2020(1月〜6月)
満面に笑みをたたえて昇る朝日。
自分を信じて進みなさい。
大丈夫、なにもかもうまくいくよ。
そんな言葉が聞こえてきそうだ。
ありがとう、太陽さん!
ありがとう、宇宙さん!!
素晴らしい2020年の幕があがる☆
le 1 Janvier 2020
年が明けてからしばらくの間、ノエルの飾りつけをそのまま楽しむのは、おそらくフランスだけでなく欧州のほとんどでそうじゃないかな。
店先の小さなツリー、店内にはリースなどもあり、照明の温かい色合いもいいかんじ♪
よく見たら、この自転車もお客さんのものじゃなくてお店のレイアウトの一環。
...ていうか、お店の前に車を停めないでね、ってことなんだろうけど、確かに「駐車禁止!」と掲げるよりこの方がいいよね ^^
「伝え方」の気配り、大事だなぁ。
le 3 Jan. 2020
このところはお日様を拝める日も多いパリ。
様々な人の集う公園では、樹々の葉はなくともほっこりさせてもらえる光景に出会えます。
家族と、友達と、恋人と、仲間と・・・
そして「独り」の時間もと〜っても大事。
さまざまな「ご縁」、それぞれの「時間」のなかで、多くの気づきや学びを得られる...
そして、すべてが自分の糧になる!
人生って、そういう、本当に有り難い仕組みになってるんですよね ^^
le 4 Jan. 2020
とあるブティックのディスプレイ。
おとぎ話の世界に迷い込んだかのよう☆
頬は冷たくとも胸の奥はほっこり ^^
ふとした時に触れるものによって、無意識のうちに心の在りようは変わる。
いくらでも変えることができる。
すると... 見えてくるものが変わってくる。
人間の心って、柔軟に出来てるよね。
たぶん頭で考える何倍も。
すごい機能を神様はくっつけて下さってるんだよね。
le 5 Jan. 2020
世界中のものが入手可能な日本ではすっかりお馴染みに違いない『ガレット・デ・ロワ』。
カトリックの祝日 ’’エピファニー(公現祭)’’ に家族揃っていただくお菓子ですが、今どきは新年明けるなり早々にパン屋さんやケーキ屋さんに並びます。
数日前、親しい友人カップルと久々にウチでお茶飲みながらお喋りしようということに。
午前中に数軒見て回ったものの心動くものがなく、最後に覗いたご近所のパン屋さんでは、丁度レジ横の棚がほぼ空っぽで店員さんが何やら準備中でした。
ピン!ときた私は、友人たち到着直前に再びそのお店へ。
案の定、焼きたてのガレットが並んでいて、とても美味しそうなものをゲットすることができた、という次第。
実は私もコレが大好きで、新年になると並ぶのを見ては買う年もあれば買わない年も。
というのもこのガレット・デ・ロワ、いったんお店に並ぶと売れるまで何日もそのまま..。
見た目から想像する以上にまぁまぁお値段も張るし、日が経ったものを買うことになって ’’へにゃ〜っ’’ となったパイ生地に何度か落胆しているゆえに、毎年気軽には買わないことにしているのです。
ですが、今年の焼きたてのそれは家に持ち帰るまでほんのり温かく、ナイフを入れるとサクッという音とともに香ばしい薫りが立ち上り、中のアーモンドクリームも新鮮で、と〜っても美味でした!
四、五日経過したものはお値引き ...なぁんてことにはならないのでこの差は大きい。
最近は高級チョコレート屋さんまでもが出してるようで、これはオペラ通りにあるピエール・エルメの店頭です。
お値段は... チェックしませんでした(笑)。
今年はもう美味しいのをいただいて満足してるのでね☆
le 6 Jan. 2020
ゆるぎなく ’’すっく’’ と立っている木。
日の光を浴びながら、なんだかこの木が嬉しそうにしている気がした。
普通の、並木の中の1本に過ぎなくても、大木の放つ迫力とは別の、この凛とした立ち姿に勇気をもらった気がする。
ありがとう☆
自然はいつも、力むことなく、そして卑下もせず、素晴らしいバランスで自分を生きてるね。
le 8 Jan. 2020
あちこちで古本屋さんに遭遇すると、東京で過ごした学生時代、神田の古本屋街に頻繁に通ったことを懐かしく思い出す。
廃刊になった専門誌とか、初版本とか、もはや古本屋さんでしか手に入らない本とか。
わざわざ旧漢字で書いてある本を探したり。
単に、新品を買うよりお財布に優しくて有り難いということもあったし、そういうお値段のお陰で様々な分野への「冒険」もできた。
予め買うものを決めていくより、そこでどんなものに出逢えるか♪ と期待が膨らむことが楽しい。
古本屋さんに限らず全ての本屋さんに言えることだ。
まさに、出逢いの宝庫!
無限の扉が用意されている、とっておきのワンダーランドだ☆
le 9 Jan. 2020
スキッと晴れ渡った真冬の空の下、ブーローニュの森の敷地内にそびえるルイ・ヴィトン財団美術館。
このシャープな光景!
何百年と続く伝統と、超現代/最先端技術の共存。
フランスという国はずっとそうやって、生き生きと積み重ねてきた歴史がある。
あの凱旋門だって、エッフェル塔だって、できた当初は大ブーイングだったらしいから。
旧いものを守るだけじゃなく、旧いものを壊して新しいものばかりにしてしまうのでもなく。
''共鳴してみる’’ ところから新しい広がりが始まる。
あぁ、だからこの国では、現代楽器と古楽器の余計な垣根もなく、むしろ互いに良い影響を与え合い「現在(いま)」に存在しているのだろう。
『豊かさ』のひとつの形を見せてもらっている。
le 10 Jan. 2020
18世紀末の雰囲気を残す小さな通り。
観光客の目線に興味深く映るものなど全く無い... といってよいほどごく普通の通りなのですが、ドーリア式風の柱と、なんといっても上部のアーチ型とパルメット文様の装飾が素敵なので、ちょっと遠回りになったとしてもこの道を通りたくなるのです。
建造物に残る、それぞれの時代の ’’趣味’’ の違い。
これもまた、’’みんな違って みんないい’’ のひとつですよね☆
le 12 Jan. 2020
昨年の『レザール・フロリッサン40周年』を記念して、昨年12月より国立楽器博物館で「舞台衣装展」が開催中です。
このように、常設展示されている楽器の傍、館内あちこちに展示されており、なかなか雰囲気があります。
過去40年、レザール・フロリッサンの数々のバロック・オペラ上演で使われてきた衣装。
その全てが展示されているわけではありませんが、私にも思い出深いものも多く、その時の舞台の情景が甦ってきます。
これはリュリ作曲『アティス』、プロローグでのメルポメーヌの衣装。
この企画展は今年の五月まで行われていますので、フィルハーモニー・ドゥ・パリへコンサートを聞きに行かれる際などに如何でしょうか、是非お勧めしたいなと思います。
le 13 Jan. 2020
この衣装もリュリの『アティス』上演時のもの。
プロローグでのフロールの衣装(左)と、第三幕の ’’ 眠り’’ のシーンでのモルフェの衣装(右)です。
舞台上では、こういう衣装にカツラをかぶり靴も履きますから、実際にはもっと華やかな印象となります。
照明が陰影を作るなかで歌手の所作が加わり、衣装じたいの表情も更に豊かになるのです。
そういう舞台を見上げながら薄暗いオーケストラピットの中で演奏している我々ですが、音楽と相まって得も言えぬ美しさが立ち上がってくる、本当に、本当に素敵な世界です。
le 14 Jan. 2020
1996年のパリ・オペラ座(ガルニエ)での上演を懐かしく思い出します。
これはラモー作曲『イポリートとアリシ』、第二幕、’’冥界’’ のシーンに登場するパルク(ローマ神話 運命の三女神)のとても印象的な衣装。
彼ら(’’女神’’ ですが三人の男声の役)の素晴らしい歌唱もしっかり耳に残っています。
この上演の時にも素晴らしいバロック・バレエのダンサーさん達とご一緒でした。
ソロ歌手はもちろん、ダンサー、コーラスのひとりひとりに至るまで全て衣装が違い(しかも幕によって変わります)、舞台セットも幕ごとに違い、バロック・オペラの中でも特に ’’フランスもの’’ の上演はとんでもなく豪華な舞台です。
この『イポリートとアリシ』も、パリ公演だけでなく、ニース、モンペリエ、ニューヨーク etc... に引越公演し、それぞれの土地で複数回の上演を行いました。
この時のような素敵な演出でのオペラ上演で来日できたら、どんなに日本の方々に喜んでいただけるだろうか... と。
... う〜ん、「我こそは!」とご援助下さる太っ腹な御仁、いらっしゃいませんかぁ〜? (^0^)
le 15 Jan. 2020
いつも心に太陽を
唇に歌を持て
(C. フライシュレン 訳/山本有三)
le 16 Jan. 2020
Paul le Moyne 1784 - 1873
'' Le Påtre et la Chèvre '' 1830
ルーヴル美術館にもいくつか作品が収められているパリ生まれのフランス人彫刻家。
ローマで生涯を閉じた彼の作品は、彼の地にも沢山残っているらしい。
この彫刻のタイトルとして『羊飼いと羊』という日本語表記を見かけるのですが、原題からすると『山羊飼いと山羊』とするのがよさそうですね。
実際、山羊と羊は色々と似ていて、調べてみると類似点も多ければ相違点もはっきりとあり(当たり前ですが)。
この彫刻の向こう側からもしっかり観察してみたところ、尻尾が確かに山羊さんでした!
パレ・ロワイヤル庭園にあるこの彫刻にはいつ見ても鳩さんたちが群がっているのですが、特に頭のてっぺんは止まりやすいのか、たいてい、こういうコトになってるんです。
むしろ、てっぺんに鳩さんがいないと、「あれ...?」なんて ^^
le 17 Jan. 2020
ここ三日ほど、パリの冬にしては珍しく、とてもいいお天気続き。
もちろんしっかり「冬」ではあるんだけど、気温もそれほど低くなく、肌を刺すような風も吹かず。
そして空の表情もとても豊か。
’’ピーカン’’ っていうのもいいもんだけど、私は青空をバックに、時には急に灰色を帯びてくる空をバックに、雲たちが雄弁に語ってるのを眺めるのが好きだなあ。
しかもまた、こっちの空と、あっちの空と、全然違ったりするもんだから本当に飽きない。
「青空」とひと口に言っても色んな青空があるように、「雲」にも実は、ものすご〜くたくさんの色があり ’’顔’’ がある。
ほんと、空の表情ってすごい。
le 18 Jan. 2020
パリ市内のあちこちで見かけるようになったファスト・フードのチェーン店。
’’添加物を避けたオーガニック食材を使用’’ というコンセプトからも頷けるように、冬の数週間、チャリティー期間も設けられているお店です。
2012年から展開されているもので、「毎週月曜日、あなたの買う1杯のスープがホームレスを寒さから守ります」... 的なもの。
この冬は『Winter Socks』というタイトル。
すべての店舗でのこんな愛に満ちたデザインが目を引きます。
誰もが凍えることなく冬を越せた方がいいに決まってますもんね!
このデザイン、ひょっとして、動物さんたちの保護/救済のメッセージも暗に含まれているのかな... とも思ったり。
手を差しのべあって、手をとりあって、生きとし生けるもの皆んなで幸せになる方法、限りなくありそうですよね ^^
le 19 Jan. 2020
夕方のお散歩の帰り道でしょうか。
パッサージュ(アーケード街)のなか、一軒一軒お店の前で足を止めては、小さいお嬢ちゃんに説明しているお母さんを見かけました。
こちらの子供は小さい頃からものすごく ’’おしゃま’’ です。
口にすることも態度ひとつとっても、自分なりの理屈や意見を述べて一人前の大人のように振る舞おうとします。
ほんと、たいしたもんです、その心意気がね。
フランス社会は「大人」中心に成り立っていて、大人の社会/時間に子供は入れさせません。
愛情たっぷりに可愛がるのとは別のところで、そこはとてもハッキリしています。
子供の方も、いつまでも「子供」でいると半人前にしか扱ってもらえないことをよくわかっていて、だから早く大人になりたいと思うんでしょうね。
子供の精神的自立を促す環境だなぁ、といつも感心させられます。
le 20 Jan. 2020
... !!!
気がついたら、思わずカメラ構えてシャッター切ってました。
こういうタイプの車を見ると、東京にいた頃に乗っていた車を今でも懐かしく思い出します。
いすゞ117クーペ。黒のマニュアル車でした。
日本を離れてからは車を持っていないので、この何十年、もっぱら乗せていただくばかりの私。
現代(いま)の車には特に興味はないので普段はカケラも思わないんですが、こういうのを見ちゃうと「運転したいっ!」って気がムクムク湧いてくるのが不思議です。
le 21 Jan. 2020
ある高さ以上の枝がバッサリと切り落とされた公園の薔薇の木たち。
綺麗な花につられて自然と足が止まることはあっても、そういえば、そうじゃない時の様子ってあんまり気にとめてなかったなぁ。
なるほど、冬の間にこうやって、かなり大胆な剪定をやっておくのか。
養分がゆきわたってしっかり育ち、また美しい花が咲かせられるのは、「思い切って切り捨ててしまう部分」があるからなんだなあ。
スパッとした切り口に、色々考えさせられる冬の日の午後。
le 23 Jan. 2020
もう何十年も前、初めてここを訪れた時には建物とのスタイルの隔たりに驚きを隠せませんでしたが、見慣れてくると「そういうもん」と思えてくるから不思議です。
パレ・ロワイヤル庭園内、南部分の、現代美術家ダニエル・ビュランによる様々な高さの円柱。
かつて、1889年の第4回パリ万博にあわせて建設されることになったエッフェル塔に、当時、文化人&芸術家たちからの建設反対の誓願書が出されて大騒ぎになったのは有名な話ですが、この歴史的建造物の中庭に作られた現代アートも、最初から気持ちよく受け入れられたわけではなかったそう。
エッフェル塔からほぼ100年後、1986年に作られた通称「ビュランの円柱」が建ち並ぶこのスペースには、年間を通して、お天気が良くて気持ちいい日、そして夏場はもちろんのこと、いつも人々の楽しげな声が響いています。
観光客がこの円柱に立ち上がったり座ったりして思い思いのポーズで写真を撮っていたり、子供たちがこの柱を使ってはしゃぎまわって遊んでいたり、かと思えばパリジャン&パリジェンヌたちが腰かけてお昼のサンドイッチを頬張っていたり・・・そんな多くの人たちを温かく迎え入れています。
真冬の今、なかなかない無人になる瞬間を狙ってみました。
静寂の中に整然と並ぶ円柱は、自らを誇りながらも、この、かつて幼少期のルイXIV世が過ごした「王宮(パレ・ロワイヤル)」の放つ ’’凜’’ とした佇まいに真摯に寄り添おうとしているような、ちょっと別の雰囲気に感じられました。
le 24 Jan. 2020
カフェっぽく見えるけど実はレストラン。
色んな種類のビールがあって、いかにもそれに合いそうなメニューがあれこれと!
きっと美味しいに違いない。
リール出身の人がやってるのかな?
今度、気のおけない友人と行ってみよう☆
le 26 Jan. 2020
冬至はとっくに過ぎたとはいえ、お天気の具合で体感は異なる。
朝は8時でも外はまだ暗く、夕方も早くに日が落ちる。
厚い雲が幾重にも覆う空は低く、街は全体に灰色が濃い。
冬の間、北向きの私のアパルトマンは一日じゅう電燈を点けていないとほとんど何も出来ないんだが、いっそのこと、あかりがなくても出来ることはないだろうか。
そうだ!
音楽を聴けばいい!
薄暗い部屋で聴くジャズは、この上なく魂に響いてくる。
「視覚」を休ませると他の感覚が冴えてくる。
le 27 Jan. 2020
ず〜っと前からこの街角の風景は変わっていない。
それもそのはず。ビストロ「Chez Georges」は1964年の創業です。
この業界も生き残っていくのはとても厳しい世界。
よほどシェフの腕が良いだけでなく、サービスや雰囲気、すべてにおいてお客さんが心地よいと感じなければすぐに廃れていってしまいます。
すべての仕事に当てはまると思いますが、良い状態を継続していく、... だけでなく更に発展させていく、そのために大切なことって?
そう! フランス人はヴァカンス名人。
「休む」ことにかけては天才的。
夏期など、良いレストランほどたっぷり休暇をとります。ほぼ一ヶ月かそれ以上!
それを利用して若いシェフは自分の修行にあてたりもするそうですが、要は「自分の時間をしっかり持つ」「心身をとことんリフレッシュさせる」ということなんですよね。
人それぞれ、キャパも違えばペースも違う。
’’ワクワク仕事する’’ ためにも堂々と休んでいいんだよ〜! 休むことは後ろめたいことなんかじゃないよ〜! と我が祖国の人々に言ってあげたくなるんです、この「休み上手な国民」の中にいると。
le 28 Jan. 2020
パリではあちこちで ’’落書き’’ に遭遇するが、これはどう見てもそのカテゴリーに入りそうにない。
いやもちろん、’’落書き’’ をどう定義するかにもよるけど。
これはどんなメッセージなんだろう?
... とお店の人に聞いてみたい気がしたが、そもそもシャッターが下りててお店が閉まってるんだから聞きようがない。
しかも、お店の人が描いたとも限らんし。っていうか多分違うだろう。いや、意外とそうなのか?
絵のメッセージとともに色んな想像がふくらむ。
モノクロでありながら、すごく鮮やかなアートだ!
le 29 Jan. 2020
人は、それぞれの「使命」を負ってこの世に生まれてくる。
自身の生き様を通して、生きとし生けるものすべてに惜しみなく「愛」を与え、「愛」で呼びかけ、人々の内なる「愛」を呼び醒ますため、命の限りを尽くし世界中を駆け巡る勇者たち。
天に召されても尚、その大きな使命を担い続ける者とともに。
そんな彼らの紡ぐ魔法のような世界の中で、たくさんの魂が呼応し、共鳴する時、宇宙空間から眺める地球という名のこの星は、必ずや「愛」に満ち、とてつもなく眩(まばゆ)い輝きを放っていることだろう。
le 30 Jan. 2020
賢者によれば、どんな御縁もすべて、自分の魂を磨くために与えられるという。
望むと望まざるとにかかわらず、こちらがタイミングを操ることも出来ぬまま、ある日突然、天から小さなサインが降ってくる。
なるほど、「どうして今、コレなんだろう?」と不思議に思う事柄でも、後々振り返ってみると大いに合点がゆく。
どうせなら、せっかくの人生どこまでも独自の展開でいこうじゃないか。
己の知っていることなど、嗤ってしまうほどのほんのひと握り。
知れば知るほど ’’知らない’’ ということを ''知る’’ 。
だからこそ、いくつになってもアンテナ高く、感覚を開き、柔軟な心持ちでいたい。
自分の中の未知なる扉を開く鍵は、実は、思いもかけぬところに隠されていたりするのだから。
le 3 Fév. 2020
激しく重なりあう雲々の姿を、風が容赦なく変えてゆく、そのほんの僅(わず)かな隙間から、まばゆい光が降り注ぐ。
たった一瞬の、きっと大切なメッセージ。
この光景を目にした今・・・
心の枷(かせ)を取っ払い、頭から小賢(こざか)しい理屈なんか追い出してしまえ。
さあ、魂にハンドルを握らせろ!
ただただ自分らしくあれ!
le 4 Fév. 2020
中学の時に文化祭で上演したシェークスピアの戯曲の中に道化師の役があったことが、当時、とても印象的だった。
道化師といっても様々なキャラクターに分かれている中で、泣き笑いの表情にも見える涙のメイクのあるものが「ピエロ」と呼ばれるもの。
「感情」というものは、言葉で的確に言い表すことはなかなか難しい。
相対する感情が同居することだってある。
そりゃぁそうさ!
我々の本質は、「0か1」の二進法のデジタル世界とは対極のところにあるのだから!
ありのままの自分の感情と丁寧に向き合う、つまり丸ごと受け入れることで、その先の素敵な展開につながっていく。
「大丈夫、心配ないよ」、ピエロがそう囁(ささや)いてくれている。
le 6 Fév. 2020
モンマルトルの丘の方へと続く緩い登り坂の途中に、この古くからのレストランはある。
ガヤガヤした賑やかな雰囲気のこのお店は、気のおけない友人たちとの楽しい食事のためにチョイスされることが多そうだ。
とにかくフランス人は「よく喋り」「よく食べる」!
そのことに費やすエネルギーにはいつも「感服」以外の言葉がない。
近年は、無添加や無農薬の食材に関心が集まっていて、それを謳うレストランやスーパーなどの進出も目覚ましく、私個人的にもとても嬉しい傾向だ。
時代とともに変わる価値観の中で、この国の人たちの「食」への関心は常に高い。
『やりたいことをやっていくためにも、もらった肉体を健康に保つ』
’’生きる’’ ことへのダイレクトな姿勢でもある。
le 8 Fév. 2020
お月様ほど様々な呼び名があるものは他にはないのではないだろうか。
その満ち欠けによって呼ばれ方が違うのは誰しも知るところだが、実は満月そのものも月ごとに呼び名が異なるのだそうだ。
なんでも、アメリカ先住民が季節を知る目安として付けたのが元らしい。
なんと素敵な発想だろう!
さしあたって、二月の満月は「Snow Moon 雪月(ゆきづき)」。
昔から、歌人、俳人、そして詩人、小説家など言葉を扱う人々をはじめ、多くの作曲家もお月様に思いを馳せて作品を生んでいる。
もちろん絵画、民話やお伽話の中にも登場するお月様。
数え上げればきりがない。
太古の昔からこんなにも人間たちが恋い焦がれるのは、やはり、お月様のものすごいパワーを感じ取っているからなんだろう。
月に限らず、いうまでもなく太陽も、星々も、惑星たちも、ものすごいものを私たちに贈ってくれているのはたぶん間違いない。
宇宙からのたくさんのパワー、そしてメッセージ。
日々の雑事に追われて受け取り損ねる... なんてことにならないように、さぁ、今日も感覚を開いていくぞ〜☆
le 10 Fév. 2020
まだまだ風は冷たいけれど、遠くの方にかすかに春の気配を感じる、ある晴れた冬の日のパレ・ロワイヤル庭園。
ベンチに座り、思い思いの格好で日光浴をする人たち。
ここは車の音も聞こえてこず、子供達が走り回っているわけでもなく、特に冬場はとても静かな空気が漂っています。
こういう、「自分だけのぼ〜〜っとする時間」、とっても大事だとフランス人を見習っている私。
実はものすごく贅沢な時間で、それを満喫すると自然とエネルギーもチャージされるんですよね。
なにせね、太陽のパワーって、とてつもないですから。
いただかない手はないですよね ^^
le 12 Fév. 2020
冬の間、様々な渡り鳥が食べ物の豊富なこの湖に集まっているようです。
休んだり羽を広げたりの、思い思いのカモメさんたち。
カモのご夫婦は、仲良く並んで ’’足湯’’ しているようにも見えて、なんだか微笑ましいですね。
そして向こうに一羽だけ見える黒っぽいのはカワアイサくん(のお尻)。
仲間が水中に潜った波紋がすぐ横に広がっています。
お互いのテリトリーを尊重しながら、豊かな自然の恵みを共有している野鳥さんたち。
澄みきった水の清らかな波動とともに、とても穏やかな時間が流れています。
le 13 Fév. 2020
パリから列車で東に1時間ほど。
ある女流彫刻家の美術館がある小さな村を訪ねた。
村人の姿のない駅までの帰り道。
いきなり目の前に広がった、冬の西陽が作りだす建物への優しい陰影と、その背後から襲いかかってくるような厚い黒雲。
ふたつのパラレルワールドを同時に見せられたかのような、とても不思議な錯覚に陥った一瞬。
胸の奥にある様々な感情が一気に揺さぶられ、ただただ息を呑み、その場に立ちすくむ・・・。
le 16 Fév. 2020
パリで最初のレストランといわれている『ヴェフール』のある一角、パレ・ロワイヤルの北側の回廊に、柔らかい冬の陽が差し込みます。
晴れてもまだまだ風の冷たい、まさに「三寒四温の候」。
この言葉、ほとんど春に手が届きそうな時期の言葉だと思っていたのですが、本来は一月から二月にかけて使うのだそう。
季語としては「冬」なんだそうです。
奥ゆかしい「大和言葉」には、意味合いにさまざまなニュアンスの ’’余地’’ が残されていて、その広がりが素敵だなぁと感じます。
ただ残念なことに、単語を並べて用件だけを電子機器で伝えることが主流になりつつあるこのご時世、こういう言葉の出番も少なくなってきている気がします...。
日本語ほど多くの ’’言葉’’ や ’’言い回し’’ をもつ言語は珍しいそうですから、せっかくなら様々なシーンで使っていきたいですよね。
「言葉」は「感性」とも連動していて、間違いなく私たちの内面を豊かにしてくれるもののひとつではないかと、この18世紀の空間に身を置きながら、ふとそんなことを思いました。
le 18 Fév. 2020
旧い建物の一部を取り壊した後の側面を、大きなキャンバスに見立てて個性的に彩るパリの壁画。
この派手な壁画もいつも見ているものだけれど、冬場だけ木々の葉っぱが全て落ち、下の方までしっかり見ることができる。
チューリップといえば、小学校の花壇に色とりどりに咲き誇る新学期の頃の記憶と直結する。
仲良しの子と同じクラスになれるかな...?
担任の先生はどなただろう...?
ドキドキワクワクしながらも、ちょっぴり未来への不安も混じる、あのかんじだ。
人生は、様々な人との「出逢い」の連続。
様々な「ご縁」によって今の私が作られている。
気の合うあの子も、ちょっと意地悪だったあの子も、受け持っていただいた先生方も・・・ 出逢った方々すべてが必然のご縁だったと、この歳になってしみじみ有り難く思う。
そのすべての方々に、すべての出来事に、感謝でいっぱいだ。
le 22 Fév. 2020
うわぁ、なんと躍動感に満ちた雲!
獅子雲!
かっこいいなぁ〜!
頭をあげ、前足をグンと伸ばし、後ろ足で大きく蹴り上げ、空を駆け回っているように私には見えた。
さながら「獅子搏兎(ししはくと)」の情景であろうか。
空いっぱいに獅子の気迫が放たれたような一瞬であった。
le 24 Fév. 2020
こういうの見ると、つい足を止めて見入ってしまう。
まずなんといっても色合いがいい。
全体のフォルムと、なんというかあちこちの曲線が実に美しい。
サイド部分のパカッと開ける、ここの形とツマミのかんじ。
余計なものがいっさい付いてないところとか。
で、スタンドの色もちゃんとボディと同じで。
丁寧に手入れもされていて、大切に乗ってらっしゃるとお見受けした。
いったいどんな方の愛車なんだろう♪
le 25 Fév. 2020
午後の幕が降りる頃、夜の序章が始まる頃。
『夕方』という時間帯。
季節によってその印象や体感はかなり変わる。
時間の間(はざま)。
季節の間。
時代の間。
「ある状態」というピンポイントに対して、移行期、つまり ’’途中’’ でしかないと捉えるのは、もしかしたら勿体無いことかもしれない。
複数のものが同時に存在する、その瞬間にしか味わえない、感じられない、なにか素敵なものがあるかもしれないから。
移動中の道すがらだって、思いもかけない美しいものに出逢うことになるかもしれないから。
人生もまた然り。
「速さ」や「結果」だけを追わない方がいい場合もある。
すべての瞬間を愛おしく思えたら、別の形の豊かさをも感謝とともに受け取ることができそうだ☆
le 26 Fév. 2020
ダンテの『神曲』に着想を得て制作されたロダンの『地獄の門』。
その門の上部でこのポーズをとっているのは、ダンテだという説やロダン自身だという説もある。
パリのロダン美術館の庭にあるこの像は、ロダンの没後に鋳造した職人によってつけられた『考える人』として世界中で有名だが、実は、ロダンがつけていたタイトルは『詩人』。
考え事の対象は、つい目の前の不安材料に集中してしまいがちだけれど、もし ’’詩人’’ ならそれをどう捉えるだろう?
狭くなっていく思考回路を、たとえば大自然の力を借りてそのスケールをぐっと大きく広げられそうだ。
人も、動物も、植物も、この地球の上に生かされている。
誰が誰をコントロールしていいものではなく、創造主によって絶妙なバランスで創られている(はずの)ものを、傲慢な人間が余計なことをしてはいないか。
地球規模でバランスが崩れてしまうのは、どこか、やり方を誤っていることが影響しているのではないか。
そここそを、じっくり考えてみる時代にさしかかっている気がする。
le 29 Fév. 2020
『左近の桜、右近の橘』
雛人形七段飾りの五段目、「仕丁」の三人を挟んで左右に飾る木々のうち、向かって左側がこの橘である。
うららかな今日、公園脇の遊歩道でたわわに実る橘の木に遭遇した。
見上げる先には春間近の青い空が広がり、葉っぱの勢いもなんとも賑ははしきこと!
元気いっぱいに繁るこの木の真下、束の間、全身にビタミンC のシャワーを浴びさせてもらえば、思わず祈らずにはいられない。
桃の節句に力を借りて、一日も早く世の邪気が祓われんことを。
le 3 Mars 2020
小回りのきく自転車は、車では無理な小径もスルッと行けちゃうし、季節の風を全身で感じながら気ままな走りを楽しむこともできる。
そのかわり、急な雨にズブ濡れになることもあるし、あまり沢山の荷物を持つこともできない。
前に進むには自分の足で漕ぐしかなく、そもそも独りで漕ぐ道具だ。
でも、自分の身体の延長のように自力で漕ぎながら、伴走しあうこともできる。
疲れたら、寄り添いあって休めばいい。
専用パーキングを探す必要もないから、好きな時に好きなところで。
川沿いに停めてただただ水の流れを眺めててもいいし、緑豊かなところで森林浴したっていい。
そしてまた走り出せばいい、自分のタイミングで。
le 5 Mars 2020
冬から春へ。
少しずつ日が長くなってきて、日差しもくっきりしてきた。
色んなことがちょっとずつ変わってくる。
木蓮の蕾もだいぶ膨らんできたし、桜の木も開花の準備に忙しげだ。
先の見えにくいことだって、そのうちトンネルの出口は見えてくる。
希望にこそ焦点をあて、光を集めて微笑んでいよう。
不安ばかりを育てないようにしよう。
足りないものに意識を向けるのではなく、今あるものに感謝しよう。
穏やかな空を見上げて大きく深呼吸したら、守られていることを思い出せるよ。
le 7 Mars 2020
どこか特別なところに出かけなくても、特別なことをしなくても、日常のそこここに感動の種は潜んでいる。
むしろ、今、ここ、という一瞬一瞬に「特別」が詰まってるんじゃないかな。
自分の住む土地で採れたものをいただくことがものすごい「豊かさ」だし、予定外に足止めをくらった時間を「自分と向き合う時間」にできることのなんと贅沢なことだろう。
思わぬ事態で規制されてみて初めて、普段の、なにげない日常がいかに「特別」だったかをしみじみと思うことになる。
それを知ることができたのも、ひとつの大きな学びなんだよな。
この世は、見えていることが全てではない。
感謝をもって ’’すべて’’ を受けとめられた先に、次の建設的な一歩が見えてくる気がする。
le 9 Mars 2020
冬の間、素っ裸で過ごす落葉樹。
この姿のいったいどこに、春の訪れとともに新芽を出し、あんなにもたっぷりの葉を茂らせる力があるんだろうか。
実は、秋に葉を落とす前、葉の栄養素をしっかり幹に溜め込んでおく。
常緑樹もだいたい二年で葉は枯れて落ちるらしいが、その時にはもう新しい葉が伸びているので年中茂っているように見えるらしい。
なるほどなぁ、うまくできてるよなぁ。
一見なにもなくなってしまっても、’’本来備わった力’’ が働くことで時期がくれば然るべき形になるし、見えにくくてもちゃんと循環している、ということなんだな。
但し!
余計なことをして ’’本来備わった力’’ を壊してしまわない限り。
... どうもニンゲンはこれをやってしまう傾向があるような気がする。
いつも忘れないでいたい。
指針は自然界にある、ということを。
そして、信じることを忘れないでいたい。
本来、私たちに ’’備わった力’’ がある、ということを。
le 11 Mars 2020
ロートレックやドゥガ、マネたちの描き残した沢山の作品から 19世紀末のパリの劇場の雰囲気を想像してみることができるが、パリにはあちこちに世紀を跨いで続く劇場があって、お芝居中心の小屋もあればヴォードヴィル中心のもの、ミュージック・ホールなどなど、200を越す劇場が今も現役だ。
劇場正面玄関のちょうど裏手にあたる場所、ガラス天井のパッサージュの中程にも出入り口のあるテアトル・デ・ブッフ・パリジャン。
1855年に作曲家オッフェンバックによってオペラブッファとオペレッタの上演のために設立された。
娯楽、芸術、どのように分類されようが、その時代に生きる人々が情熱を注ぎ、同時代に生きる人々によって愉しまれる場所であり時間の刻まれてきたところ。
時は流れて 21世紀の今、自宅にいてインターネット配信で色々なものを鑑賞できるなんて、本当に時代は変わった。
でもやっぱり、’’その空間’’ で ''生のもの’’ に触れる事から得られるものには、どれだけテクノロジーが発達しても永遠に叶わないだろう。
有事の際はともかく凌ぐしかないとして、劇場が、街が、何といっても日常生活が一日も早く賑わいを取り戻せるように・・・
’’個々にできること’’ を粛々とやりながら、明日への希望をどう育てるかが、今、大きく試されている。
le 13 Mars 2020
アジア初の国際博覧会、『日本万国博覧会』の初日の幕が 1970年3月15日に開いた。
六ヶ月間の会期終了後に取り壊される運命だったこの塔は、撤去反対の署名運動のお蔭で現在も尚、大空の下、堂々と両腕を広げて立っている。
当時、小学生だった私の記憶にもしっかり刻まれているだけでなく、今でも、いつ見ても感動し、胸が高鳴る。
一番上の金色の部分が「未来」、正面のおなかの部分が「現在」、そして背中に緑色で入っているのが「過去」の ’’顔’’。
あれから丸50年が経っても、大阪万博のシンボル 岡本太郎作の『太陽の塔』は少しも古さを感じさせることなく、むしろポップで、型にはまらず、限りなく未来を感じさせるエネルギーを放っている。
’’常に新しい’’ ということの圧倒的な凄み。
どんな分野のものにも言えるが、「骨の髄までとことん本物」というものだけが持つオーラではないだろうか。
そしてそういうものは、常に人々を先導する存在でもある。
この『EXPO '70』のテーマは『人類の進歩と調和』であった。
大きく世界が揺れている2020年の今、改めてこれを ’’今の視点’’ で考えなおす時かもしれない。
そんな問いを、この『太陽の塔』は投げかけてくれている気がする。
le 15 Mars 2020
1865年創業のパリの老舗デパート ’’プランタン’’。その名も「春」。
分厚いコートを脱ぎ捨てて、明るい日差しの中へ出かけたくなる季節がやってきた。
... というのに ...
世界中が、予想だにしなかった事態に直面し、対応に慌てふためく日々。
「当たり前」に回っていたことの何もかもが、まるで幻想だったかのように思える。
今の状況をこそ幻想だと思いたい、という意識が自己防御のように働くのかもしれないけれど、... いや、ちょっと待て。
いつからか、人類が色々なことを勘違いし始め、思い上がった挙句の暴走が招いている事態である可能性だってなくはないか?
今までのやり方がいっさい通用しない ー ということを痛いほどに思い知らされている今、宇宙からの大きな「課題」を乗り越えるにはどうすればいいか。
『温故知新』
基本の基本に立ち戻ってみるのもひとつかもしれない。
我々はもともと大いなる叡智を授かっているのだ、ということを魂レヴェルで思い出しながら、光の方へ歩いていこう!
本当の「春」に向かっていこう!
le 17 Mars 2020
人類最古の時計である「日時計」。
電池も要らないし、基本的に壊れることもなく寿命もないに等しいけれど、そのかわり太陽が出てくれないと機能しない。
それに、1分1秒までの細かい時間は計れない。
ただ、こういう物を見ると、人間がいかに「自然界」と近いところで日々を営んできたのかがわかる。
天候変動も五感で的確に察知していただろうし、常に、持てる感覚をフルに使いながら生きてたんじゃないかと思う。
科学も医学も発達し、テクノロジーの展開も目を見張る21世紀。
様々なデータ分析も瞬時にでき、あらゆることの数値的な予測もできるようになった。
... が、今、世界で起きていることに対してとれる策が、「手洗い&うがい」「感染防止のために人との距離をとる」... これ以外にない無力感。
結局「アナログ」に頼るしかないことに、ここまでの事態になってみて初めて気づく・・・。
まさか日時計の生活に戻れとは言わないが、人類数百万年もの時間の中で失ってきたものなどひとつもない、と誰が言い切れよう?
そんな思いとともに、遠い遠いご先祖さまたちに想いを馳せ、お彼岸の日々を過ごしてみたい。
思いっきり発想の枠組みをとり外し、今こそ魂の声に真剣に耳を傾け、いよいよ宇宙につながる回線を開く時がきたようだ。
le 20 Mars 2020
どんな時でも季節は廻り、春には春の、愛らしいお花たちが咲く。
その、なんの駆け引きもなく、 ’’ただそのままにそこに在る’’ という花々の在り方の、なんという気高さ。
その姿から大きな勇気と励ましをもらえること、この地球のしくみに、深い感動と、感謝が湧く。
le 22 Mars 2020
ユキヤナギの花に紛れて、春の訪れとともに地上に降りてきた。
白龍。
世の混乱を鎮めようとしてくれているのか。
それとも。
混乱という名の闇の世界から、別の世界へ導いてくれようとしているのか。
あるいは。
まっさらな境地に立て、と促してくれているのか。
陽だまりのなかで返照する、白い花びらと見紛う彼の鱗。
... そうか!
ひとりひとりの中にある「光」をしっかり指針としてゆけ、ということか。
今日も自然界に「ありがとう」!
le 24 Mars 2020
外側に荒れ狂う波。
それに飲み込まれてしまう前に、隙をみて身をひるがえせ。
石造りの回廊に流れる風は、頬を優しく撫で、頭を冷やし、’’氣’’ を鎮めてくれるだろう。
自分の足音が忠実に谺(こだま)となって返ってくる。
その音は、我が胸に静かに語りかけてくるだろう。
今、いちばん大切なことは何なのか。
ピントを合わせるのはどこなのか。
吐息となって空中に浮かび上がってくるのを待てばよい。
すべての答えは己の内側に在るのだから。
le 26 Mars 2020
今、多くの国々と同じように、自宅待機を強いられている英国。
3月26日午後8時。
住民たちが窓辺に立ち、バルコニーに出て、一斉に拍手を贈る。
見えない敵に日夜奮闘する医療従事者への感謝と敬意を伝えるべく、イタリア、スペイン、スイス、インドなどに続き、インターネットでの呼びかけによって英国全土で行われた。
今、人類がこの大きな試練の中で選んでいくことは、目に見える具体的な行動はもちろんだが、「’’人間だからこそできること’’ を探すこと」が、もしかしたらキーとなる気がする。
’’想い’’ はとてつもないエネルギーとなる。
’’感謝’’ と ’’祈り’’ は物事を動かす力にもなるだろう。
今までの延長ではなく、思い切った発想の転換をする時がきた。
慣例に染まりきった脳味噌を、頭から追い出す大きなチャンスだ。
皆んなで進もう、光の射す方向へ!
'' FORTUNE ''(幸運)への道を見失うな!
le 27 Mars 2020
考え事がいっぱいあると、つい俯き加減になってしまう。
ネットでの調べ物にしても、頭は自然に下ばかり向く。
ふぅぅ...っ...
そんな時・・・
空を見上げてみよう!
「あぁ、空はこんなにも広かったのか...!」
いつもいつも、変わらぬ広さで私たちを見守ってくれている、ということを思い出す。
桜の咲く、その、さらに上空を見上げてみよう。
地球上で何が起こっていても、空の広さ、空の青さは変わらない。
大丈夫、明日は今日よりもっと良くなる!
そんなエールを受け取ったら、空に笑顔を返したくなるよね。
le 29 Mars 2020
森への入り口で、こんなにもお花たちが大合唱で歓迎してくれて、あぁ、なんと嬉しい日なのだろう!
行き先を、木漏れ日が優しく示してくれる。
木々たちの案内を耳にしながら、柔らかい土の上を一歩一歩、足を進めていけばいい。
地球が、自然界が、すべてのバランスの取り方を教えてくれている。
愛の示し方を教えてくれている。
受け取る器を両手でしっかり持っているかい?
そこには、もう要らないものは入っていないだろうね?
今、何を手放す時なのか。
自分の人生において、何を優先させ、何を優先しないのか。
必要なものと不要なものをはっきりと知り、「自分自身と繋がる」ことを、さぁ、これからはそういう時代だ!
le 1 Avril 2020
ザーッと降った強い雨、’’驟雨(しゅうう)’’ が通り過ぎたその瞬間。
まだ雨雲が厚く残る中で早々と浮かび上がってきた素敵な贈り物。
二年前の三月、スペインのパンプローナで出会った虹だ。
まばたき三回ほどの時間、みるみる消えていったその一瞬ですら、宇宙からの七色のメッセージは心の奥に残る。
地球も生き物だから、怪我をしたり、何百年に一回の割りで大変な病気になったりもする。
そこに生かされている私たちが、起きていることをアンテナ高くしっかりと受け止め、個々人のできることを全力で行わなきゃ!
共同作業で乗り切っていくしかない局面、それが「今」だ。
地球規模でのチームワーク。
オリンピックどころの規模じゃないぜ。
全員参加の「今」、宇宙はいろんなご褒美を用意して、我々の行動を見守ってくれているはず。
意識をより高く持とう!
呼びかけよう、大切な人たちに!!
le 3 Avril 2020
古代オリンピックの始まりは紀元前8世紀までさかのぼる。
伝染病の蔓延に困ったギリシャのエーリスの王様が、争いをやめ競技会を復活させよというアポロンの啓示を受けたことに由来すると伝えられている、のだそうだ。
人類にとって何度目かの伝染病との戦いを強いられている「今」。
世界各地の医療現場で何が起きているか。
報道で知ることのできる、その何倍もの、想像を絶する過酷な現状だということを知らなければいけない。
文字通り、自らの命をかけ、全身全霊で戦っておられる方々に、我々が、唯一「今」できること。
STAY HOME !!! --- とてもシンプルなことだろう?
『うつらない & うつさない』、これに尽きるんだ!
もはや、形ばかりのトップの指示を待つ時間的猶予などない。
賢い判断をしよう!
愛ある行動をとろう!
欧州が、米国が、数歩先を進んでその悲惨な実態を見せてくれているじゃないか!
頭は「考える」ためについている、ひとりひとりに!
そこに入っている「脳みそ」を(量や質の差こそあれ!)、こういう時にこそちゃんと使おうじゃないか!
le 4 Avril 2020
いくつもの、小さな花々が寄り添うようにして咲く。
ひらひらと風になびく薄紅色は、春を象徴するもののひとつだ。
日本人にとって一番ポピュラーな ’’染井吉野 ソメイヨシノ’’ は、満開から散ってしまうまでがたったの一週間ほどなんだそう。
その花の姿といい、一瞬で潔く散る様といい、’’儚(はかな)げ’’ という言葉がよく似合う。
がしかし、その儚さとは裏腹に、その樹はとても逞(たくま)しく、何百年という長い月日を生きるものも珍しくはない。
そしてこの木は、満開の春も素晴らしいが、若葉の頃の葉桜も実に美しいし、秋は秋で見事な紅葉を見せてくれる。
木材としてみた場合、高級家具や楽器、彫刻にも使われ、小さいものではお箸やお箸置きなどでも魅力を発揮する。
そして樹皮は、茶筒や茶托などに変身する。
実は ’’さくらんぼ’’ だし、葉っぱも ’’桜餅’’ に用いられることを忘れちゃいけない。
こうやって考えてみると凄い木だなぁ!
今年のお花見はゆっくりできなかったとしても、我々の日常にいつも寄り添うように居てくれているわけだ。
そう思うと、また違った風景が見えてくるよ、桜さん、ありがとう!
le 7 Avril 2020
春の陽気が増す時期に、「自宅待機」は酷なこと...
でも!
ちょっと角度を変えてみよう。
忙しい忙しい... とあくせくしていた日々、家で好きなだけボ〜ッとできたらどんなにいいだろう、って思ったことは誰にでもあるはず。
今、おおっぴらにそれが許された! と思えば全く感じ方が違ってくるじゃないか。
こんな時、長編小説の読破にとりかかってみるのもひとつ。
家にある材料で、オリジナル料理を工夫してみるのもいいよね。
丁寧に淹れた美味しい珈琲を、春の日差しの入る窓辺でゆっくり味わうもよし。お気に入りのカップを出してきて、自分をたっぷりおもてなし、といこうじゃないか。
どれもこれも、なんて贅沢な時間なんだろう!
長い春休みを家でゆったり過ごすだけで、’’自分と自分の大切な人たちを守れる’’ なんて、なんてお安い御用なんだ!
医療現場の最前線で命を削って戦って下さっている人たちに、これ以上の負担をかけてはならない! ってことを知ろう。
ルールができたらそれに従う、指示されるまで動かない、--- そんな時代はとっくに終わった。
自分で考えりゃわかること。
STAY HOME !!!
『お安い御用!』、今日もこれでいってみよう!
le 9 Avril 2020
天使が大きく羽を広げているんだろうか。
大きな鼻の横顔はちょっと漫画チックな輪郭にもみえなくはないけれど。
彼の口からは、それこそ漫画の ’’ふきだし’’ のようにキラキラ輝く言葉が発せられている、ようにも見える。
羽の付け根や彼の頭あたりに彩雲が浮かび上がっていて。
あぁ、きっとこれは ’’激励’’ のメッセージだね!
ぐらつかないように。
惑わされないように。
心の表面をむやみに波立たせることのないように。
日々の生活は一見平常どおりには見えないかもしれずとも、基本の基本は十分に平常どおりだ。
だって今日も、ご飯を美味しくいただけて、自分のお布団で温かく眠ることができているものね!
空に浮かんだ彼のように、明るい言葉を発していこう。
だいじょうぶ、すべてはうまくいっている☆
le 11 Avril 2020
雨。
’’浄化’’ の雨が降っている。
積もり積もった塵や汚れ、長年のうちに凝り固まった人類の ’’思考の癖’’、要らなくなった ’’縛り’’、さぁ、どんどん洗い流してしまってくれ!
久々に聴いてみたドビュッシー自身の弾く『雨の庭』。
空から降ってくるひと粒ひと粒が見えたかと思うと、みるみる庭先の木々たちを濡らし、勢いが強まったり弱まったりしながら全ての情景を水で包んでゆく・・・
「水」は生命の源。
動植物が、生まれ、育ち、生きていく上でなくてはならないもののひとつ。
そんな雨になにもかもを浄めてもらえるのも、地球ならではの素晴らしい作用。
自然界は本当に偉大だ。
le 13 Avril 2020
パリの象徴のひとつでもあるノートルダム大聖堂。
世界中を震撼させたあの大火災から丸一年・・・。
もうそんなに経ったなんて... 時の流れの早さに改めて驚かされる。
新型ウィルスの感染拡大がなかなかおさまらない今、世界中でさざ波のように広がっている「最前線で戦って下さっている医療現場の方々へ向けての感謝の拍手」はフランスでも行われており、火災から一年の今日、その拍手の時間に合わせて午後8時にノートルダムの南側の塔に設置されている大鐘が鳴らされるという。
大聖堂にある鐘の中で最大、そして最古である ’’エマニュエル’’ は 1685年に鋳造され、ルイ14世によって命名されたものだそうだ。
クリスマスや復活祭、ローマ法皇の任命や死去の際、またはパリにとって歴史的に大切な機会にのみ鳴らされるこの鐘。
フランス中の祈りがこの大鐘の音に集結するだろう。
希望を彩る音色がフランス全土に鳴り響くだろう。
祈りをのせた鐘の音は、世界中に広がり、この地球を包み、そして天まで届くに違いない。
そう願わずにはいられない。
(写真は、2018年12月、モンマルトルの丘から撮影したもの。火災で焼失してしまった大聖堂の尖塔も見える)
le 15 Avril 2020
朝の庭先で、静かに咲いている花にハッとさせられる。
無言でなにか大切なことを教えてもらう、そんなかんじがする。
自然の造形って、どうしてここまで美しいのだろう。
「お見事!」としか言いようがない。
いつも思うのだけれど、お花の色って、どれも本当に美しい。
ただ... 人工的に作られた「青い薔薇」なんかは私が抵抗がある。
やっぱり不自然な色だから。
あ、「不自然」という言葉って、そうか、そのままなんだな。
... と、当たり前のことに気づく。
「自然」なものは、押し付けがましさもヘンな自己主張もなく、ただただ ’’そこに在る’’。
その在り方じたいに品格がある。
だから ’’美しい’’ と感じるんだろう。
数百年周期での地球の大きな転換期の今、
この星のすべての動物、植物、鉱物 etc... 自然界に存在するすべてのものの在り方を、しっかり見直す時がきている。
le 17 Avril 2020
英国で ’’キャプテン・トム’’ として親しまれている退役軍人トム・ムーア元英国陸軍大尉が、御年100歳を迎えられる今月末のお誕生日までにご自宅の庭を100往復することで寄付金を募る、という活動をされている。
新型ウィルス対策の最前線に立つ医療機関 NHS(英国の国営医療機関)に対して、ご自身がかつて骨折や癌の治療でお世話になった時の感謝も含め、今の状況への応援で始められたのだそうだ。
その反響はすさまじく、お誕生日を前に早々と100回目の歩行を終えられた時点で約17億円が。
その後も歩行を続けておられ、昨日の時点で約25億円というものすごい数字となっている。
矍鑠(かくしゃく)としたお姿で「必ず、今日より明日は良い日になると信じています。これまで、問題があっても我々は克服してきました。必ず皆で克服できます。」とインタビューに応えられている第二次世界大戦をくぐりぬけてきた人の言葉は重い。
人間、いくつになっても、どんな状況でも、’’その人に出来ることがある’’ のだと、文字どおり身をもって教えて下さっている。
かっこいいなぁ、ムーア大尉!
le 18 Avril 2020
いわゆる「ドールハウス」という一定の縮尺で作られた模型の家の、様々なキットを売っているパリの古くからの玩具店。
19世紀ヨーロッパの中級クラスの市民階級の女子に与えられた玩具の代表的なものらしく、その世界はその世界で奥が深いんだそうです。
世界中で、「自宅で過ごす」というかつてない事態が続行中の今。
純真な子供がドールハウスをワクワクしながら作っていく工程さながら、「自分は何が好きなのか」、「自分は何を欲しているのか」、そして「自分はどんな生き方をしていきたいのか」 etc... 改めてじっくり考えてみる時間にあててみるのはどうだろう。
時代、国、親、環境 etc... それらによって形成された「自分」というものの、本来の「魂」の奥の奥にまで目を向けてみる。
『内観』 ー それは幾つになっても可能なこと、否、むしろ...!
何故ならば...
与えられた「生」を生ききる ’’今生’’ の最後の瞬間まで、自分の人生は、他の誰のものでもなく自分自身のものだからです。
le 20 Avril 2020
実はわたしたちは...
会いたい人に、会いたいと思った時に会いに行くことができたんだ。
行きたいところに、行きたいと思った時に行くことができたんだ。
それができない日常がくるなどと微塵も思っていなかった頃の話だ。
行動を先延ばしにする時、人間というものは、無意識のうちに ’’自分に対しての言い訳’’ を用意しているのだろう。
気持ちの方ではアクセルを踏んでいるのに、同時にブレーキを踏んでいるなんて。
なんと矛盾した行動だろうか。
もしも今、自宅待機という状況下でも行動に移すことが可能な事ならば、以前から「やりたいな」と思っていたこと、「あの人に、こうしてあげたいな」と思っていたことも、さぁ、誰に遠慮もいらない。
誰にも迷惑をかけない事なら、今すぐブレーキから足を離そう!
晴れ渡った空に鳥は自由に羽ばたき、花々は喜びに溢れんばかりに咲き誇り、樹々の青々と繁る春。
自然界はこんなにもアクセル全開だ!
le 22 Avril 2020
老舗の貫禄たっぷりなこのお店は、建物にも「フランスのタペストリー」と大きく入っているように、主にタペストリー用の糸や様々な道具などを扱っている手芸店だ。
どこの国にも、どの民族にも、布に糸を刺していって室内装飾品や実用品、芸術品を作る文化は古くからある。
ひと針ひと針すすめていく細かい手作業は、’’時間を紡ぐ’’ ことでもあるだろうし、’’想いを編み込む’’ ことでもあるような気がする。
世界的にマスク不足の状態が続いて数ヶ月。
なにも既製品の入手に躍起にならなくとも、「そうか! 自分の手で作ればいいんだ!」という発想の転換。人間本来の ’’手仕事’’ の能力を思い出させてもらった貴重な機会だったんじゃなかろうか。
誰かの作った物、誰かの決めた規則や価値観、誰かが用意した環境 etc... そういうものを鵜呑みにして頼りきってきた日々からの卒業は、想定外の角度から突然やってくる。
頭をとことん柔らかくしていくと、おのずと心も柔らかくなってくる。
自分に対してどうしたらいいのか、他人(ひと)に対してどうしてあげたらいいのか、想いは手段とともに泉のように湧いてくる。
ひとりひとりがそうなっていけば、おぉ... プラスのエネルギーが廻り始めるしかなくなってくるじゃないか!
想像力。
創造力。
新しい時代はもう始まっている!
le 24 Avril 2020
睡眠中に、実は身体や心のいろ〜んなところがすごい勢いでメンテナンスされてるって知ってた?
起きてる間は顕在意識で動いてる我々だけど、寝てる間は潜在意識が仕切ってくれて、肉体的&精神的に疲弊した部分を修復してくれる。
だからね。
睡眠時間はたっぷりキープするに限るんだよ。
どこにも行けない今年の「黄金週間」、’’STAY HOME’’ して
「眠い時に、寝たいだけ、思いっきり寝る!」っていう、サイコーに身体にいいことやっちゃいな。
後ろめたくなんか思わず、堂々とね!
世界中、まだ暫くは続きそうな今の状況だけど、これが終わっていよいよ動き出すって時が必ずくる。
必ずやってくるその時を、エネルギー満タンで迎えたいと思わない?
ってことで、骨董屋さんの店先で今日もボクはお昼寝三昧。
この東洋趣味の壺の横、ボクお気に入りの特等席で、思いっきりチャージ中さ♪
le 27 Avril 2020
ギャラリー・ヴィヴィエンヌの天蓋部分にあるこの時計は、18世紀末からずっと時代の流れを見つめてきた。
約二百年の間には様々な事があっただろう。
いくつもの戦争があり、疫病が流行った時代もあり、天職として使命を担って生まれてきた人のリーダーシップによってすべての歯車がうまく噛み合った時代もあったなら、その逆の時代もあったことだろう。
いずれにせよ、時代と共に「価値観」は驚くほど変化し、人々の「生き方」「心の持ちよう」も多様に変貌を遂げてきたことは明らかだ。
新しいものへ移行する時、それまでの「習慣」や「常識」は根底からガラガラと崩れてゆく。
大きく変わる時ほど大きな痛みが伴うもの。
その代わり、想像をはるかに越えるものを手にできる(と信じたい)。
先になって今のことを振り返った時、あぁ、あの時は本当に大きな時代の変わり目だったんだなぁ、とわかることだろう。
時計の針を「あの節目があったからこその素晴らしい時代を迎えられてよかった!」と思える未来に進めてみて、’’今’’ をどう過ごせばいいのか逆算してみるのもよさそうだ。
ただ闇雲に未来への不安の中で過ごすより、素晴らしい時代への道筋をみつけてゆける気がする。
『光の射す方向へ!』
それが合言葉だ!
le 1 Mai 2020
空からも、海からも、大地からも・・・
こんなにも、わたしたちは豊かなものをもらっている。
命をつなぐ為のものだけでなく、心の栄養になるものまで、惜しみなく、受け取れないほどたっぷりと。
しかも無償で!
すごいことだなあ!
大いなるものに抱かれて生かされているわたしたち。
大元のところでしっかり守られている。
目先のことに惑わされず、踊らされず、しっかりと立っていよう。
こんなにも豊かなものを与えられているのだから。
そして!
今日も回していこう、自分のところで止めてしまわず。
地球からいただく有り難い波動を、受け取ってはまた放っていこう!
le 3 Mai 2020
全国津々浦々、寺社や旧いお屋敷などで多種多様なものにお目にかかることができる「鬼瓦」。
日本最古のものは、7世紀前半、飛鳥時代のもので、奈良の法隆寺『若草伽藍(がらん)』跡で発掘された『蓮華紋鬼瓦(れんげもんおにがわら)』なのだとか。
現在のような鬼面の鬼瓦となったのは室町時代になってからだそうで、法隆寺の瓦大工 橘国重の作品がその始まりだそうだ。
その後、数世代にわたる橘一族の関西一円での活躍によって鬼瓦文化の土台が築かれていった、と資料にはある。
’’魔除け’’、’’厄除け’’ の意味が込められる「鬼瓦」。
恐ろしい魔物扱いされてきた「鬼」をあえて味方につけることで、怖いものなしの無敵状態になると考えられた。
なんてナイスな発想だろう!
そういう心持ちになるだけで、なんだかすべてうまくいく気がしてくるじゃないか!
le 5 Mai 2020 端午の節句
この数週間、世界中の ’’ニンゲン’’ が家でおとなしくしていることで、自然界は生き生きと本来の姿を取り戻しているようだ。
セーヌ川も、「これまでは茶色に濁っていましたが、今は澄みきっています!」とパリからの中継で記者さんが心なしか興奮気味に話されていた。
聞くところによると、早い段階からこの新型ウィルスが猛威を振るったフランス東部アルザス地方の今年の蜂蜜は、数十年来の豊作だそう。しかも量だけでなく質までも素晴らしいんだとか!
『ミツバチがいなくなると人間は四年も生きられない』
世界の食料の9割をしめる100種類の作物種のうち、7割は蜂さんが受粉を媒介しているからだ。
今、世界中のミツバチの減少が年々加速してきており、なかでも「ネオニコチノイド系の農薬」がミツバチに与える恐ろしい影響に対して必死に声をあげて下さっている方々がおられる。
目先の利便性、己だけの利益を優先させてしまうと、後々とりかえしのつかないことになってしまう。
そうなってからジタバタしてももう遅い。
誤解を恐れずにいうと、今回の新型ウィルスの登場で、我々は実に色々なことへの「気づき」のチャンスをもらえた。
今までの常識はもう常識ではなくなっていくだろうし、価値観が大きく変わっていくのは明白だ。
’’ニンゲン’’ が一番エラい、という驕(おご)りも、今後はもう通用しなくなる。
思わぬ形でやってきた「地球の治癒期間」。
我々 ’’ニンゲン’’ も、その流れの中でしっかり本来の姿を取り戻していこうではないか。
le 8 Mai 2020
チュィルリー宮殿の、花壇の維持にあたっていたピエールを祖父に、庭園の設計を担っていたジャンを父にもつアンドレ・ル・ノートルは、平面幾何学式庭園といわれるフランス式庭園を確立させた 17世紀フランスを代表する造園師である。
彼の代表作といえば、ルイ14世の命を受けて設計したヴェルサイユ宮殿の庭園だろう。
王は、庭園を宮殿と同じぐらい重要だと考えていたらしく、多くの人員を動員し、1661年から実に40年をかけて広大な庭園を作らせた。
14世みずから「庭園案内の手引き」を書くほど思い入れのある庭園。
実際、何度訪れても飽きることはなく、一日歩いても味わいきれない様々な面を見せてくれる素晴らしい空間は、四季折々の花、季節ごとに空も違い、日ごとの天気も異なれば、やはり一期一会だと思う。
植物は、じっと見ていても急に枝葉が伸びてくるわけでなし、たとえば動物をペットに飼うのとは違って反応が瞬時にあるわけではない。
でも、昨夜と今朝は明らかに違っているし、新芽が出たり小さな蕾をみつけたりすると温かい気持ちになる。
最近ひしひしと感じることなのだが、植物はこちらの考えていることをどうやらしっかりキャッチしていそうなのだ。
思いを込めて世話をすると、ある朝、美しい花を咲かせてくれたりもするし、ウチの裏庭のとある木も、「あまり枝をこっちに伸ばしてこないでほしいな... 狭くて歩きにくくなってしまう...」と思いながら眺めていたら、最近は邪魔をしないような角度で枝を伸ばしてくれていたりする(!)。
ルイ14世もいろいろな時、様々な感情を胸に秘めながらご自慢の庭を散歩されたのだろうなあ。
その当時のことを、樹齢何百年もの木々たちは記憶に留めていることだろう。
次に訪れた時、彼らからそんな話を聞き出してみようかと、その日が近いことを心待ちにしている私だ。
le 11 Mai 2020
薔薇の原種といわれているものは 150〜200 種類ほどあるそうだが、すべて北半球に生息しているらしい。
それら ’’原種’’ の花の姿は、中には八重のものもあるが、多くは一重で、そうと知らなければ薔薇と関係があるなどとは思わないほど、雰囲気からしてもかなり違う。
薔薇は西洋の花のイメージが強いが、中国や日本にも多くの原種があることに驚く。
古来より日本に自生する薔薇の原種のひとつ「ハマナス」は、やはり古くからある「ノイバラ」とともに西洋に渡り、モダンローズの誕生に大きく貢献したのだそうだ。
万葉集や源氏物語にも登場し、江戸時代中期の絵師 伊藤若冲にも描かれた日本古来の薔薇。
外国人だと思ってがんばって英語で話しかけていたのに、よくよく聞けば日本語もペラペラだったなんて! ... みたいなかんじだろうか(笑)。
これから薔薇を観賞する時、彼女たちのご先祖さまにも思いを馳せてみることにしよう。
きっと、今まで知らなかった隠れた魅力も感じとれるかもしれない☆
le 13 Mai 2020
1994年より開催されているパリ市主催のバゲットコンクールには、毎年 200軒を越えるパン屋さんがエントリーする。
規定の「長さ」「重さ」「小麦粉と塩の比率」に加え、「味」「香り」「見た目」「焼き具合」「皮の固さ」が審査の項目だそう。
フランス人の「食」への執念(!?)が成せる技か、今年も無事、三月上旬に開催されたようだ。
昨今、日本では「柔らかいパン」が大人気らしいけれど、私はそういうタイプじゃない方がいい。
例えば日本で食べる食パンなら、焼いた時カリッと香ばしく、サクッとした固めの食感のものの方が断然美味しいと感じる。
パリのバゲットコンクールでは 1位から10位が決まり、見事優勝したバゲットは『1年間、大統領官邸に納める』という栄誉を獲得する。
ただ・・・大統領にも好みがあるんじゃないの...?
フランスではバゲットは毎食テーブルに並ぶものだから、自分好みのものなら最高の一年になるけれど、もしそうじゃなければ... なぁ〜んて余計な心配をしてしまう。
私がその立場だったら、なんとかして自分にも審査させろ、と言い出しそうだな(笑)。
(写真の看板のパン屋さんはコンクールとは関係ありません)
le 15 Mai 2020
ほんの 20cm に満たないほどの状態で買ってきた『姫卯木 ヒメウツギ』の苗木が、三週間も経つと 1.5倍ほどに背丈が伸びてきた。
万葉集にも数多く詠われている卯木(ウツギ)という日本古来種。
旧暦四月(卯月)に花を咲かせることから卯木(ウツギ)と名付けられたらしく、これはその中の一種で、 ’’姫さま’’ らしく少々小ぶりのようだ。
この木の白い花が、唱歌『夏は来ぬ』の歌詞にも登場する ’’卯の花’’ であることなど、子供の頃は何も知らずに歌っていたなあ。
またひとつ、お花のおかげで素敵なことを知ることができたよ。
♪ 卯の花の匂う垣根に
時鳥(ホトトギス)早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ ♪
(作詞:佐佐木信綱)
Le 17 Mai 2020
現代では「モナ・リザとミロのヴィーナスだけは見ておかねば!」と世界中からの観光客が殺到するスポットとなっているが、ルイ14世が王宮をヴェルサイユに遷宮(せんぐう)する 1682年以前は、このルーヴル宮がフランス王宮として歴代の王に使われてきた場所だ。
美術館として開館したのは、フランス革命でルイ16世が断頭台の露と消えてから数ヶ月後のこと。
そこから約二百年の時を経て、1989年、中庭にガラス張りの大ピラミッドが落成した。
御多分に洩れず、当時これを手放しで評価した人は少なかった。
私自身、初めてパリを訪れた時にはまだなかったこのピラミッドを数年後に見た時、反射的にギョッとした記憶がある。
とかくパリでは、こういった「世紀を跨いだ組み合わせ」が随処に見られるが、そうすることで ’’新しい命’’ を得て、どこまでも変様していこうとしているかのようだ。
いつまでも「過去」にすがるのではなく、「現在(いま)」だけを頑なに押し通そうとするのでもなく。
『人間は常に ’’変化’’ していく生き物である』 ー おそらく我々の ’’魂の記憶’’ にそう刻み込まれているのだろう。
新型ウィルスの登場によって思いがけずも時代の大転換期を迎えている今。
足踏みせず、ましてや元に戻ろうとするのでもなく、水の澱(よど)まぬ、清流の流れる川のようでありたいものだ。
le 19 Mai 2020
蕾は固く閉じているのに、時が満ちるとこんなにも見事に咲く。
そして陽が落ちると、まるで「おやすみなさい」とでも言うかのように花びらが閉じ、翌朝また開く。
規則正く、律儀に、寿命の尽きる時まで開いては閉じて... を繰り返すガザニア。
どんなお花にもそれぞれの特性があり個性があり、そして、どれもとっても素敵だ。
その自然の摂理に静かに感動してしまう。
昨夜もよく眠れたかい?
今日もまた綺麗に開いてくれたね、ありがとう。
le 21 Mai 2020
やわらかいタッチ、ほんわかした色合い、温かなモチーフ。
イラストレーター、漫画家、風刺画家... さまざまな呼称をもつ人だが、私の中では総称としての「画家」と認識している。
ジャン=ジャック・サンペ Jean-Jacques Sempé (1932〜)。
30年ほど前だろうか、初めて見た絵は音楽家をモチーフにしたものだった。
なんとも優しい雰囲気の絵で、それ以来 意識して探すようになった。
この壁画は、パリ市内、限りなく11区に近い3区の、ごくごく普通の小径にある。
サインを探さなくとも彼の作品だとすぐにわかる絵。
観光ガイドに載っているわけでもなく、たまたま散歩していた時に出会ったのだが、通行人がいないことをいいことに、暫くの間そこに佇んでこの絵を見上げていた。
一見、楽しげな絵だけれど、見る側の限りない想像力の部分に委ねられた、サンペからの問いかけのようにも思える・・・。
le 23 Mai 2020
ヴェルサイユ宮殿の庭園敷地内には、大小の噴水があちこちにある。
ひとつひとつがバロック彫刻の超一級品で(王様の命だから当たり前だが!)、水の出ていない夏以外の季節に訪れてもその ’’作品’’ のパワーに圧倒される。
そのひとつ、『アポロンの噴水』。
ルイ14世は、かつて「白鳥の池」と呼ばれていた湧水地を噴水として拡張工事した際、自身の象徴として ’’太陽神アポロン’’ の彫刻をここに作らせた。
神々の王ゼウスと女神レトとの間に生まれた女神アルテミスの双子の兄であるアポロン。
’’月’’ の女神アルテミスと対をなす ’’太陽’’ 神アポロンは、ギリシャ神話における《オリュンポスの 12 神》の中の二柱に数えられる。
木々の若葉も増してきた。
もうすぐまた、ヴェルサイユの噴水から勢いよく水の放たれる季節がやってくる。
le 25 Mai 2020
『勿忘草 ワスレナグサ』の小さな花が風に揺れている様子は、なんともいえない風情がある。
わずか数ミリの花だが、地面を這うようにどんどん枝を伸ばしていくので、株が成長していくとボリューム感も出てくる。
一人一人はピアニッシモでハミングしているのに、全体の響きがとても豊かなアカペラのコーラスを聞いているかのようだ。
とてもよく似ている『蝦夷紫 エゾムラサキ』はもともとの在来種で、勿忘草の方は明治時代に日本に入ってきたものらしい。
花じたいはそっくりでも、茎や葉っぱのかんじが異なる。
最近では少なくなってきたけれど、『オーボエ』という楽器の知名度が低かった私の若かりし頃、同じ黒っぽい木管楽器のクラリネットとけっこう混同されたものだ。
音を出す発音体の部分も全く違えば、歴史も全然違い、音色も、レパートリーも異なる二つの楽器なんだけど。
ま、でも、「木管楽器」という括りでは一緒だもんな。
勿忘草も蝦夷紫も、同じ「ムラサキ科 ワスレナグサ属」。
春から夏にかけて清楚な雰囲気を漂わせて咲く姿に、あなたならどんなハーモニーを感じるだろうか。
le 27 Mai 2020
ヨーロッパの街では、建築家の名前と建設年が入っている美しい建物に遭遇することは珍らしいことではない。
このフランスの建築家 Georges Sinell の建造物も私の大好きなアール・ヌーヴォー・スタイルなので、散歩のたびにここを見上げてはうっとりとしてしまう。
曲線を駆使したこの時代の装飾は、その何世紀も前のバロック時代の特徴とも直結する。
後の時代の人間が俯瞰で見て感じることに過ぎないかもしれないが、面白いもので、隣あった時代の ’’趣味 / 価値観’’ はたいてい正反対なように思う。
人間には、常に変化を求める飽くなき思いがあるからなのだろう。
歴史の流れを観察するとわかるが、少々の違いだけでは満足できず、思い切り真逆の方向にハンドルを切ろうとするものだ。
その作用の繰り返しから、意図している訳ではなかろうに、遠く離れた時代同士の趣味や方向性が似ていたりする。
今、大きな時代の変わり目の真っ只中に我々は居るわけだが、さて今後、どんな方向に舵を切っていくのか。
政治家などの ’’どこかの誰か’’ に任せ切ってしまうんじゃなく、一人一人が自分の舵をしっかりとっていけばいいんだ。
今までにない骨組みをもつ、文字どおり ’’新しい時代’’ への移行は、個々人の感覚 & 感性こそがベースとなる気がする。
le 29 Mai 2020
「甘いものはオンナコドモの食べるもの」 ー 私の子供の頃の一般的な風潮だ。
もちろんその頃にも甘党の男性はいて、でもなんとなく恥ずかし気に、もしくは申し訳なさ気にする人が多かった。
なのでフランスに住み始めた頃にはびっくりしたものだ。
殆どの殿方が ’’当然のように’’ 甘いデザートを召し上がるし、チョコレートなどに至っては万人の好物であるほど。
そもそも ’’男のくせに’’ とか ’’女だてらに’’ とかいう観点でものを見ていないのがいい。
今の時代、様々な括(くく)りが ’’いい意味で’’ どんどん外れてきている。
「〜ねばならない」という方程式も、不要へのスピードが更に増していくだろう。
この、ある意味で特殊な時間だった三ヶ月の間に気づき始めた人も多いはず。
色んな枷(かせ)を取っ払っていく時代では、発想の広がりはもちろん、行動力も無限大だ!
le 31 Mai 2020
夏が近づいてくると、植物の成長の度合いが驚くほど増してくる。
新芽が出る頃と比べて断然スピードが違うのは、どうやら気のせいではなさそうだ。
水や空気、そして太陽の光という彼らにとっての「栄養」の質が、季節によって変わることもひとつなんだろう。
我々の成長も似ているところがある。
どんな経験をするのか、どんなご縁を得てどんな環境に身をおくのか、どんな本に出会い、師や友からどんな言葉をもらうのか。
それらすべてが「栄養」だ。
ところで、『夢』を育てるのにも様々な時期があるように思う。
心の奥に『夢』の気配を感じ始める頃、その輪郭がうっすら見え始める頃、常にその事に思いを馳せるようになる頃・・・。
それぞれのタイミングで必要な「栄養」がありそうだ。
『夢』は育ちたがっている。
いくつになっても、生きている限り『夢』を持ち、育てていけたら素敵じゃないか。
誰はばかることなく己の『夢』の実現に取り組む時、夏に向かう植物たちのように、命は輝き、放つ光はどこまでも眩(まばゆ)い。
le 3 Juin 2020
日本には、「四季」どころではなく二十四にも分けて細やかに季節を感じる文化がある。
春から夏への間(はざま)、夏至に向かう前の二週間ほどの期間(& 年ごとに変動するある一日)を芒種(ぼうしゅ)といい、今年は今日がその日にあたる。
素敵な実を成らせたいと思ったら、まずはその種を植え、綺麗な花を咲かせよう。
水をやり、日に当て、肥料を与え・・・
時には害虫を駆除したり、霜から守ったり、細々とした世話も必要だ。
大事なことは、’’その種の力を信じて生長を見守る’’。
必ずそこに温かい気持ちが込もるはず。
あぁ、そうか... その全ての行程で、実はこちらも成長させてもらってるんだなぁ。
le 5 Juin 2020
その花の名前を覚えるきっかけになったのは、帚木蓬生の小説『千日紅の恋人』の読後感がとても心に残るものだったからだ。
ご専門分野の知識を生かした彼の他作品とは、題材も違えば作風もまったく異なるこの小説。
ずいぶん前に読んだものなのに、最後のページを閉じた時の温かい気持ちが今でもずっと胸に残っている(... といっても、正直、筋はほとんど覚えていない... ^^;)。
小説の世界は媒体が「文字 ’’だけ’’」に限られる分、逆にどこまでも世界は広がる。
その ’’旅’’ はとてつもなく贅沢で、豊かな時間だ。
人間に様々な ’’感覚’’ が備わっている中で、どうも近年は ’’視覚(映像や絵や記号)'' に頼りがちなものが多すぎるように感じてしまうんだが、どうだろうか。
「パッと見てすぐわかる」、確かにお手軽で素早いかもしれないけれど、それ以上深まりようがないのはやっぱり少し残念だ。
時には、受け取る側の ’’感受性’’ や ’’想像力’’ を使う余地が残されている方が楽しい場合も多い。
’’読後感’’ というものも、私たちがロボットでなく人間だからこそ持てるもの。
『千日紅 センニチコウ』を見ると、あの時の読後感がふわっと甦ってきて、ほんわかした気持ちになれるのが嬉しい。
le 7 Juin 2020
ボクたちの ’’ディスタンス’’ は、まぁ、こんなかんじ。
ニンゲンの皆さんは、誰かに数字で示してもらったり、ビニールテープを床に貼ってもらわないと難しくてできないみたいだけど。
手洗いや咳くしゃみのエチケットも、子供でもないのに教えてもらわないとわからないんだって?
何かが起きて、困ったことになって、エラい人が規則を決めて... ってならないとなんにも出来ないみたいだねえ。
そんなふうに ’’決め事’’ ばっかり増やしちゃうと、どんどん「〜ねばならない」で生きていかなきゃなんないのに。
あれ、ひょっとして... がんじがらめにされて生きていくのが好きだったりして。
確か、ボクたちよりもよっぽど大きくて性能のいい脳みそを持ってるんじゃなかったっけ?
それとも、使わないでいるうちに、その使い方もわからなくなっちゃった、とか ?!
あぁ! だから、代わりになんでもやってくれる ’’機械’’ を次から次へと開発するのに躍起になってるのかあ。
なんだか気の毒だなあ。
ボクたちにだってもちろん「掟(おきて)」はあるけど、基本的に本能を使えばいいことだから、いちいち誰かに指図されなくたって皆んな出来るよ。
ニンゲンさんたちもそうなれればいいのにねえ。
ずっとずっと軽やかだし、その方がすべてうまくいくんだよ。
ほんとだよ。
le 9 Juin 2020
分厚い葉っぱに水分を溜める ’’多肉植物’’ に属する『カランコエ』。
18世紀、フランスの探検家がマダガスカル島から持ち帰りヨーロッパで広まっていった。
このマダガスカル島という島は、他の大陸との生物種の往来が少ない状態が長く保たれたため、独特の生態系が進化し、植物も動物も、魚類でさえも100種類以上の固有種がいるらしい。
天然資源も多く、とても豊かな島だったために、様々な民族に占領され、植民地とされてきた歴史がある。
地球上に、まだ人間の手の入っていない ’’地球本来の豊かさ’’ の満ち溢れるところはどれくらい残っているのだろう。
18世紀に生きた王妃マリー=アントワネットの愛したヴェルサイユのプチ・トリアノン離宮の ’’王妃の村里’’ 。
2020年春、世界中が特別な時間を送ったこの二ヶ月余りの間、ここの庭師たちも当然「自宅待機」していたため、植物たちは100%自由自在に生育していたようだ。
その姿を見て心打たれた専属庭師は、今後は「まさに王妃が望んだであろうこの姿を継続させていく」ことに決めたのだそう。
窮屈な宮廷生活から逃れてここで束の間の息抜きをしていた王妃が、敢えて農民の住む田舎風の庭として当時造らせた場所だからだ。
どれだけ華やかで贅沢な暮らしができても、結局、本当に深いところで人間の魂を癒してくれるのは大自然の存在なのかもしれない。
自然は、いつもその姿で、わたしたちを大切な ’’気づき’’ へと導いてくれているように思う。
le 12 Juin 2020
フランスでは今、品薄になるほど自転車の購入に人々の関心が集中しているようだ。
十年ちょっと前から街のあちこちにパリ市のレンタサイクルが設置され、近年少しずつ自転車専用道路も作られ始めているパリ(だから年中どこもかしこも工事中なのだが...!)。
昨年12月からの、かつてない大規模な(&長期にわたる!)全交通機関のストライキ期間中、最初のうちは何時間もかけて徒歩で(!)通勤するという異様な光景が見られたが、そのうちバイクや自転車が増えていった。
そして今、新型ウィルス対策での「移動中の人との密を避ける」ために... と、 ’’排気ガスも出さぬ環境に優しい乗り物’’ に関心が高まっている。
起きることはすべて ’’必然’’ だというが、この流れもそうだろう。
人間の行動範囲は、数世紀に渡って「拡がる」一方だった。
’’より遠くへ’’、’’より速く’’ 移動できることが人類の進歩の証だと疑わず、その願望を叶えるための乗り物が次々と開発されてきた。
それはそれでとても素晴らしかった。
ブラボー! よくやってきたよ、人類!
地球規模での大きな「転換期」を迎えている今、どうやらすべての項目を洗いなおしてみるいい機会のようだ。
「ニンゲンという動物にとっての行動範囲」もそのひとつ。
もちろん、月へ行く、宇宙へ飛び出す、その分野の研究をこれからも推し進めていくのはとても素敵なことで、それはまた全く別の話!
日常的に、遠くへ行かなくてもすぐ傍にかけがえのない豊かさがあり、どこかに探しに行かなくても実は最初から与えられていたんだ・・・ ということをもっともっと実感していけたら素敵だと思う。
メーテルリンクの『青い鳥』が書かれたのは、もう100年以上も前のこと...。
le 14 Juin 2020
広々とした公園で、陽を浴びる、風を感じる、木々の ’’氣’’ を受け取る・・・
「そんなのいつだって出来るさ」ー いったい何を根拠にそう思い込んでいたんだろうな。
あの ’’自粛期間’’ という地球規模での長い春休み。
行動は制限されたけれど、そのぶん思いがけない ’’気づき’’ を得られた貴重な時間だった。
今までずっと、色んなものが「足りない」と思い込まされ、「未熟」だということを大前提に教育という名の様々な刷り込みが行われてきたけれど、どうもこれからはちょっと違う。
まず、『在る / 持っている / 満たされている』、そこに意識を向けることが ’’幸せ’’ へのスタート地点だと人々は気づき始めた。
この地球という星の、本当の ’’しくみ’’ が見え始めた。
何を「軸」にもってくるかによって、物事の見え方はまったく違ってくる。
...と、おのずと選択や行動も変わってくる。
どんな日々を展開していくかは、そう... 「自分軸」なんだよ!
なんてワクワクする時代が始まったんだろう。
さあ、目を開こう!
眠っていたすべての感覚を呼び覚ます時がきたぞ!
le 16 Juin 2020
庭の片隅や小径の脇にひっそりと咲く『紫片喰 ムラサキカタバミ』。
お花屋さんで花束にしてもらうお花でもなければ、わざわざ花壇に植えるお花でもなく ... いってみれば「雑草」の括りに入れられてしまうお花だけれど。
『雑草という名の草はない。すべての草には名前がある。』
何十年も前、この昭和天皇の御言葉を聞いた時、なんだかすごく納得できたような気がした。
この、本当に小さな花も、こんなにも綺麗な色をしていて、なんて可憐な姿なんだろう。
小さい頃、通学路でよく見かけたことを思い出す。
限りなく広がる自分の未来を無条件に信じ、ちゃちな武装なんかせず剥き出しで毎日を生きていた頃。
飾らぬことで傷つけあったりもしたが、そのぶん本音でつきあえた竹馬の友との日々。
あの頃のお陰で今がある。
le 17 Juin 2020
日本で「夏至」の日に「日蝕」が見られるのは、1648年以来、372年ぶりの現象らしい。
徳川幕府の第三代将軍 家光の時代以来、ということになる。
因みに、次に「夏至」と「日蝕」が重なるのは2802年。
その頃、この地球はどんなふうになっているんだろう。
宇宙や天体に思いを馳せると、日々のあれこれなどあまりに規模が違いすぎて、自分の中の時間軸が不思議な感覚になる。
太古の昔、人間は今よりももっともっと宇宙を畏(おそ)れ、星々を訓(よ)み、問いかけ、指針としてきた。
日常的に、視覚でキャッチできないものを観ようとし、感じとり、潜在能力を引き出そうとしてきた。
今年の夏至は日蝕だけでなく新月まで重なっている。
てんこ盛りの今日という日。
今ここに生かされているということ、自分の命、魂に触れ、宇宙との繋がりに意識を向けてみるとしよう。
とても大切なことを受け取れる扉が、ほら... ゆっくりと開いていく・・・
le 21 Juin 2020
まぶしく晴れた光の中にも、しとしと降る雨の中にも、素敵に溶け込む『紫陽花 アジサイ』。
ブルーや紫系、ピンク系、真っ白なのもあったりするし、色だけでなく様々な種類の紫陽花が今の時期あちこちで咲き誇っている。
咲きながら花の色が変わっていくのも特徴だが、そもそも他の花と違い土壌が酸性かアルカリ性かによって花の色が異なるのに加え、紫陽花に含まれる色素の性質で同じ株でもあっちとこっちの花房の色が違うという不思議な一面もある。
環境からの影響をそれだけ敏感に感じる植物なんだなぁ。
私たちも、住む環境や関わり合う人からの影響を受けながら生きている。
自分で選択できるものばかりとは限らず、結局のところすべて『ご縁』なのだと言える。
「仕方ない...」とネガティヴにとらえて諦めてしまうか、「有り難い!」と感謝をもってポジティヴに受け入れるかで、その先の行動は変わってくるし、当然ながら展開もまったく変わっていく。
いずれにせよ、最大限に ’’自分が笑顔で納得できる状態を選択していく’’ ことは、いくつになってもとても大切なんじゃないかな。
紫陽花のように、積極的に変化していくことを楽しむのもひとつ。
お気に入りの洋服を纏(まと)うように、彩り豊かな日々にしてゆこうよ、自分の人生なんだもの☆
le 23 Juin 2020
諸説あるが、人が一生のうちに出会う人数はこんな数字だそうだ。
「人生で何らかの接点をもつ人:三万人、学校や職場、住むところなど、環境の中での近い関係:三千人、そのうち親しく会話を交わす人:三百人、友人とよべる人:三十人、親友とよべる人:三人」
今の時代、インターネットの様々な媒体を使って ’’つながる’’ ことができるから「私には友人が一万人います!」という人もいるんだろう。
何をもって「友人」とするか、もはやその言葉の定義からして千差万別なので、まぁそれは横へ置いておくとして...。
出会いも、そして御縁をつなぎとめておくことも、一見自分でコントロールできると勘違いしがちだけど、実はそういうものではない ー と、この歳になってみるとわかる。
そもそも、自分はもちろん相手だって ’’ナマもの’’ で、日々変化している、ということも大きいだろう。
そんな中、長く続く御縁とは、とんでもない確率で与えてもらった奇跡に近いことなんだなぁ、という思いにもなる。
この世に、ひとりとして同じ人間はいない。
当然ながら、自分とまったく同じ人間もいない。
’’すべての出会い’’ から、自分と違うからこそ見えてくるもの、気づかせてもらえるものがある、確実に。
自分ひとりでは知り得なかった新しい扉を開かせてくれる、素晴らしいこの星の ’’しくみ’’ 。
すべての御縁に、今日もやっぱり感謝だなぁ。
le 27 Juin 2020
「そもそも、その規則は何のためにある?」
そこ、自分の頭で考えるのって大事なんじゃないか?
従順な日本人は「’’おかみ’’ から言われたことを守る」ことにものすごーく長けているけれど。
例えば、早朝の人っ子ひとりいない小道のウォーキングでマスクする必要はあるかなぁ?
自家用車での移動中、たった独りの車内でマスクする必要なんてある?
何十年も前から日本に一時帰国する度に思う。
左右数百メートルを完全に見通せる道路、見渡す限り車の影なんて見えない時でも、横断歩道の手前で律儀に赤信号を守っている日本人の姿は、申し訳ないけれどとても滑稽に見えてしまうんだ。
いや、なにも信号無視を推奨してるんじゃない。
自分さえよければ勝手なことしていい、という意味なんかでもない。
「規則を守ることどまり」に見えてしまうことがあまりにも多くて。
規則を守ってる正しいワタクシ、だから罰せられません、って?
...でもそういう人ほど、「規則でこう決まってるんだから!」と血も涙もないことを平気で言ったりやったりするんだよなぁ...。
いいかい?
規則の奴隷になっちゃダメだ。
本来、色々なことをうまくいかせるための、皆んなが Happy でいられるための約束事にすぎないんだから。
細々と決めておかなくたって、「脳みそ」と「知性」と「感性」を使い、そして一番大事な「愛」をもって判断すれば、たいていの事はうまくいくんだ、本当はね。
『臨機応変』。
私たちはこんな素晴らしい考え方を持っていることを思い出そう!
大切なのは何なのか、何が本質なのか、見極めるための目をしっかり開いていこうよ!
le 30 Juin 2020