりながら外でカフェを飲もうとする、それがとても不思議だった。
年中、いつも陽の光がさんさんと降り注ぐ日本から来た私がその理由をしみじみ理解するのは、四季を何周か廻った頃だろうか。
パリが樺太とほぼ同じ緯度であることは意外に知られていない。
晩秋から始まる日照時間の短い日々、それがうんざりするほど何ヶ月も続くのだから、待ちわびた春が来るやいなや前のめりになり、夏の声がまだはっきり聞こえてこないうちから女性たちは競うようにタンクトップ姿になる。
そしてそれは、夏が完全に過ぎ去るまで続くのだ。
年子の姉妹だろうか。
綺麗に日焼けした肌に、同じメーカーのデザイン違いだろう、可愛らしいワンピースを着た二人は、照りつける午後の太陽の下、まるでシャーベットの精が現れたかのようだった。
よく見るとバッグも色違いのお揃いで、髪型もほとんど一緒、同じようにサングラスをかけている。
歩調も、阿吽の呼吸で合っているように見える。
爽やかなものが辺りに漂ったかと思うと、晩夏の太陽がゆっくり西に傾いていく中、ピーチとメロンの涼やかな薫りを残して彼女たちはどこかへ去っていった。
le 14 Septembre 2022
日差しが少し和らいできて、気がつくと日没も、一番遅かった頃より二時間ほど早くなってきた。
とはいえ、今のところはまだ太陽が、20時位まで「夕方」の気分を味わわせてくれる。
人々の思いがそうさせるのか、もう少し、もう少しだけ... と、「夏」がなかなか去りがたい思いでいるようだ。
日中はまだしっかり汗ばむほどだから、人々は早めの時間帯からカフェで冷えたビールを楽しんだり、お決まりの日光浴をしたり、という夏の間のルーティーンをしっかり続けて(!)いる。
とどのつまり、フランス人(に限らず往々にしてラテン系の民族)は、隙あらばリラックス、自分の為の時間を持とうとする。
’’生きる’’ ということの舵を完全に「自分」が担う、そういう生き方をしてきているからだ。
自分の選択でハードに過ごすことは全く厭わないし、集中するととてつもないものを生み出すが、何かに縛られ自分の意に反してあくせくすることを良しとしない。
ま、カッコよく言えばそうなだけで、別の角度から見れば、単にワガママな怠け者体質なだけかもしれないが!
でも、ラテン系は大昔からそうだったから変わりようがない。
変わる必要もない。
le 15 Septembre 2022
とある夏日、近所で大掛かりな映画の撮影現場に出くわした。
パレ・ロワイヤルには出番を待つ数十頭の馬、馬車や時代家具などが所狭しと集められており、独特の緊張感が高まっている。
時代映画の撮影にそのまま使える18世紀の古い街並みが残っているパリでは、こういう現場に遭遇することも珍しくはない。
20年以上も前、ある映画の中のオペラ上演のシーンにレザール・フロリッサンが駆り出され、オーケストラの楽師役で私もこの時代の鬘(かつら)を被り装束をつけ撮影に参加したことがある。
第3代アメリカ大統領を務めたトーマス・ジェファーソンを主役にした『Jefferson in Paris』という映画で、彼が駐在した18世紀、フランス革命前夜の1785年のパリが舞台となっている。
楽器編成も大きく、複数の歌手やダンサー、衣装や舞台装置も時代考証のなされたものでとてもお金もかかっていたと思う。
一般公開後、ドキドキしながら映画館に足を運んだのだが・・・残念ながらオケは殆ど画面に映っておらず、舞台シーンがほんの数秒... あれだけ時間かけて撮ったのに...?! という短さだった。
とてもがっかりしたが、でも、そんなものなのだろう。
これは私の勝手な解釈だが、画面に映るか映らないかではなく、撮影現場に ’’その世界’’ を立ち上げらせること自体が重要なのだ。
黒澤明は、セットの箪笥の中身にまで徹底的にこだわった(中など絶対映さないのに、だ!)、という有名な逸話もある。
《 神は細部に宿る 》
全ては、このひとことに言い表されるとおりだと思う。
le 16 Septembre 2022
ルイ14世や宰相リシュリュー、ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人、モリエールら、フランスの歴史に名を連ねる錚錚たる人物らが洗礼を受けたこの Saint-Eustache(聖トゥスタッシュ)教会。
現代の観光ガイド風なら、モーツァルトのお母さんのお葬式が行なわれた教会、と言う方がよりポピュラーかもしれない。
1756年生まれのモーツァルトは、幼少期から教育熱心な父親に連れられて欧州各地を演奏して回り神童として名を轟かせていた。
6歳の時に女帝マリア・テレジアの宮殿で御前演奏した折りの、後にルイ16世に嫁ぐことになるひとつ歳上のマリー=アントワネットとの可愛らしい逸話も有名だ。
旅芸人さながらヨーロッパ諸国を渡り歩く音楽家人生。
父親が故郷ザルツブルグを離れられない時には代わりに母親が息子に同行したようで、1778年には母親と共にパリに到着するが、12年ぶりに訪れたパリは彼をかつての神童時代のようには歓迎してくれなかったようだ。
そんな中での突然の母親の死。
異国の地で、彼はどんな思いで母親を見送ったのだろうか。
パリでの居住地から近い教会ということでここで行なわれたのだと思うが、現代のように飛行機でどこへでもすぐに駆けつけられるわけではない18世紀、一介の音楽家に過ぎない外国人の、その母親の葬儀に、参列者がどれほどだったのかは想像に難くない。
le 18 Septembre 2022
エリザベス2世の父君、つまり彼女の一代前の君主だったジョージ6世は、第一子でもなく長男でもなかった。
そう、後に ’’王冠を賭けた恋’’ として語り継がれることになるエドワード8世が、325日という歴代最短の在位期間で退位したため、一歳違いの弟である彼が急遽40歳で国王として即位したのだ。
その第一子であるエリザベスが25歳で即位し、イギリスをはじめ14ヶ国の英連邦王国及び王室属国・海外領土の君主を70年もの長きにわたって務めることになろうとは、祖父にあたるジョージ5世の存命中、いったいどれだけの人が想像できたであろうか。
ひとりの人間がどのような使命を持って生まれてくるのか、それはとても不思議な、おおよそ人間には計り知れない領域だ。
また、どんな御縁を得てどんな人生の展開に導かれてゆくのか、上記エドワード8世の例にもあるように、生涯の伴侶との出逢いが、当事者の人生のみならず周囲を大きく変えることもある。
そもそも御縁じたい、人間の意のままにならぬ授かりものという意味でも、この世は本当に不思議なものだと思わざるをえない。
’’たら・れば’’ はなく、それが良かったのかどうか誰にもわかりようもなく、そもそも正解などどこにもない。
すべての事柄は、結果的に「それで良し」として進んでゆく。
『運命』を受けとめ、『宿命』に生き、『使命』を全うする。
’’命’’ をいただいて生まれてきた我々誰もがそうなのだろう。
le 19 Septembre 2022
ほんの一瞬チラッと心によぎったこと、「あれ??」と思うような小さな違和感を、つい気づかなかったことにしてしまう。
同じ事柄に対して、守護霊さん達は「まだわからないのか?」というように何度も何度も耳元で囁(ささや)いてくれているというのに、その度に「気のせいだ」と取り合わないようにしてしまう。
しばらくして、それがやっぱり気のせいなんかじゃなく、大切な声だったんだと気づくことになる。
薄々わかっていた自覚があるのはその声に気づいていたからこそで、雑音にまみれさせて無いものとしてしまうのは自分だ。
その雑音にしても、外からのものではなく、自分の内側からきているものだと本当の本当は自分でもわかっているくせに。
他人の権威や肩書きを全面的に信用しすぎるあまり、大切な内なる声に耳を貸さないのは本当に残念で、そして愚かなこと。
もっと自分自身を信用すればよかったと後になって悔やむ前に、今まで様々なものを培ってきた自分を信じ、その全てにこそ全面的な信頼を寄せてみよう。
「勘」「感覚」「センサー」「身体の声 / サイン」。
自分の中に在るそれらをとことん信用することだ。
自分にとっての光の道を進むには、それを使えているかどうかが大きな分かれ目となるのだから。
le 22 Septembre 2022
現代という時代は、とかく「便利だと ’’思いこまされている’’ 物」が多すぎて、実は振り回されていることに気づきにくい。
ちょっと前の時代なら、一旦家を出てしまえば帰宅するまで誰からも連絡がくることなどなかった、その手段がないのだから。
それを「不便」だと思うかどうかは人それぞれだが、私のような人間は、どこにいても何をしていても誰かから連絡がきてしまう今の世の中のシステムをむしろ息苦しく、窮屈に感じてしまう。
職種にもよるし、家族の状況にもよるから、もちろん便利なものを便利に使うことには大賛成だ。私だって使う時には使う。
だが普段、そんなにも回線を繋ぎっぱなしにしておく必要があるのだろうか。
四六時中 ’’外からくる不特定多数のものの為に待機する’’ という状態にいては、腰を据えて自分自身に集中しにくくはないか?
本来 ’’アナログ’’ な生き物である私達には、雑音の入ってこない自分だけの世界に身を置き、季節ごとの風を感じながら、行き交う人々を眺めながら、空を見上げ雲の流れを追いながら、頭に浮かぶことにゆったりと身を任せる時間が思っている以上に大切だ。
実はそれは、’’頭に浮かぶこと’’ ではなくて ’’心に浮かんでくること’’ なのだから。
幸せに生きるためにハンドルを握らせるのは頭ではなく心。
世の中がどう変わろうとも、それだけは変わらない。
le 23 Septembre 2022
思い立ったら走り出してみよう。
細かいことなんて別に決まってなくていい。
大まかに、なんとなく、だいたいの方向が決まっていれば十分。
走り出せばそのうち必要なものも見えてくる。
フランスに来た最初の頃、こちらの人たちの物事の進め方が日本とはかなり違うことに驚き、それがえらく雑に見えたりもした。
例えば、スーパーやデパートが内装工事を始める。
日本なら営業を一定期間停止して工事に専念し、新装再開する。
だがこちらでは、通常通りの営業をしながら大掛かりな工事をお客のすぐ横でやっていて、最初は自分の目を疑った。
例えば、友人への贈り物を買う。
「プレゼント包装を」と頼むともちろん笑顔で了承してくれる。
でもその作業を見ているとハラハラする。
テキトーに紙を切り、テキトーに包み込んでいく。
左右が揃ってなかったり真っ直ぐな方がいいのに歪んでいたり。
でも、最終的にリボンをつけて立体的に完成すると、思いもよらぬ素敵な仕上がりだったりするのだ。
先の先まで綿密に決めてしまわず、進み具合をみながらその都度 臨機応変に進めていく、それがこの国の人たちの流儀だ。
そこに不安要素などないとわかってくると、ガチガチに決めてから進むより自由がきき、より良い方向への転換も気軽にでき、結果的に、より望む道を進んでゆける自分自身を手に入れられる。
le 25 Septembre 2022
「これに乗ってみたい!」
子供の衝動はいつも魂から真っ直ぐに立ち現れてくる。
にもかからわず、親や先生、周囲の顔色を伺い、自分の日常を理由にして興味の対象から目を逸らすことをどんどん覚えてゆく。
歳を重ねるに従って ’’やらない理由’’ を探すことに長けてゆく。
エネルギーを、ブレーキを踏むことに使わず丸々アクセルを踏むことに使えば、どれだけ人生は豊かになっていくだろうか。
子供は本来、そのことを本能的に知っている。
大人たちよ、だから無闇に助手席からサイドブレーキを引っ張るような真似はせぬようにしよう。
「危ないから」とか「無謀なことに挑戦して後で辛い思いをさせたくないから」など、相手のための思い遣りからのつもりかもしれないが、果たして本当にそうなのだろうか。
大人たちよ、自分の心の奥底、その裏側をよく見てみてほしい。
本当はやりたかったことをガマンしてきた自分が、暗いところで膝を抱えて哀しい思いに耐えているのではないのか?
自分の可能性に蓋をしてきたのは、残念ながら自分自身だ。
でも遅くはない、そこを認められれば見え方が全く違ってくる。
人に対しても、なにより今これからの自分自身に対しても!
(*本文の内容と写真のママはいっさい関係ありません。むしろとても素敵なママでした)
le 26 Septembre 2022
プロの業者ばかりが出店する骨董市もあれば、住民が参加費を払って不要な物を売りに出すガラクタ市もある。
住民が出す方は文字通り ’’ガラクタ’’ が殆どで、よくまぁこんな物まで売ろうと思うなぁ、と驚いてしまうような物まで並べてあるが、どこかの誰かにとっては丁度 必要な物だったりするのだ。
ありとあらゆるガラクタの中に「おっ!」と思う物を見つける宝探しのような楽しさもあって、なかなかこれが面白い。
時々信じられない安価だったりするのは、その品物の価値を売り手が分かっていない場合もあるし、もう用済みだから捨ててもいいが珈琲代にでもなればいいや、と思っていそうな人もいる。
究極的には、「値段」とは、本来あってないようなもの。
あくまで本人にとっての価値如何で大きく変わるものだ。
今ほど「使い捨て」の時代ではなかった頃の物は丁寧な作りで、必要な人の所で再び役に立てるのも物にとっては幸せだろう。
ガラクタ市で、そう古いモデルではないようだが、なかなかカッコよく状態も良さそうな三輪車を見かけた。
錆びなんてすぐ取れるし、何ならその部分だけ交換すればいい。
風をきって走る腕白坊やの、元気な姿が目に浮かんできた。
誰かの物が別の誰かを笑顔にする... なんだか素敵だ。
le 27 Septembre 2022
既に秋風が吹き始めてはいても、よく晴れた日には夏の名残りを求めて若者たちは肌を出す。
小麦色に焼いた肌の、最後の仕上げといったところか。
幸い、今日は風も穏やかで、セーヌの流れを聞きながらの日光浴は気持ちがいい。
パリの真ん中を、緩く曲線を描きながら東西に流れるセーヌ。
中洲にあるシテ島がパリ発祥の地で、川を挟んで北側の地区を右岸、南側を左岸と呼ぶ。
世界中の都市が川とともに繁栄してきたことはよく知られていることで、有名なところでは古代四代文明がそれを示している。
ナイル川によって発展したエジプト文明。
ヒマラヤの雪解け水を源にするインダス川によって栄えたインダス文明。
メソポタミア文明を生んだチグリス川、ユーフラテス川という名称は歴史の試験にも出題された記憶がある。
そして中国文明は黄河と長江のふたつの川のほとりに生まれた。
時に「水」は、天候の荒れによって暴走もし、人間の生活を脅かすこともある。
けれど「水」がないと我々は生きてはいけないこともまた事実。
生命の源(みなもと)である「水」。
今日もセーヌの流れを眺めながら、良き思考を巡らせていこう。
le 29 Septembre 2022
日本とフランスでは季節の移り変わり方が少し違う。
もちろん、同じ北半球だから同じ時期に夏があり冬がある。
しかし、「秋」という季節が気候的に人間の身体に優しく、過ごしやすい日本に比べ、こちらでは夏から冬への移行期というふうに私には感じられる。
もちろん夏でもなく冬でもなく... つまり、紛れもなくそれは「秋」なのだが、日本での ’’行楽シーズンたけなわ!’’ のような謳い文句はこちらの秋にはあまり似合わない。
その、季節の移行期。
夏の日々に感謝しながら来(きた)る寒く暗い季節に備える。
肉体の健康の為でもあり、同時に心の健康の為の大切な期間だ。
次の春までしっかり生きられるように、葉を落とし幹に栄養を貯める植物の行為にも似ている。
まぶしい太陽に照らされて、熱く、激しく、にぎやかしく過ごした夏のエネルギーを、穏やかな、しっとり味わい深い季節の中で内面の奥深くにまで浸み込ませてゆく。
そうすることで静かに発酵が進み、言葉に、所作に、思考に、そして生き方に、更なる彩(いろどり)が加わってゆく。
よく、人の一生を四季になぞらえるが、年齢を重ねながらのより深い豊かさへの移行は、しっかりと地に足をつけることでの、より幸せの本質に近づいていくことのような気がする。
le 1 Octobre 2022
車のほとんど通らない狭い道の一角を利用する子供たち。
「よしっ! オレがやってみせるからしっかり見とけよー!」。
まだ声変わり前の、高く澄んだ少年の声が聞こえてくる。
パリ市内には市民がくつろげる樹々にあふれた公園はそこらじゅうにあっても、子供たちが気軽に遊べるところは意外に少ない。
私の幼少期、日本にはあちこちに ’’原っぱ’’ という場所があった。
本来子供とは、遊び道具なんかなくてもいくらでも楽しい遊びを思いつく、想像力 / 創造力の塊のような生き物だ。
そのへんに生えている草花や転がっている石を使ったりして様々な設定を展開させていく、そうそうあの頃は土管が転がってもいて、そこを基地と見立てて遊ぶこともした。
仲間同士その場でルールが生まれ、しかもそのルールを ’’より面白く、楽しく’’ する方向へと自在に変化させていく。
ないものは空想の中でいくらでも生み出し、現実世界と上手に融合させながら独自の世界の中に遊ぶ。
制限のない、限りない豊かさ。
大人になるにつれ、その能力が薄れてきてはいないだろうか?
思い出そう!
誰に教わることなく、子供の頃は、あんなにも世界はどこまでも広がっていて、そこと繋がる方法を知っていたのだ!
le 2 Octobre 2022
いつの世も、他人は「心配」という大義名分をかざして要らぬ言葉を投げかけてくるものだ。
そもそも価値観の大きく違う者同士、’’良かれ’’ と思うことじたいが同じであろうはずがない。
うっかりその言葉にのって、もう何度も何度も嫌な思いを味わわさせられてきたではないか。
遠く、グラン・パレの屋根に、たおやかに国旗がたなびく。
セーヌは滔滔と流れる。
両岸に、船は出番を待ちながらのんびり揺らいでいる。
そして空が、こんなにも様々な表情の雲を楽しそうに泳がせながら、秋の穏やかな一日を提供してくれている。
私たちは恵まれていて、いつも守られている。
応援だってされている。
それがどこからくるかは、然るべき場所に身を置けばわかる。
自分の波動とピッタリ共振した時この先の良き道が提示される。
頭ではなく胸の奥、一番大切なところに答えが灯る瞬間がくる。
自分の感覚に必要な栄養がゆき渡っていくことに気づくだろう。
全ての焦点が合い、整っていく自分を思い出せる。
別次元に生きる異なる価値観の人との共振、そんな無益な事を望まなければ、水は淀まず、健やかなる状態を保っていけるのだ。
le 4 Octobre 2022
こちらの犬たちはとてもよく躾けられていて、メトロではもちろん、長距離列車の中でもとてもお利口さんにしている。
フランスに来た当初、長旅のあいだ大型犬が飼い主の足元にじっと蹲ったままワンとも吠えないのを見てとても驚いたものだ。
私が小さい頃はウチでも犬を飼っていたが、昭和のあの時代、犬を飼うというのは、どこの家でもたいがいが「番犬」として玄関脇の小さな犬小屋にずっと繋ぎっぱなしで飼う、という状態がごく一般的だった。
現代の、家族の一員として家の中で飼われている犬たちとは全然違い、散歩に連れていってもらったこともなく、餌は人間の残飯を全部いっしょくたにお鍋で煮たもの、というのが大方の「番犬」たちの境遇だったのではないだろうか。
今ではそんなふうに飼っている人を探す方が難しいほど。
今が正しくて当時が間違っていたという話ではなく、どんな事も、時代とともに、本当に驚くほど変わるものなのだなぁということをしみじみ思うのだ。
親子関係もそう、夫婦関係も、師弟関係もそう。
’’在り方’’ は決してひとつではなく、生活様式や形態、時代の価値観や思考、様々なものとともに常に変化していくもの。
お互いに、しなやかな感性で良き関係を築いていけたら最高だ。
le 5 Octobre 2022
その坂が、急勾配の、しんどい登り坂に見えるのも無理はない。
両側に隙間なくびっしり縦列駐車した車が、全て坂の上を向いているからだ。
だが、もしこのすべての車が坂の下を向いて停まっていたら。
そう。
物事は、ほんの小さな何かによって全く違うようにも見える。
そして。
どういうふうに見たいのかは、実は、すべて自分で決めていい。
ちょっとした思い込みが今ここからの先々にどう影響を及ぼすのかは、今までの人生の様々なシーンを思い返してみれば大いに参考になるはずだ、苦い思い出と向き合うのは辛くとも。
思い込みは、大概が大人になる過程での外からの強制的な刷り込みや、育った環境での周りの大人たちの価値観だったりする。
知らず知らずのうちに纏(まと)わりついた、今や自分の皮膚とも見分けがつかないようなものでも、剥がすことができるものだとわかればそれはいつからでも可能だ。
そう思うか思わないか、望むか望まないかも完全に自分次第だ。
le 7 Octobre 2022
ご縁あって巡り逢えた友人に、自分の中の「なにか」が揺さぶられ、刺激を受けることで活発な化学変化が進んでいく。
それは、間違いなくとてもエキサイティングなことだ。
幼少期であれ青年期であれ、もっと歳を重ねてからであれ、出逢いはいつも人生をより豊かにしていってくれるもの。
興味の対象が似ていると話が弾むのは当然だが、たとえ好きなものが同じでも、その ’’好き’’ が同じとは限らない。
むしろそうではない場合がほとんどで、その違いがさらに自分の世界を広げてくれたりもする。
嫌いなものが似ている場合も打ち解けるのに時間はかからない。
そんな擦り合わせの中、’’自分’’ というものの今まで知らなかった部分を、思いがけず発見することにもなる。
今まで開けたことのない引き出し、存在すら知らなかった引き出しに気づき、初めてそれを開けてみることにつながるのだ。
ひとりとして同じ人間などいないこの世で、自分とは違う誰かとの出逢い。
その人は自分の「なに」を揺さぶってくれるのだろう。
自分はその人の「なに」を揺さぶることになるのだろう。
ふれあう中でどんな楽しいことが生まれてくるのだろう。
幼少期からのすべての御縁が今の自分を作ってくれていることに気づくのは、’’幼少期’’ をはるか遠く思うようになってからだ。
le 8 Octobre 2022
世界的な感染症の騒動以降、フランスでは挨拶の仕方も大きく変えざるをえなくなって久しい。
ラテン系の人たちは頬と頬をくっつける挨拶が日常的だ。
厳密には、互いの頬に唇をつけてキスしあうのだが、私が渡仏してきた頃、親しい間柄ではこれを二往復するのが常だった。
最初に仕事を始めたフランス人ばかりのオーケストラで、このラテン式の濃厚な挨拶に日本から来たばかりの私は驚いたものだ。
ただでさえ時間どおりになど集合しないフランス人たちが、稽古場で毎朝この挨拶をするのだ、もちろん全員が全員と!
この挨拶タイムだけでも何分かかるか一寸想像してみてほしい。
そんな挨拶も次第に時代の気ぜわしい生活にそぐわなくなってきたのか、十年ほど前からは、稽古の初日だけそういう挨拶をし翌日からは言葉でだけの挨拶、という人が増えてきた。
それでも、離れた席から毎日上記の挨拶をしに傍まで来てくれる人もいて、どうやら育った環境が影響していそうな気もする。
都会育ちはややもするとせっかちなのはどこの国でも同じだが、田舎の大家族で育った人は挨拶の仕方もなんとなく違う。
感染云々の観点からいうと顔を近づけない方がいいのは当たり前だが、本来 ’’動物’’ である我々は、相手のどこかに軽く触れるのとそうでないのとでは、やはり親近感の立ち現れ方が違ってくる。
相手に対して「信頼してるよ」「好意を持ってるよ」と伝えるには、言葉だけでなくちょっとしたスキンシップがモノをいう。
コミュニケーションはそのまま人間関係の潤滑油となる。
どうせなら、楽しくやれる方がいい、心が通い合う方がいい。
le 9 Octobre 2022
大阪や東京、ロンドンやニューヨークでも「地下鉄」という名称ながら地上を走る区間もあり、それはパリでも例外ではない。
パリのメトロ、特に6番線は地上駅も多く、エッフェル塔も眺められ、乗っていて解放的な気分になれる私の好きな路線だ。
窓からの風、車窓越しに眺める樹々や空の表情、季節の移ろいを味わうひとときを得られるだけでも趣(おもむき)が違う。
地下を走るにせよ地上を走るにせよ、他の都市でもおそらくそうだろう、路線ごとに特徴があって、使っているうちに自分の中でなんとなくキャラクターが出来上がっていたりするものだ。
○番線はこんな色合い、△番線はこんな雰囲気、というふうに。
さらに言えば、ひとつの路線でも区間によって空気感が微妙に変わる、そういうことも肌感覚でわかってくる。
たとえ言葉を交わさなくとも、一緒に乗り合わせる人たちから受けるものが大きいからなのだろう。
走っている区域によって特徴も違えば、おのずと住んでいる人種も違うのは大都市ならではかもしれない。
複数の観光名所を通る路線は、年間を通して外国人観光客の利用も多いので、彼らを狙うプロの掏摸(すり)も多い。
日本語を含む各国の言語で「スリにご注意ください!」とアナウンスも流れていてなんだかザワザワした気持ちになるが、路線ごとの雰囲気の違いはなかなか味わい深いものでもある。
パリという生き物の様々な顔を垣間見られる場所ともいえよう。
le 11 Octobre 2022
1947年の創業以来、年中無休 & 24時間体制の営業を続けているのは、すぐ近くに中央市場があった頃からのことだろう。
随分前、外国からの友人を連れて何度かここで食事をしたことがあるが、広い店内は大変賑わっていたことが印象に残っている。
いつ通りかかってもテラス席も混んでいて、老舗の風格だけではないオープンで気軽な雰囲気が今も変わらぬままだ。
夕食にはまだ少し間があるという時間帯、従業員出入り口の付近でひとりのギャルソンがコーヒー片手に休憩をとっていた。
外の空気を吸いながらの束の間のクールダウン。
様々なお客を相手に、きびきびと、しかも親切丁寧な対応を求められるこの仕事も、きっとストレスは多いだろう。
どんな職種も、外から見ているだけでは苦労は知りえない。
だが、どんな仕事にも言えるのは、’’一服する’’ ことの大切さだ。
タバコは喫(の)まない私だが、彼を見ていてふと思った。
もしかしてタバコは、要らないものをすべて吐き出すための、いわば「誘い水」みたいなものなのかもしれない、と。
試しに、思いっきり深く息を吸って、煙すべてを吐き出すイメージで息を吐いてみた。
あぁ、そういえば忘れていた、こんな爽快な深呼吸を!
色んな ’’負のもの’’ が身体から出ていく、その心地よさを!
le 12 Octobre 2022
’’あをによし’’ --- 「奈良」または「国内(くぬち)」にかかる枕詞で漢字では ’’青丹よし’’。
日本の色は、もともとは「あか」「くろ」「あを」「しろ」の四色だったそうで、「〜い」という表現ができるものばかり。
英国では13世紀頃まで古英語の「hœwen」という単語が青と緑の両方を指していたようだが、日本でも12世紀以前は今でいう青と緑を区別しなかったらしく、例えば、8世紀後半、奈良時代末期に成立した『万葉集』でも、大伴坂上郎女による恋歌のひとつに「青山」という言葉が使われている。
現代でも「草木が青々と繁る」「新緑の青葉」などの表現をし、「青りんご」「青菜」「青汁」も実際の色は緑色だが、私たちは何の抵抗もなく日常的に使っていて、少なくとも私の周りではそれでトラブルが発生したなどという話は聞いたことがない。
ところで、日本初の三色の自動信号機が設置されたのは1930年(昭和5年)だそうで当初は「緑信号」と呼ばれていたらしい。
が、日本古来のあまりにも当たり前な慣習からか、ある新聞記者が記事に「青信号」と書いたことからその呼び名が広まり、1947年(昭和22年)、法令で正式に「青信号」と定められたそう。
色名をみているだけで感動するほどおびただしい色が掲載されている色辞典などもあれば、あえて細かく区別しないという文化も同時にあることに、人間の柔軟さ、その素晴らしさを思う。
le 13 Octobre 2022
物事の捉え方は、千差万別、実に人それぞれ。
同じ物を見ていても、同じ物を食べていても、同じ情報を入手しても、一人一人の中に入っていった時点でそれらはもう別物だ。
それだけ我々は個々の個性を持った生き物で、生まれた国や時代、家族構成、育った環境、出会ってきた人たち、経験してきたこと etc. ぜんぶ違うからこそとことん ’’それぞれ’’ なのだ。
そのことをしっかりわかってさえいれば、他者と比べる必要がないことも、誰にどう批判されようが痛くも痒くもないことも、笑っちゃうほどストンと理解できる。
自分がどんな物のどの部分にどう惹かれ、どんなインスピレーションを得たのかは、言葉になんか変換しなくていい。
思うがままに自分の中にインプットしたものを、自分の感性で濾過(ろか)し、自由自在にアウトプットしていく。
その時、自分の持つ様々な手段を駆使することで先ず自分自身がワクワクできる、実はそここそが何より大切なところなのだよ。
興味の向いているものに自分の幸福へのヒントが隠されている。
草むらに隠れているキラリと光る ’’自分にとっての綺麗な石’’ を見つけるのは、他の誰に代わってもらえることではなく、そもそもその石は自分にしか見えない。
そう、だから人の目など全く関係ないし、その石を大切に磨いていけるのも、世界中であなたにしか出来ないこと、いやむしろ、あなただけの尊い特権なんだよ。
le 14 Octobre 2022
パリにはあちこちにパッサージュと呼ばれる屋根付きのアーケード街があり、それぞれに個性豊かで特徴的な空間だ。
両側にずらりと入っている店舗も地区によって特色が異なり、それらを眺めるだけでも楽しいのだが、空間じたいの雰囲気を味わう為に私は好んでパッサージュを歩いているような気がする。
1830年頃に出来たとされるエチエンヌ・マルセルからほど近いこのパッサージュ・デュ・グラン=セールも、地元民たちの散歩道となっていて気取りもなく風通しがいい。
言う迄もなくどちら側から入るかによって入口でもあり出口でもあるわけだが、そこへ一歩踏み入れた瞬間から流れ出す時間は、心地よい何かに導かれるように自分にとっての出口へと向かう。
通り抜けた時、美しい歌曲を一曲聴き終わった時のような、ほっと頬の緩む心持ちになれているのはどうしてだろう?
あるいは・・・ そのパッサージュを通っている間に、自分の中の様々なことが浄化されているのだろうか?
洞窟を抜けた先に思いもよらぬ広々とした大草原が現れたり、そう、トンネルを抜けるとそこが雪国だったりするように、小さな異次元空間を通過することが、実は想像を越えるほどの大きな影響を我々に及ぼしているのかもしれない。
le 15 Octobre 2022
1849年に39歳という若さでこの世を去るまで、ポーランド生まれの彼は19世紀のパリという街で様々な縁に導かれながら、その類い稀なる才能を開花させていったことはよく知られている。
先日、とある秋日和、命日に先んじてお墓まいりに行ってきた。
いつ赴いても、世界中から訪れる人で常にごった返している所。
それを目的でというより、有名な人だからついでに見ておくか、と物見遊山で写真を撮るためだけに立ち寄る人たちが圧倒的に多く、いつもこの周りだけが雑然とした空気なのは致し方ないことだと思っていた。
なのに、なんということだろう。
途中で何人かの人が訪れはしたが、この日は信じられないくらいの静寂に包まれた日だった。
私以外、誰もいない時間の、なんと長かったことか。
空は慈愛に満ちた色で晴れわたり、風が上品な甘やかさで樹々を揺らす中、木漏れ日の作る三連符とともに時が穏やかに流れる。
遺体の埋葬されたここペール・ラシェーズ墓地に、深い縁で結ばれたジョルジュ・サンド、その娘婿である彫刻家 A. クレサンジェによる『嘆きの天使』と題された記念碑が建てられている。
彼の玲瓏たる作品を彷彿とさせるこの墓前にひとり佇み、存分に思いの丈を届けられたことに、ただただ感謝しかなかった。
le 17 Octobre 2022
同じ空間に身を置き、相手の瞳、表情を見、互いの波動を感じながら話す時、届けたいことの一番奥にあるものを何の小細工もなく渡しあえるような気がする。
それは、言葉 '’だけ’’ でのコミュニケーションではないからだ。
沈黙の中でもその時その場で共有できる ’’確かなのもの’’ がある、そんな経験は誰しもあるだろうし、離れた場所にいても『氣 / 波長』の合う人とはある程度は可能で、そういう経験のある人も少なくはないはずだ。
けれど、通いあうものの密度が格段に増すのは、同じ空気を吸える同じ空間で言葉だけでなく様々な感覚を使って会話するからこそで、きっとそれは科学的に証明できるようなものではない。
「感情」というものは、数値や記号でなんて表せるはずがなく、どんなに達者な人でも言語化さえ完璧にはできない。
本来我々は、どれだけ高性能な機械が開発されようととうてい到達することなどできない域で、深いコミュニケーションをとりたいと本能の部分で願う生き物ではないだろうか。
お手軽便利な物が出回るにつれ、そのお手軽さに引っ張られてコミュニケーションの中身までもが軽々しいものになってゆく...。
生きている間のほんの束の間だからこそ、大切な人とは、温かなものを丁寧に通いあわせたいと私は願わずにはいられない。
le 18 Octobre 2022
普段、’’そぐわない’’ という表現をすることはあっても、肯定の意味にあたる言葉はあまり使うことがない。
でもちゃんと ’’そぐう’’、’’そぐわしい(そぐはしい)’’ という言葉があり、相応(ふさわ)しいとか似つかわしいという意味だ。
釣り合っている、バランスが良い、そんなものに接した時、理屈抜きに心が落ち着き温かい心持ちになれるのは私だけだろうか。
そこに ’’美しさ’’、つまり ’’品格’’ を感じるからではないかと思う。
どんなものも時代の価値観や流行の影響を大きく受ける。
敢えてアンバランスを狙って奇抜な表現をしたり、わざと ’’そぐわない’’ ものを組み合わせる、これはどんな時代のどんな分野でも常に試みがなされていて、その良し悪しや好き嫌いは別として、それが大きな意味では「文化」とも言えるのだろう。
だが、人と人との繋がりの中に在るものは別ではないだろうか。
相手への敬意を持つこと、礼儀を忘れないこと、これらはどんなふうに時代が変わろうともずっと変わらないものだと思う。
簡単お手軽な手段ばかりに慣らされ、内容までどんどん省略する傾向に拍車がかかる今。
心を言葉で伝えることそのものは、省略はしない方がいい。
そうこうするうちに、心そのものを失ってしまいかねないから。
その場その状況に ’’そぐはしい’’ 言動が、品格や人格を高く在らしめることを忘れずにいよう、自分自身の幸せのために。
le 21 Octobre 2022
お互いを尊重し、信頼を寄せ合い、日々の感謝の対象となり合える夫婦の作る家庭では、子供たちきょうだいも親を見て、いたわり合いながら仲良く育ってゆくのだろう。
ある日、こんなにも幸せオーラの溢れるご一家を見かけた。
道行く人に記念撮影を頼んでおられるほんの一瞬、思わず私もシャッターを切らずにはいられないほどの素敵なご家族だった。
お揃いのお洋服を着せてもらっている姉妹の、きっと普段からそうなのだろう、しっかり者のお姉ちゃんが妹を守る様子や、妹の方も安心しきってお姉ちゃんに甘える様子(私には女きょうだいがいないので余計に羨ましい)。
この仲睦まじいご夫妻が、どれだけお子さんたちを可愛がり、愛情いっぱいに大切に育てておられるのかも想像できる。
『和顔施(わがんせ・わげんせ)』という言葉を思い出した。
仏教の教えの中にある、財なき者にもなし得る七種の布施行『無財の七施(むざいのしちせ)』、その中のひとつである。
笑顔は、周りをも笑顔にする。
幸せは、周りにも幸せを伝染させてゆく。
温かいご家族の幸せのお裾分けをいただき、こちらまで幸せな気持ちになれてとても有り難かった。
そうだ、私も笑顔を、幸せを回してゆこう!
まずは、そうあれる自分でいよう!
le 23 Octobre 2022
人間は、幸せの形を求めて常に変容を遂げる生き物なのだろう。
生体的にはむしろ昔の方がよほど生命力は強かったと私は想像しており、精神性も今の方が高いとは言い切れないと思っている。
おそらく、生き物としての我々はとっくの昔からこれ以上ないほど完璧で、その上で本能的に変容を求めるのかもしれない。
... と思いながらも同時に、一見「変容」に見えるものは、実は最初から内在していたものが表に出てきているだけだ、とも思う。
ロンドルフというメンズ商品のメーカーが、米国の男優 N.P. ハリスとのコラボレーションを行ったようだ。
ハリス自身、同性パートナーとの間に代理出産で授かった双子の男女の子供達がいて、とても幸せな私生活を送っているらしい。
未だ死刑を課される国もあるようだが、世界的には ’’当たり前のひとつの形’’ として定着する勢いが増してきている。
パリでも、異性カップルと同じくらい同性カップルを多く見かけるが、こんな光景がごく自然になってきたのはここ数年だ。
人々がより ’’自分らしく’’ あろうとし、性別云々に限らず、どんな自分も恥じる必要などない、という時代へと変容してきた。
様々な慣習が覆されることで時代は更なる変容を促されている。
こんな大きな転換期の力を借りない手はない。
誰もが唯一無二の素晴らしい存在であること、ありのままの自分でいいということ、誰の期待に応える必要もなく、ありたいと望む在り方で生きていいということ。
すべての人が自分自身に許可を出す時代はもう始まっている。
le 24 Octobre 2022
リュクサンブール公園やチュイルリー公園の噴水池では、春から秋 子供たちの長期休暇の時期に合わせ貸しボート屋さんが来る。
ボートといっても小さな模型の舟だ。
19世紀半ばから行われていることを今回初めて知った。
小さな舟にはモーターなどの動力は何もついておらず、ただ風任せに、手の届くところに来れば木の棒で突いて流れを促すという、19世紀から一切変わらぬシステムなことにも驚いた。
こんな素朴な遊びだが子供たちには大人気で、親にねだり、真剣な表情で舟を選び、元気いっぱいに池の周りを走って自分の舟を追いかけ、勢いをつけようと一所懸命に棒を伸ばす。
小さい子供の親御さんは子供が池に落ちないように後をついてまわりながらも一緒に楽しんでいるし、噴水池の周りで日光浴をしながら寛ぐ人たちもそんな様子を和やかに眺めている。
この兄妹もひと組の舟と棒を借りて、さぁ、どのへんに浮かべようかとワクワクしている様子が伝わってくる。
珍しく風の強いこの日、子供たちもさぞ楽しかったに違いない。
21世紀のこんなデジタル主流の時代でも、このシンプルな、アナログな遊びが今も当然のように息づいているフランス。
それに夢中になれる子供たち含め、なんだかとても素敵だ。
le 25 Octobre 2022
そういえば小さい頃、よくきょうだいでしゃぼん玉遊びをした。
陽の光の下で輝く丸い玉、大きいのや小さいのが風に乗って飛んでゆく様は、いつまでも見飽きることのない風景だった。
明治生まれの祖父母たちは日常的に石鹸のことをシャボンと言っていて、子供心にその響きがなんだか素敵だなと思ったものだ。
なんとなく「アベック」や「エクレア」のように、「シャボン」もフランスから日本に入ってきた言葉だと思っていたのだが、どうやらちょっと違う。
16世紀半ば、たくさんのものが ’’南蛮’’ から日本に渡ってきた。
「pao de Castelra パオ・デ・カスティーリャ」が日本語で「カステラ」となり「confeito コンフェイト」が「金平糖」になったように、やはりポルトガルから渡ってきた「sabão サボン」が「シャボン」になった。
(大正 昭和の小説などに「かすていら」と出てくるが、’’ て ’’ にアクセントがきてもともとの言葉に近い発音になる気がする)
多くのものが海を渡って日本に入ってきたように、日本から海を渡っていったものもたくさんある。
この季節のマルシェに並ぶ「柿」がこちらでもそのまま「kaki」だと知った時は、なんだかちょっと誇らしい気持ちになった。
ルーツを意識してみると別の面も垣間見られ、感じ方が変わることで、より親しみが湧いてくる気がするのは私だけだろうか。
le 26 Octobre 2022
何年か前、あるドキュメンタリー映画を観た。
『胎内記憶』を扱ったもので、子供たちのインタビューと共にたくさんの事例が紹介されていてとても興味深いものだった。
子供は親(特に母親)を ’’自分で選んで’’ 生まれてくるらしいが、どうやらきょうだいとも生まれてくる前に約束しているようで、「弟に『後からおいでね』と言って僕が先に生まれてきたんだよ」という記憶を語る子がいたり、「どっちが先に行くか二人で話して決めたんだよ」と歳の近い弟をもつ子が語る例もある。
この世は科学では証明できないことだらけだ。
世界中の沢山の子供たちが、異口同音に、何の迷いもなく生まれる前の記憶を話す様子を見ていると、命は、そもそもこの世は、《神秘》だらけなんだと受け止める方がすんなり納得できる。
それに、そう捉えた方が、どんなことも頭ではなく心で、そう、愛をもって行える気がする。
乳母車の中のご機嫌ななめな妹をお兄ちゃんが慰めていた。
親に言われるでもなく、そっとしゃがみこんで妹と目の高さを合わせ、優しく手を添えながら言葉をかける微笑ましい光景。
泣きべそをかいていた妹が可愛い笑顔になっていく様子、それを嬉しそうに見守るお兄ちゃんの姿、きっとこの兄妹も、生まれてくる前に固く約束を交わしていたのかもしれない。
le 27 Octobre 2022
十月のパリがこんなにも暖かいのは珍しい。
晴天続きで風もさほどなく、澄んだ青空には柔らかい表情の雲が浮かんでいて、秋容の樹々とのアンサンブルが美しい。
どこの公園も平日だというのに人でいっぱいだが、思い思いに日光浴しながらの穏やかな空気が流れていて、人の多さはあまり気にならない。
’’お互いに干渉しない’’ というフランス人の気質が、多分こういうところにも出ているのだろう。
「干渉しない」のは「邪魔をしない」ということにも通ずるわけで、互いを尊重しての言わずもがなのマナーも働いている。
普段からフランス人はあまり大声では喋らない、というか大声を出さずとも話せる言語としての定着は ’’お喋り好きな民族だからこそ’’ とも言えるのではないかと密かに分析している私だ。
それに公園には、独りかせいぜい二人で訪れる人が殆どなので、人が多いわりにはザワザワとした雰囲気にはならない。
(但し、そこにアメリカ人がいたら全く話は別だが!)
すぐ傍にいながらも、人は人、自分は自分、という心地よさ。
せっかくお天気がいいのだから皆それぞれに自分の時間を大切に味わいましょうね、という暗黙の連帯感。
日光浴しながらの読書という定番の風景も、大都会でありながら、心地よい静寂を個々が提供しあえているからだろう。
le 28 Octobre 2022
天文学者や占星術師などは別として、宇宙や星々のことを四六時中意識し続けている人はそんなに多くはいないだろう。
せいぜい太陽や月、夜空に瞬く星を綺麗だなと見上げても、水星が今どの位置か、などと常に考えたりはしていないと思う。
ただ、こちら側が意識するしないに関わらず、我々は星々の動きから大きな影響を受けていることはどうやら間違いなさそうだ。
「誕生」と「臨終」のタイミングが潮汐(ちょうせき)、つまり月の引力と関係があるように、ひとりひとり、生きている間も日単位、月単位、年単位での影響を受けている。
また地球自体が受けるものとして、星どうしの位置関係がその鍵を握っており、ほぼ二百年サイクルで「火」「土」「風」「水」という四つの時代を順繰りに移り変わってゆくのだそうだ。
お伽噺に聞こえるこんな話に全く興味の向かない人でも、今の時代のあり方をよく観察していると感じずにはいられないだろう。
一昨年あたりから様々な在り方や価値観が急激に変化し、明らかに「時代がガラッと変わってきた!」と体感する具体的な出来事が、身のまわりでいくつも起きているはずだから。
だとすれば、人智の及ばぬ域で起きていること、そのパワーに魂を共鳴させ、より高みへと幸せの道を進んでいこうじゃないか!
難しいことじゃない。
己を解放し、’’感覚’’ に舵をとらせ、宇宙に委ねればいいだけだ。
le 30 Octobre 2022
冷たい風が急に吹き始めた九月の末、あぁ今年もこのまま冬に向かって進んでいくんだなぁ... ときっと誰もが思っていた。
ところが、まるで「夏の終わり」に大きな忘れ物を取りに戻ったかのようなこの数週間。
時計の針を1時間戻して冬時間になったというのに、今年の十月は最後の最後まで晴天日が多く、本当に暖かかった。
例年なら曇り空が続き、緩く暖房を入れる時期なのだが、今日も日中の気温は20℃を軽く越え、風も暖かくて汗ばむほどだから、元気に動き回る子供たちは Tシャツ姿にならずにはいられない。
それでも確実に季節は進むことを誰もが意識しているからこそ、毎日「この暖かさは今日が最後かもしれない!」と思うのも皆 同じようで、ギリギリまでこの太陽エネルギーを受け取ろうと多くの人が連日のように外に繰り出している。
’’いつも必ずそこにある’’ という安心を根本から覆された辛い日々からの学びが、この三年弱で深層心理にしっかり染み込んだ。
’’やりたいことを先に延ばさない’’
’’会いたい人にはすぐ会いに行く’’
今日と同じ明日がくるとは限らず、そして全てのものは有限だからこそ、’’今’’ にしなやかにフォーカスし、’’感覚’’ を働かせ、降り注ぐ様々なサインを読み誤らずに進んでいこう!
’’この瞬間’’、’’今’’、そのつながりこそが人生なのだから。
le 31 Octobre 2022
運搬用に使われていたペニッシュと呼ばれる平底船を改造し、そこに居住する人たちのことをペニシャールというらしい。
地上に生活するのと同じように、セーヌ川沿いに停泊しているこれらの船を ’’住まい’’ としているというわけだ。
決して一時的な仮住まいではなく、上手に改装し、とても快適な生活空間にしている人が殆どのようだ。
だが、水の上といっても停船料もかかるし、その他 色々な経費もかかり、実際、大雨や嵐の時には大変なことも多いに違いない。
私にはペニシャールの友人はいないけれど、しっかりポリシーを持って水上生活を選んでいる人が多いのだろうなと想像する。
セーヌを眺めていて、観光船、警察のパトロール船、たまに貨物船も見かけるが、「家」となっている船が川を移動している光景には未だ遭遇したことがない。
でも、免許があれば、海は駄目だが川や運河の移動は可能らしく、いつでも自分の家ごと旅行ができる、というわけだ。
なんと夢のある暮らしだろう!
若い時は外へ外へと興味が広がっていったものだが、ある程度の年齢になると行動範囲はどうしても狭くなっていきがちだ。
けれど、いつでも世界は広く、自分は自由にどこへでも行ける、このことを忘れないでいたいと思う。
それを意識しているかどうかで、自分の中から湧き上がってくるビジョンが断然 違ってくると思うから。
le 1 Novembre 2022
いつもの時間帯、いつもの散歩道、いつもの「ボンジュール」。
犬たちにも ’’親しいお友達’’ という間柄の相手がいる。
ちぎれんばかりに尻尾を振って全身で激しくじゃれあう犬たちや、静かな語らいの挨拶を交わす犬もいて本当にそれぞれだ。
当然ながら犬同士にも「相性」があって、初対面でも双方が好意的に挨拶している場合もあれば、威嚇し合っていたり、一方は興味を示さなくとも興味を示した方が名残り惜しそうに何度も振り返りながら去っていく姿に心の声が聞こえてきそうな時もある。
「相性」というのはとても不思議なもので、人間も全く同じだ。
データ的に出せるものではなく、当事者以外には分かり得ない。
いや、当事者でさえその ’’理由’’ は明確には答えられない。
なぜか好き、なぜか嫌い。
どちらにせよ、その感覚はねじ伏せなくていいものなのだ。
理屈で判断して「この人とはうまくやっておきべき」なんて思っても、どうせそのうち噛み合わない時はやってくる。
時間制限のある人生、合わない人を相手に心を殺してまで頑張るより、合う人との幸せな時間をよりたくさん持った方がいい。
片方だけが興味を示す場合はどうなるかって?
それもやっぱり ’’感覚 / 勘’’ に従って決めるのがいいだろう。
相手の感覚がまだ覚醒していない場合も考慮に入れて。
ご縁に敏感に、ご縁に誠実に、ご縁に感謝して生きていこう。
le 3 Novembre 2022
小さな南京錠にお互いの名前を書いて愛を誓う ---
もともとは、セーヌにかかる橋のひとつ ’’芸術橋 ポン・デザール Pont des Arts ’’ で2008年頃から静かに始まったようだ。
歩行者専用の橋の上がそのまま憩いの場所であり、この橋は欄干も鋼鉄製なので鍵をつけるには打ってつけな形状なことも大きかったのだろう、『二人で取り付けた南京錠、その鍵をセーヌに投げ込み永遠の愛を誓う』というブームになっていった。
ところが! 端から端まで隙間なく、見事ギッシリと南京錠で埋め尽くされてしまい、2014年、ついに重さに耐えきれなくなった橋の一部が崩壊した時にはちょっとしたニュースになった。
撤去された南京錠の総重量は45トン以上といわれる相当な量なので、川底にもものすごい数の鍵が沈んでいることになる。
橋の崩壊以降、応急策として欄干が木製パネルで覆われ、「ここに南京錠をつけるべからず!」なる文言まで掲げられ、本来は美しいはずの橋がつい最近まで何年も無様な様に耐えてきた。
ポン・デザールを追われた恋人たちはどこへ向かったのか?
世界中からパリを訪れる恋人たちをターゲットに、土産物屋が色とりどりの『愛の南京錠』をお手軽な値段で売っているのだから、当然ながら観光ポイントほどよく売れることになる。
モンマルトルのサクレクール寺院前の広場も今やそういう場所になりつつあり、ここを含めパリのあちこちに、今日もまた、恋人たちは誓いの痕跡を残してゆく・・・
le 4 Novembre 2022
秋のマルシェを賑わわせる野菜のひとつ、かぼちゃ。
日本での濃い緑色のと同じように皮は硬く、大きな種がギッリシ詰まっていて、切る時にも似たような感触なのだけれど、実(み)は水っぽく、日本の煮物のようには使えない。
フランスに来た当初は日本のものが恋しくもなり、似ているようで実は違う... となるとちょっと残念な気持ちになったものだ。
けれど今は、むしろそれぞれの特性や味を楽しむべく、例えばバターでソテーにしても美味しいし、蒸していただくことも多い。
もしくはポタージュだ。
(どれも日本のかぼちゃでも美味しい食べ方だけれど!)
パッと見、日本でのさつまいもに似ているおいも(これも同じく水っぽい)とミックスで作るポタージュはなかなか美味しい。
今では、日本に行った時に逆に「フランスのと違うなぁ...」とついガッカリしてしまう時もあるくらい、それほどどの食材にも違いは多いが、よく考えてみると違っていて当たり前なのだ。
比べるのではなく、それぞれの特性を知り、良さを引き出し生かしていくことで魅力を知っていける楽しさがある。
先入観(たいていの場合、不要なのだこれが!)を捨て、こちらから胸襟を開いて近づいていけば、素敵なご縁に発展する。
そしてそれは、必ず自分にとっての新しい扉のひとつになる。
人との関係にも当てはまるとても大切なことのような気がする。
le 7 Novembre 2022
アクロバットと呼んでいいのだろうか、二人組の女性の様々なポージングを、ひとりの写真家さんが撮影していた。
パリでは季節を問わずあちこちで撮影現場に遭遇するが、大掛かりな映画やドラマではない限り、たいてい映り手と撮り手の最小限の人数だけで粛粛と撮影を進めている場合がほとんどだ。
別に通行制限もせず、そもそもそういうスタッフもいない。
パリジャンたちも心得たもので、邪魔にならないところで暫し足を止めて眺めたりはしても、異様な人だかりができるわけでもなく、ごく自然に撮影の時が流れてゆく。
そういうことも含めて「パリ」という街に起きる「日常」なのだなぁと思う。
もう随分前になるが、世界的に有名な映画俳優さんが、ウチの近所でごく普通に犬の散歩をされているのを見かけたことがある。
空港での搭乗の列でやはり有名な俳優さんを見かけたこともあるが、周りの人たちが特に騒ぐこともない中、すぐ後ろの人からの話しかけに気さくに応じておられた様子がとても自然だった。
そういえば、もう30年ほど前になるが、オペラ通りの近くで岸惠子さんとすれ違ったこともあったなぁ。
パリ市内は東京の山手線の内側ほどだと言われるように、首都といえどそんなに面積が広いわけじゃない。
どこで誰に会っても全く不思議ではないからこそ、かえって様々な事が、自然体のままそこに在るような気がする。
le 9 Novembre 2022
夕方というにはまだ少し間がある秋の午後。
うろこ雲を背に、ひときわ存在感のある雲に出会った。
見た瞬間、紛れもなく「翼だ!」と私は確信した。
ルーヴル美術館から飛び出した『サモトラケのニケ』が大空に翼をはためかせているとしか見えず、ばっさばっさと風を切る音まで聞こえてきそうな姿に、思わず声をあげかけた。
1863年、頭部と両腕が失われた状態でエーゲ海のサモトラケ島で発見された 244cm もある大理石の彫刻。
制作年代は大まかにしか推定できないらしいが、いずれにせよ「紀元前」という気の遠くなるような大昔に作られた大傑作だ。
それにしてもこの雲の、なんと力強い姿だろう。
揺るぎない意思と確信とを持って、堂々と空をゆく様(さま)。
宇宙は、いつも様々なものの姿を借りて、わたしたちに沢山のメッセージを贈ってくれているという。
どんなふうに受け取るかはもちろん一人一人それぞれだ。
どこかにたったひとつの正解があるわけでもない。
’’理屈’’ ではなく ’’直感’’ で受け取ったものが、その時のその人への、愛あふれる指針、メッセージなのだと賢者は語る。
le 12 Novembre 2022
突っ切ると大通りの向こうに蝋人形館が見える、そんな立地に、まるで下町の横丁のような雰囲気のこのパッサージュがある。
その古さからくるなんとも言えぬ味わい深さが私にはとても魅力的で、特に用がない時でさえここを通り抜けることも多い。
飲食関係の店舗だけでも、古くからのビストロや異国料理など多彩だし、おそらくここが出来た当初から営業している古切手や古絵葉書を扱うお店が何軒もあったりして、まるで何世代もがひとつ屋根の下に同居している大家族のような空気が流れている。
そんなふうに、ただ古いだけでなく今という時代にしっかり呼吸しているパッサージュだが、ヘンに新しく手を入れ過ぎていないところも私には妙に落ち着くのだ。
数百年ものの樽で作る醤油や味噌が料理にコクをもたらすように、このパッサージュじたいに、まるで代々からの酵母菌や乳酸菌が息づいているかのように思えてくる。
「場」、特に「古い場所」には、目には見えなくとも長い年月のうちに培われてきた底力(そこぢから)が備わっているものだ。
その凄みは、’’今’’ に生きる私たちの生活に言葉では言い表せない指針を与えてくれる、まるで長老のごとき風格を思わせる。
le 13 Novembre 2022
よく世間で二択にあがる「犬派」か「猫派」か。
問われれば、私は圧倒的に犬派ということになる。
猫と一緒に暮らしたことがなく、犬に比べて仲良くなり方をよく知らない、それだけが理由とも言えるのだけれど。
当然ながら個体差はあるが、犬種によって性格の傾向があり、面白いのは、人間基準で考えて ’’獰猛そうな外見’’ がそのまま獰猛かというとかえって穏やかな性格だったり、ぬいぐるみにように小さくて愛くるしい外見だからといってその通りではない。
きっとそれは猫にも当てはまりそうな気がする。
つくづく人間は、一方的で、狭いものの見方をしているなぁ、と思うのはそんな時だ。
黒猫を縁起が悪いと忌み嫌う理由は歴史的に様々あるようだが、いずれにしてもどれもこれも人間側からの勝手な言いがかりにすぎず、当の黒猫たちにとっては迷惑以外の何ものでもない。
むしろ、パリで遭遇する彼らはなんといっても美しい。
黒くしなやかな身体に金色の瞳がよく映え、高貴な佇まいながらも決して冷淡ではなく、とても思慮深そうな表情をしている。
日本ほど道端で猫を見かけることのないパリだが(田舎はまた違うが)、こんなふうに、なんということのない街角の壁に描かれた姿にも、描き手の温かさの乗った愛らしさが感じられる。
le 15 Novembre 2022
たとえファッション業界に縁遠いとしても、この街にいると少からず何らかの影響を受ける。
普段、何気なく目にしている光景、という意味でだ。
まるで制服かと錯覚するぐらい、頭の先から爪先までその時々の流行とやらで身を固めた人々が大都会に溢れていて、どこの店にも同じものしか売っていない国(どことは言わない)とは違い、ここではまず「同じ格好の人」を探すことじたい不可能に近い。
決して高級なものを身につけているわけでもないのに、一人一人が違う装いをしていて、その人によく似合っている。
ブッ飛んだ髪色と奇抜なメイクの若者もいるし、個性の主張など目的とはしていないごく普通の人たちを含め、’’本人の心地よい格好をしている’’ のは見ていても気持ちがいいものだ。
ひと昔前とは違い、今は男性でもお化粧をし、好きなアクセサリーをつけ、個性的なファッションをしている人も多く見かける。
対して、判で押したように皆んなで同じ格好をする社会、それは果たして「服装」に関してだけで済んでいるのだろうか。
「自分で着る服を自分で選ぶ」という行為は、「自分の意見をきちんと持つ」ことととても近いと思う。
人の目があるから皆と同じようにしておこう、エラい人が言うから従っておこう、なんてことを自分に対しての理由にせず、自分の頭で考え、自分の行動を自分で選択していく力をつけていくことは、今の時代の流れの中で特に大切なことのように思う。
le 16 Novembre 2022
手が触れた瞬間、幻のように消えてしまう。
すぐ目の前にあるのに掴(つか)み取ることができない。
それでも、どうしても、手を伸ばさずにはいられない・・・
幼少期にこうやってシャボン玉を追いかけることで、もしかしたら潜在意識に何か大切なことを意識させているのかもしれない。
美しい花々、見事な紅葉、言葉では表せない空や海の表情 etc. 自然界のものは全て、ひとときも同じ状態ではない。
儚(はかな)く、刻一刻と移り変わってゆく。
一瞬たりとも我々のこの手に握りしめることなど叶わない。
実は、一生懸命築いた物質的な富や栄光も同じだ。
この地球上の全ての人が、この身体を脱いでこの世から去る時、持っていけるものはただひとつ。
経験したこと、そこから得た『学び』だけだからだ。
我々が ’’儚いもの’’ に本能的に惹かれるとするならば、あるいは我々に与えられた命というものも儚いものだからなのだろう。
けれど、’’儚さ’’ とは、決して弱々しいものではない。
むしろ我々は、凝縮した一瞬に強烈な輝きを放つ、実にパワフルな存在のはずだ。
ならば、かけがえのない人生を大いに輝かせようじゃないか。
そのために生まれてきたことをしっかり思い出そうじゃないか。
le 18 Novembre 2022
日本への入国規制も緩くなり、世界各国からの観光客が日本の紅葉を満喫している、そんなニュースをインターネットで見た。
画面に映る各地の紅葉、そして彼らのインタビューを聞いていて、改めてその素晴らしさに思いを馳せている私だ。
彼らが異口同音に賞賛するように、確かに日本の紅葉はその色彩の豊かさ、そして美しさが随一だと思う。
興奮気味に語る彼らに対し、若い日本人インタビュアーの「いつも日本の秋はこんなですよ」と返す平然とした口調に、’’当たり前’’ と捉えることからの愚昧(ぐまい)さを感じてしまった。
いつも ’’当たり前にそこに在る’’ と思っていることが、実は特別なことなのだと、私を含め、我々はつい忘れてしまう生き物だ。
毎朝 目が覚めて、食事をし排泄をし、夜、再び瞼を閉じて眠る。
就寝中ですら、身体の全機能は各々の仕事をしてくれている。
ほとんどの人が雨風しのげる場所を持ち、蛇口を捻れば水が出て、息をするための空気が足りなくなるということもない。
こんなふうに ’’つつがなく’’ 生かしてもらえているのは、この地球という星が、我々の想像をはるかに超える ’’豊かさ’’ を備えているからではないだろうか。
紅葉という形で見せてくれる極上の色彩のパフォーマンス(もちろん彼らにそんなつもりはないだろうが!)。
季節限らず、全ての瞬間に見せてくれる姿から、我々はもっと多くを感じとり、示唆を得られるのではないかと思うのだ。
le 19 Novembre 2022
小説やエッセイ、往復書簡や詩集、思想書もあれば興味ある分野の専門書 etc. もともと本を読むのは好きな方だが、数年前に数百冊を処分したはずなのに全く減った気がせず、いつの間にこんなにも増えてしまったのか... と溜息の出る今日この頃だ。
最近、過去に読み終えたものを次々と読み返してみている。
読後感だけ残っている本もあるし、全体のトーンを印象として憶えている本もあれば、確かに読んだ形跡はあるのに一向に内容を憶えていない本もあって愕然とする。
いずれにしても、「再読」という行為はなかなか面白い。
五、六回読んでいるにもかかわらず「なるほど...」と感じ入ったり(単に憶えていないだけかもしれないが!)、小説だったら同じシーンで同じように心揺さぶられ、その度に沢山のことを考えさせられては作家さんの力量に尊敬の念を抱く。
中には、「重要!」という意味でページの端を折ってあったりもするが、再読してみると別の箇所を折りたくなる本もある。
おそらく私自身が変化しているから、という意味でも興味深い。
文庫本なら数百円、単行本でも一部を除いて目玉が飛び出るような金額ではなく、こんな値段でこんなにも素敵な世界に誘ってくれるものを、何度でも堪能しない手はない、と改めて思う。
その度に新しい刺激を貰え、人生を豊かにしてくれるのだから。
le 20 Novembre 2022
’’私の庭’’ Palais Royal パレ・ロワイヤルの一角で存在感を放っている球体アートの噴水は、ベルギー人 Pol Bury による作品だ。
1922年生まれなので、今年がちょうど生誕100周年となる。
彫刻、版画、絵画、宝石デザイン、執筆、さらには噴水の建設や実験的な短編映画の製作まで行っていた人のようで、1961年パリ移住から亡くなる2005年まで、この地で製作に情熱を注いだ。
この噴水は、どんな仕掛けなのかわからないが、球体ひとつひとつが一定周期でかランダムにか、色々な方向にコロンと動く。
その度に映る景色が変わり、水の音を聞きながらこの球体を眺めていると、時の経つのも忘れてしまう不思議な魅力がある。
水が流れ、映る雲も流れ、そして時も流れる。
83年の生涯、様々なことに精力的に取り組んだこの作家ならではの、足し算どころか掛け算並みの相乗効果を得て、造形美はもちろんだが、絵画のごとく次々と異なる景色を見せてくれたり、ある意味、詩で哲学を語っているようにも思える作品だ。
ひとつの道を脇目もふらず、一心に追求していく生き様も素晴らしいし、あるいはまた、持てる能力すべてを複数の手段で花開かせていく生き方も、同じように素晴らしい。
誰ひとりの例外なく、時間制限のある一度きりの人生だ。
感性の赴くままに閃きをしっかり手につかみ、魂を自在に輝かせられる生き方をしていけたら最高ではないだろうか。
le 21 Novembre 2022
空も、日によって様々に異なる顔を見せてくれる。
穏やかな微笑みを湛(たた)えている日もあれば、上機嫌に、ひたすら陽気に笑っている日もある。
慈愛に満ちた表情で雨を降らせている日もあるし、哀しみややるせなさで泣いているような日もある。
愚かなニンゲンが、白線だらけにして良からぬことをしている日には仏頂面でじっと耐えているし、そんな我々に大地の異変をいち早く知らせようとしてくれる時もある。
またある時は、劇場のように物語を紡いでくれる時もある。
いっときも目を離せないほどのドラマチックな展開に、立ち止まってずっと空を見上げているヤツがいたら、それは私だ。
街がノエルを迎える準備に入り、急に冬が近づいてきたことを実感させられるこの時期、特に黄昏(たそがれ)時の空は饒舌だ。
十方の空が、それぞれ別の幕を見せてくれているようなある日、ルーヴル美術館越しに見た東の空、劇的な雲の間に、こんなふうに、ひとつの扉が現れた。
多くの臨死体験者が語ってくれるように、その扉の向こうは、目も開けていられないほどの眩(まばゆ)い光で満ち、ただただ温かな、愛で満たされた安らぎの場所であることが想像できる。
身体を脱いでそこに行くだけに過ぎず、確かに、何も恐れることなどないということも想像できる。
le 23 Novembre 2022
’’扉’’ のあちら側とこちら側は、あたかも数センチほどの厚みの扉で便宜上の区別がなされているだけで、その扉はいつでも簡単に開けられ(否、開ける必要もなく!)、あちら側とこちら側に居てさえいつでも深い交流が可能なのかもしれない。
これまで我々が観念として頭で理解してきた「永遠の別れ」などなく、むしろ「永遠に共にある」とする方がよりリアルなのかもしれない。
賢者たちの言葉を聞く迄もなく、そう考える方がすんなりいく。
あちら側に還って尚、こちら側に投げかけてくれる彼のメッセージは、時代が大きく変わった ’’今’’ にこそ全世界に届けと言わんばかりの内容であることがそれを証明している。
紛うことなく先日の新曲のリリースは、まさに ’’Miracle'' な在りようであり、もっと高い視点から見れば、何もかも、すべては ''in the lap of the Gods '' だとも受け取れる。
実は、こういうことは日常のそこここに溢れている。
気づいていなくとも、誰の身にも起こっていることなのだ。
日々のひとつひとつ、良きことも一見そうでないように思えることも、すべてがかけがえのない ’’贈り物’’ なのだと気づけた時、恐れを手放せるとともに、''Face it alone''、これを自らに課せるのではないだろうか。
le 24 Novembre 2022
夢にまで見た高みに到達した時、そこから見える風景は想像を越えて心踊るものだろう。
昇ってきた自分を大いに誇っていい。
努力を認め、労(ねぎら)えるのは、他の誰でもなくそれを一番知っている自分なのだから!
けれど、その道中は決して自分ひとりの力で歩んでこられたものではないはず。
数々の困難、高い壁、時に屈辱や自信喪失も味わわなかったはずはない。
そんな時、どんな人たちが力を貸してくれ、励ましてくれただろうか。
後押しし、時には引っ張り上げ、どんな状態の時も無条件に信じ、愛し、見守り続けてくれた存在があったからこそ。
そのことを、決して忘れてはならない。
高みから見る風景には、それらは大抵含まれていないからだ。
絵に描いたような笑顔の仮面をつけた者たちが、口々にわざとらしい賞賛を叫びながら纏(まと)わりついてくる。
その作り物のきらびやかな光が、真実を見抜く眼を曇らせる。
実は、『高み』には終点はない。
それさえ分かっていれば、大切なものを失ったりはしない。
(*写真の可愛い少年と文章の内容はいっさい関係ありません)
le 28 Novembre 2022
昼から夜へ。
舞台転換の時間が日に日に早まってきて、17時を待たず日没を迎える季節となった。
午後のお茶の時間を過ぎたあたりから「夜」は遠慮気味に近づいてくる。
「昼」の方も心得たもので、早々と帰り支度を始めはするが、ご機嫌のいい日はこの二人の主役が語り合い、戯れ合う時間がとても素敵な一幕となる。
どちらも決して強い主張をしはしない。
むしろ譲り合うように、または受け入れ合うように、お互いに手を差し伸べる。
その結果、得も言えぬ美しい融合を見せてくれるのだ。
雲を染め、空を染め、時に翳(かげ)り、反射を楽しみ、風の力も借りながら次々と彩(いろどり)を変えてゆく様は、互いの変化を賛美しあっているかのようだ。
静かな、とても優美なひととき。
それでいて、こんなにもスケールの大きなスペクタクル。
一日として同じ出し物はない。
今日も、素晴らしい贈り物をありがとう。
le 29 Novembre 2022
溢れ出てくるまま自在に描き / 書き出してみると、自分の頭の中にはなかったものまで、どこからか飛び出してくる場合がある。
いや、実はそれは ’’なかった’’ んじゃなく、まだはっきりと形を成していなかっただけで、深層心理や潜在意識の中にちゃんと在ったものなんだ。
我々は、頭の中で全て整理でき考えられると思い込んでいる。
確かに可能だろう、ある程度なら。
でも、面倒がらずに自分の「外側」に出してみることでより客観的に把握することができ、整理だってつきやすくなるんだ。
自分の『夢』にだって、そうしてみるといいらしいじゃないか。
狭い頭の中で漠然と考えているより、どんな形でもいい、文字でもいいし絵でもいい、描き / 書き出してみると大きく変わる。
人に見せるものじゃないんだから気負う必要なんかない。
思い浮かんだものはどんなこと?
あなたがしたいことはどんなこと?
きっとそれは、ずぅーーっと前から望んでいたことのはず。
さぁ、誰に遠慮もいらない。
描く / 書くのはタダだし、誰に迷惑もかけやしないんだから。
le 30 Novembre 2022
西の空が柔らかく色づく時間帯。
一日を優しい気持ちで振り返ってみることにしよう。
胸を張れたことばかりじゃない。
「もうちょっとこう出来たらよかったな...」と思うこと、「あんなふうにしなければよかった...」と思うこと、今日も色々あったよね。
でも、どんな自分も、その瞬間瞬間そうするしかなかった、あるいは、そうする方を選ぶ自分なりの理由があったはず。
我々は、自分に余裕がなければ人に手を差し出すことはなかなか出来ない生き物だ。
それは決して恥ずべきことじゃない。
そもそも、自分がギリギリなのに人を優先する必要はないんだ。
学校では「困っている人を助けましょう」と教わる。
そう出来る事が、人間として素晴らしいのだと教育されてきた。
でも本当はそうじゃない。
自分が先ず豊かに満たされていないことには始まらない。
そして、知っておくべきことがある。
『自分を満たすことのできるのは自分だけだ』ということ。
とても大切なことなんだ。
le 1 Décembre 2022
夕方の光がゆっくり街を染めていたある日。
パリの真ん中を東西に走るリヴォリ通り Rue de Rivoli で、こんな撮影が行われていた。
交通量の決して少なくはない大通り、しかも時刻は完全にラッシュアワーにかかる時間帯だ。
信号が赤になる瞬間を狙って、ダンサーとカメラマンが素早い動作で道路の中央まで出てゆく。
日本の信号機の3倍ほどの早さで赤と緑が慌ただしく入れ替わる中、一瞬に集中して、彼女たちは踊り、その姿をカメラが追う。
詳しい知識がないので確信は持てないが、衣装や踊りからして、タイかミャンマーのダンサーではないだろうか。
機内誌を飾る写真なのかもしれないな... 何の根拠もないながらふとそんなことを想像しつつ、思いがけない素敵な時間をしばしカメラのレンズ越しに堪能させてもらった。
オレンジ色の光に包まれる晩秋の夕暮れ、背後から大勢の車が走り寄ってくるパリの大通りの真ん中で、美しい衣装に身を包み、コンクリートの上を素足で舞う二人。
石造りの西洋の佇まいと、異国情緒あふれる東洋の民族舞踊。
日常にはちょっとない組み合わせの妙。
パリという街は、あらゆるものを肯定し、受け入れる。
そして、それら全てを「パリ」というものにしてしまう不思議な力がある。
le 2 Décembre 2022
自分の外側を、懸命になって何かいいもので埋めようとするのは、自分のことをより良く、より深く理解してほしいと思う気持ちがそうさせるんだよね。
でもさ、そもそも、あなたのことを大切に思ってくれている人は、そんなことをしなくてもちゃんと理解してくれようとする。
とすれば、あなたが必死になるのは、そうじゃない人たち相手にやっていることにならないかな。
世間的によく思われたいとか、世の中から避難されるような生き方はしていないとアピールする為に、外側を固めようとエネルギーを使う・・・。
そういうふうにして自分という人間の輪郭を作ろうとするのは、他人目線で生きるということになりはしないかな。
人にどう思われるかなんて、自分にはどうにもできないこと。
親子やきょうだい、夫婦でさえ、友人でさえ、相手の心をコントロールなどできない、ましてもっと遠い関係なら尚さらだよ。
結局のところ、ひとりの例外もなく、人は誰でも ’’見たいようにしか見ない’’ ものなんだから。
そしてそれは、あなた自身には何の関係もないことなんだ。
自分の内側にピントを合わせ、己を慈しみ、丁寧に生きていれば、あなたの輪郭はおのずとくっきり素敵なものになってゆく。
その時、外からどう見られていようが、「お好きにどうぞ」という心境になっているはずだよ。
le 6 Décembre 2022
ご縁あって巡り逢う。
同じ時代に生まれてきたこと、これが先ず大きなことだろう。
完全に時代がすれ違っている人とは、当たり前だが生身の肉体を持った者同士としては出会えない。
かといって、いくら同時代に生まれはしても、この地球上のどの場所に生まれつくかで出会える確率も全く違ってくる。
とは言え、地球のあっち側とこっち側の国に生まれた者同士がご縁に導かれて出会い、一生を共にすることも珍しくはない。
『ご縁』というものは、つくづく不思議なものだといつも思う。
どんなに手を尽くしても繋がらないものでもあり、反対に何ひとつ作為的なことなどしていないのに、どれほど時間や距離が壁となりはしても、驚くほど自然に、深く繋がる相手もいる。
『ご縁』は、人間だけに限ったことじゃない。
例えば住む家もそう、私なら楽器もそうだし、日常的に使うもの、服や靴、極端なことを言えば日々の食材だってそうだ。
全て、出会うべきものに、出会うべき時に、出会わせてもらえているんだと思う。
何もかも、『ご縁』によって生かされている、と考える方がすんなり納得できてしまう。
自力でどうにかなるものではないからこその、大きな感謝だ。
le 7 Décembre 2022
人間の心臓の形を象(かたど)ったとも言われるハート型。
諸説あるようだが、どうやら人類は、はるか昔から愛情を表現するものとしてこの形を使ってきたようだ。
実際には、心臓という臓器が物理的に愛情を作り出しているわけではないことぐらい誰でも知っている。
けれど、「愛情」を失くしてしまえば我々は、(精神的に)死んでしまうことをよくわかっていて、それを心臓と直結させているのだと思う。
そうなのだ。
我々は誰も皆、愛されたく、癒されたく、赦(ゆる)されたい。
だが、それを外側に求めてしまい、自分の望みどおりに満たされないことで哀しさや怒り、恨みや嫉妬を生んでしまう。
しかもそれを誰かや何かのせいにし増々状況を悪化させていく。
その連鎖を断ち切ろう。
誰もが自分の中に愛の湧き出る泉があることを思い出そう。
際限なく、こんこんと豊かに湧き出る泉があることを。
そして、日々の全ての言動を自分のハートから放っていこう。
それを一番最初に受け取るのは自分自身だ。
大切な自分に愛を与え、存分に満たすことから全てが始まる。
その先にこそ、愛の循環する素晴らしい世界が広がっている。
le 8 Décembre 2022
撮影の邪魔にならないよう、柱の陰からこっそりご相伴。
こういう光景は、いつ遭遇してもこちらまで嬉しくなってくる。
そして思う、「幸せ」は倍増していくものなんだなぁ、って。
この地球上に「幸せ」の絶対量が決まっていて、あっちで幸せが増えればその分こっちで幸せが減る、なんてことはない。
なのに何故、人は人に嫉妬するのだろう。
むしろ、共に喜べた方が自分にも幸せを手にする道が開ける。
同じ幸せでなくとも、また違った形での幸せが舞い込んでくる。
幸せの波動がさらなる幸せを呼び起こすからだよ。
自分がそれを受け取れる状態になっていれば、幸せはちゃんとやってきてくれる。
羨(うらや)んだり妬(ねた)んだり、ギスギスした心持ちでいる人のところに、幸せさんだってやってきたくはないはず。
賢者たちがいつも言う。
『思考が現実を創る』、と。
つまり、自分の望む状態を思い浮かべることが先だということ。
そこに秘密があってね、思い浮かべている時、実は既に幸せな状態が始まっているんだ。
そう、「幸せ」は、そう思える ’’状態’’ のことを言うんだよ。
le 10 Décembre 2022
口に出さなければ、いくら相手を憎々しげに思っていてもバレるはずがない、そう思っている人がいることに驚く。
そんなはずないじゃないか。
人間は ’’言葉’’ だけで交流しているわけじゃない。
「目は口ほどにものを云う」とも言われるように、どんなに隠し通せているつもりでも、どういうわけか、負の感情ほど確実といっていいほど相手に伝わってしまうものなんだ。
関係の濃い薄いにかかわらず、遠く離れて顔を合わせられない状況の相手とでさえ、’’言葉’’ 以外の部分もしっかり伝わる。
ほんの短い活字のメッセージにすら、’’波動’’ は必ず乗る。
『想念』というものには、人間が頭で考えている域をはるかに越えた、とてつもないパワーがあるからなんだろう。
それ如何で、幸せな方へも不幸せな方へも簡単に行けてしまう。
迷う余地などあるだろうか。
放っていくのは『愛』だけだ。
人に対してだけじゃない、動物や植物、あらゆるものに対して渡していくことで、良い循環を生み、皆で幸せを共有していける。
先ず自分に、大切な相手に、温かいものを放っていこう。
難しくはない、本来の在り方を思い出せばよいだけなのだから。
le 12 Décembre 2022
我々は、出逢い、惹かれあい、強く繋がっていく過程で、一秒でも長く相手と目と目を合わせ微笑みを交したいと願う生き物だ。
共通項をあれこれ見つけては喜びあい、初めて知る事柄には積極的に好奇心を湧き立たせ、相手の世界を深く知ろうとする。
その時間は互いに心地よく、共有することで幸せが満ち溢れる。
そしてたいていの人が経験するように、そこから続く日々は文字通り山あり谷あり、想像していなかったことさえ多々起きる。
言葉が通じないことに心を傷め、苦しみもがく事態も味わう。
長く時間を共にしてようやく理解するのだ。
もともと別々の人間だった、という至極当たり前のことを。
全ての瞬間の感動を共有できなくとも、全ての価値観がピッタリ一致しなくとも、むしろそれは当然のことだと気づく。
見つめ合い続ける必要はなく、自分自身が選択する方向に目線を向けることで、心地よい関係を再構築していけると発見する。
それぞれの眼差(まなざ)しの先に見たいものを見、気が向けば相手に話すもよし、自分の心にしまっておくのもよし。
互いの体温をほんのり感じとれる距離にいて、さりげなく支えあえることで、柔らかく歩調が合うだろう。
根底に、互いへの揺るぎない信頼があれば。
培ってきた中に、相手への尊重と感謝があれば。
le 14 Décembre 2022
空も海も山も、花々や樹々、鳥たち、動物たちも、自然界の色はすべて ’’言葉に変換できない色合い’’ をしているなぁ、と思う。
どんな色づかいをすればこんな色が出るんだろう、そう思いながらいつもうっとり空を見上げる。
特に夕暮れ時、時間の移り変わりと共にいつの間にか色合いが変わっていく様は、まるで魔法を見ているかのようだ。
ニンゲンもそれらを真似て様々な色を作り出そうとはするが、どこまでいっても自然界にはとうてい敵わない。
色に限らず、あらゆることに挑戦するニンゲンたち。
その姿勢はもちろん素晴らしいことではある。
けれどどんなに頑張っても、我々の生命体を維持していくために ’’ニンゲンが1から作り出せるもの’’ は実はひとつもない。
だからといって人間が劣っていると思う必要はない。
そもそも、そういうものだからだ。
動物、植物、鉱物たちと共に、我々もこの地球という星に住まわせてもらっている。
結局のところこの星のあらゆる豊かさをいただいて生かしてもらってるんだ、ということをいつも忘れさえしなければ、これからもその恩恵を蒙(こうむ)ることができるだろう。
人間の都合だけで勝手なことさえしなければ、地球自身の豊かさを健やかに循環し続けられる、そんな素晴らしい星なのだから。
le 16 Décembre 2022
また廻り、新しい肉体に宿ることで、再びこの世を愉しむ生が与えられる。
過去のデータがすっかり消された状態でゲームをリスタートさせるべく、初めての時のような高揚感に包まれて生まれてくる。
どこに謎を解くヒントが隠されているか、どこにどんな罠が仕掛けられているか、どの扉の先に次のステージへの道が用意されているか、何もかもを憶えていたらそんなゲームはつまらない。
だから全てを一旦リセットして地上に降りてくるらしい。
今度はどんなワクワクが待っているんだろう。
どんな冒険が待っていて、どんな体験を味わえるんだろう。
今回もまたたくさんの選択肢が用意されている。
面白そうな方へ、楽しそうな方へ、迷わず進んでいけばいい。
ほとんど全ての記憶を失ってはいても、どこかに残っている記憶の断片が、何かの拍子に動き出し、強く導いてくれるだろう。
持ってきた性能の良い羅針盤を、大いに活用させて進むのだ。
そして忘れてはいけないことがある。
生きている間、何度でも、何歳になっても、好きなようにやり直していい、好きなように進めていっていい、このゲームにはそんな最高のルールがあるということも。
le 17 Décembre 2022
間違いなく今までの人生で一番読み返している本だろう。
大学時代の下宿の本棚を経て、欧州留学の荷物にもしっかり入れて持ってきたアントワーヌ・ドゥ・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupéry の『星の王子さま Le Petit Prince』は、全ページが茶色く変色した今も、パリの家の本棚の、いつでも手の届くところにある。
亡命先のアメリカで1943年に、次いで '45年に母国フランスで、日本では ’53年に内藤濯(ないとう あろう)の訳で出版された。
私の手元にあるものも内藤訳で、もう一冊は原語だ。
今では数十名の方々による邦訳が出ているようだが、特にこの本は、’’自分だけの言葉’’ で訳したくなる本のような気がする。
原題にはどこにも ’’星の’’ などという表現はないが、十代で初めてこの本を読んだ時の衝撃は今でも色褪せることなく、その時に『星の王子さま』として私の中に入ってきて以来、ずっと特別な位置にある本だ。
読む度に道標(みちしるべ)を確認でき、作者が前書きに記している '’かつて子供だった全ての大人たち’’ がどの年代で読んでも、その都度、深い諭(さと)しをもらえる本だと思っている。
ベビー服を着せてもらう生まれたての赤ちゃん、文字通り ’’小さな王子 / 王女’’ が、この本に登場する ’’星の王子さま’’ のようにどこまでも澄んだまなざしで生きていける世の中であってほしい。
その為にも、’’かつて子供だった大人’’ である我々が、決して己のまなざしを曇らせてはいけない、そうしみじみ思う。
le 19 Décembre 2022
イヴの夜、大地を、夜空を駆け巡り、世界中の子供たちにプレゼントを届けるサンタクロース。
この、大事な大事な大仕事は、ソリを牽(ひ)くトナカイさんたちの働きあってこそだ。
シカ科の中でも、珍しくトナカイは、メスにも角が生えることを今回調べてみて初めて知った。
秋の繁殖期まで、メスをめぐって戦うためにオスに必要な角。
メスにとっては、冬季中の子育て期間に雪の下からエサを見つけたり、外敵から子供を守るために必要な角。
鹿の角の落ちることを「落角(らっかく)」というが、早春から生え始め晩秋には落ちてしまうオスの角とは時期が異なり、メスは春先に落角を迎える。
つまり、太っちょのサンタさんと山積みのプレゼントを乗せた、どう考えても相当な重量のあるソリを牽っぱっているのは、雄々しいオスではなく、なんとメスのトナカイさんたちなのだ!
しかも空まで翔ぶのだからかなりの重労働ではないか!
そんなことに思いを馳せてみると、年に一度のこととはいえ、サンタさんだけでなくトナカイさんたち(しかもメスの!)の労も労ってあげたくなってくる。
さぁもうすぐ出番、今年も首尾よくいきますよう祈ってますね☆
le 21 Décembre 2022
日本では、古く奈良時代の初期から ’’とんぼ’’ は開運や幸運、勝利や富、良縁など、ことごとく良きものの象徴として大切にされてきた。
ご先祖さまの魂を乗せてくる存在とも考えられていて、「ご先祖さまからのメッセージを受け取る」というふうに捉えたり。
また、水中で卵から生まれてヤゴになり、水辺の草の上で羽化し成長して空を飛ぶ、という過程でダイナミックに姿を変え、生きる環境を変えていく彼らを、「大きな変化 / 変容の暗示」、転じて「幸運の前兆」というふうにも考えられているのだそうだ。
’’とんぼ’’ といえば、真っ先に思い浮かべるものがある。
私の大好きなアール・ヌーヴォー期からアール・デコ期に活躍した宝飾デザイナー ルネ・ラリック René Lalique の作品、日本語で『蜻蛉の精』と意訳されている『Femme Libellule』は、1900年のパリ万博に出展されて大評判となって以降、彼の大傑作として21世紀の今でも圧倒的な存在だ。
実は西洋での ’’とんぼ’’ はあまりいいものの象徴ではないようだが、ラリックが ’’とんぼ’’ をモチーフに選んだのは、当時大流行した《ジャポニズム Japonisme 》、その根底にある精神性を含め、日本から大きく影響を受けたからに違いないと私は思っている。
近所のホテルのノエルの飾り付けに ’’蜻蛉’’ の姿をみつけた。
ノエルを迎え、間もなく訪れる新年が、皆々にとって良きものに溢れる年であることを強く信じ、笑顔で進んでいけばいい。
le 23 Décembre 2022
世界で共通に用いられている「西暦」、その ’’紀元前’’ と ’’紀元後’’ は言うまでもなくイエス・キリストの誕生を境に分けられていて、彼の誕生前を紀元前「B.C.(Before Christ)」としている。
ならば紀元後は「A.C.(After Christ)」となりそうなのだが、実際には「A.D.」(Anno Domini というラテン語)という表記だ。
いずれにしても、長い時間経過の中で、時の権力者の思惑や策略が深くからんで作り上げられる「歴史」というもの。
まるで見てきたかのように語られる内容が宗教ごとに異なるように、日本史の中にも事実と異なることが山ほどあるに違いない。
キリストの風貌や、そもそも彼が何人(なにじん)だったのか、母マリアを含め、現代人が見ているものは何なのだろう。
世界各地には約450体もの黒い肌の聖母子像があるらしく、日本にも一体だけ、フランスのノルマンディーの修道院から寄贈されたものが山形県鶴岡市のカトリック教会にある。
あらゆる分野にわたり、’’白人’’ が作り出してきたものの中には意図的に ’’有色人種’’ を無理やり劣勢に位置づけるシステムになっているものも少なくはない・・・と、白人社会の中で生きる有色人種の私は客観的に感じる。
それでも、あらゆるものを越えて普遍的なことがひとつある。
全ての生命は女性 / 雌の身体から生まれる、ということ。
命の仕組み、そのミラクルはいつの世も変わらない。
le 25 Décembre 2022
拝啓、敬愛なるモリエール様
希代なる俳優にして劇作家、かのルイ王朝の庇護のもとその才能を大きく花咲かせられ、21世紀の今も尚、揺るぎない存在としてフランス演劇界の頂点に立たれる貴方様の、ご生誕四百年という大きな節目にあたる今年ですのに、ご挨拶がすっかり遅くなってしまい誠に申し訳ございません。
偉大すぎる方の前では、思いが膨らみ気が逸(はや)るばかりで、かえって言葉などなかなか出てこぬものでございます。
なんと申しましても、ヴェルサイユでブルボン王朝が、誇張ではなく世界中の王室が羨望してやまぬ豪華絢爛なる文化を生み出していた時代、時の王のご寵愛を受けられ、コルネイユ様、ラシーヌ様と共に押しも押されもせぬ地位にまでのぼり詰められた貴方様なのですから。
’’太陽王’’ ルイ14世陛下の命によって設立された『コメディー・フランセーズ Comedie-Française 』は、現代でも貴方様に敬意を表し『モリエールの家 La Maison de Molière 』として親しまれており、伝統を受け継ぎつつ現代に息づく公演の数々は、年間を通して大盛況でございます。
大きな節目となりました今年は、国中あちこちでの特別公演、様々な催しや展示など、それはそれは賑やかでございましたね。
かれこれ 16年ほど前になりましょうか、コメディー・フランセーズ座とレザール・フロリッサンのコラボレーション公演では、なんと私も楽師役として、伝統ある国立コメディー・フランセーズ劇場の舞台に何ヶ月間も立たせていただけました。
そうです、貴方様の戯曲には、やはり王のご寵愛を受けられていたリュリやシャルパンティエという素晴らしい作曲家の方々が曲をつけておられましたから、貴方様が初演なさった当時のように、数世紀の時を経てその形を舞台上に甦らせたのでございます。
役者さんたちもバロック歌唱に近づけるべく懸命に励まれ、そして見事に劇中で歌っておられたのには感銘を受けました。
『シシリー人 Le SIcilien ou l'Amour peintre 』、『恋は医者 L'Amour Médecin 』の二本立てだったと記憶しておりますが、十代の頃より芝居の世界にも結構本気で足を突っ込むほど好きが高じていた私にとりまして、台詞の中にパリの路地の固有名詞が出てくる箇所などでは、まさに数百年をワープしてモリエール一座のパリ公演に出演させていただいているかのような、なんとも言葉にし難い不思議な感覚が押し寄せてまいり、毎公演、舞台上で泣きそうになるのを堪えるのにひと苦労だったことを昨日のことのように憶えております。
夢のような経験、光栄の至り、感謝至極の日々でございました、本当に。
残念なことに私の祖国、東洋の日本という国では、「病は気から」というフレーズは有名でも、シェイクスピア様ほどには実は貴方様のお名前は知られておりませず、しかも ’’喜劇’’ というものが軽んじられる傾向にあることをとても腑甲斐なく思っております。
リュリやシャルパンティエという方々が残された宝石のごとき音楽と共に、貴方様の作品がもっともっと日本でも上演され、人間というものの持つ可笑しみ、哀れみ、愛おしさ、そして儚(はかな)さ、それらを通して人々の心揺さぶられる日がくれば... と願わずにはおれぬ私でございます。
ご生誕四百年にあたり、僭越ながら、貴方様の多大なる業績に改めまして深い敬意を贈らせていただきますとともに、五百年、六百年先の未来にも、その時代に息づく戯曲であることを確信し、感謝を込めたご挨拶とさせていただく次第でございます。
le 28 Décembre 2022
黄昏時の色に誘われて、今、この一年を振り返る。
心身の健やかさを一番に、毎日を丁寧に過ごせただろうか。
大切な人のために、喜んで時間を、労力を割けただろうか。
寄り添ってくれた人に、感謝の思いを返せただろうか。
受け取るばかりでなく、自分からも愛を渡していけただろうか。
私を私たらしめてくれている環境に感謝し、今の私が出来る精一杯の良きものをしっかり放っていけただろうか。
健康を保つために、良質な食事を自分に提供できただろうか。
大地や海に感謝して必要な分だけいただき、丁寧に味わえただろうか。
お風呂にゆっくり浸かり、質の良い睡眠をとり、リラックスできる時間を作ってかけ替えのない身体さんを労えただろうか。
誰よりも一番つきあいの長い自分の身体さんのために、間違いなく一番最後までのおつきあいになる自分の身体さんのために、いつも最適な判断で行動選択することを厭わなかっただろうか。
たとえ周囲がどうであれ、自分の感覚をとことん信じ、恐れることなく物事を ’’自分で’’ 決定してこられただろうか。
様々なことを静かに自分に問うてみながら、それを行う自分自身とともに穏やかに過ごす年の瀬。
胸の裡(うち)にも、温かな色がじんわり広がってくることを願いながら。
le 30 Décembre 2022
心をざわつかせるような出来事が起きたとしても、騒ぎ立てる周囲の雑音に惑わされず、その渦に飲み込まれることのない距離に自分を置き、じっくり観察するのだ、自分の目で。
先入観、固定観念、不安恐怖を煽(あお)り立てる声 etc. すべて遠のけ、静かに、しかししっかりと立つのだ、地に足をつけて。
いつの世も、光の道は間違いなく用意されていて、進む意思さえ失くさなければ必ず見つけられる、自分の力で。
気をつけよう、無意識のうちに自分自身を ’’低く’’ 見積もっていないかどうかを。
分かっているのに、分からないふりをしていないかどうかを。
何か判断を迫られる事態が起きた時、先ず頼るべきなのは自分自身なのだ。
自分の持つ力を正当に評価し自分に従うことで道を得ていこう。
そうできる自分、そして頼れる自分であれるよう、感覚を研ぎ澄まして生きていよう。
光の道は、余計な諸々を取り払い、胸を張って顔をあげた先におのずと見えてくる。
ありがとう、今年もたくさんのことを学ばせてもらえた。
いつも起きている事が深い気づきをもたらしてくれる。
2022年の全てを感謝と共に糧にし、確信を持って歩んでいこう!
le 31 Décembre 2022